名前の妙はあるよねっていう話をしたら、「ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS」のセミマルさんに反応いただきまった。香陸って僕です。ありがとうございます。やはし、移転や改名は新規の訪問者を呼び寄せるのに有効なようです。それは実をいうと僕も移転したときに感じていたのでピタッときました。当たり前のようでちょっと不思議ですよね、この現象は。閲覧層の変化も招いているように感じますし。
以前、僕が「休止宣言」をしてほうぼうのサイトさんにアナウンスしていただいたときにもそうでした。わっときます。それは、結局二週間ほどで仕事が片付いて更新再開してしまい、ものすごい恐縮したので記憶に残っています。再開時にもアナウンスしてもらい、それを還元しますねといってまだしていないのは時期を逃してしまい「いまさら」感が漂っているからなのですが、そのことにさらに恐縮してしまっています。はは、僕ってば、シャイネス。
それはいいとして、そういう告知によって新しい閲覧者を獲得できるというのは不思議です。単にそのサイトが面白かった、紹介者が信頼できた、ただの気紛れなど、複数の要因とパタンが浮かぶのですが、どれも決定的には当てはまらないような気がします。要因が重複している可能性はもちろんあるし当然そうだろうと思います。だとしても、それぞれが決定的ではないのに総合するとそういう傾向性が見られるというのは、なかなか複雑系ではあるけれど、ちょっと最初に見通しの良い逃走経路を選びすぎかなと思います。
想像としてもっとも面白そうなのは「ウェブの本領はリンクにある」ことを前提にした「リンクが重複したら、そこは界隈」的な発想でしょうか。なになに界隈って以前流行りましたよね。あれっていま思うと閲覧者の傾向性がサイト運営者にフィードバックして成立していたようにも思えるのですよね。もちろん、サイトの方向性の主導権はそのサイトの運営者が握っているわけですけれど。でもそれは閲覧者の傾向、ないしサイト運営者がどういう閲覧者を望むかに決定的に左右されていただろうと。
だから、初めてサイトを立ち上げるときの「リンク」のPageは重要です。自分のサイトの方向性を閲覧者に示すわけですから。それは自分がどこどこの界隈に近いということを表明することにもなりますよね(さらに、ある程度目が慣れるとレイアウトやデザインの仕方でそこがどういうタイプのサイトかわかります)。しかし、その界隈っていうのは基本的に閲覧者が形作るものです。ほら、そうすると微妙に循環しだすことになります。
運営者が先か、閲覧者が先か。そもそも最初のサイト立ち上げの動機の段階でこの界隈志向性の軽重は決定されているようにも思うのですよね。界隈を望む人と望まない人と。テキストサイト全盛時代っていうのは確実にこの「界隈的発想の飽和」で発展していたと思うのです。だから、仮に全体の閲覧者が少ないにしてもアクセスは増えた。サイト間の往来が激しいからです。その代わり、それが跳ね返って似たサイトも増えた。その循環から抜きでて、他のサイト運営者を巻きこむほどの影響力を発揮できる人は数少ない「真似される側」にまわり、カリスマになっていたのではないでしょうか。
だとすると、根本的に閲覧者というのは「界隈」(ないし、「コミュニティ」といっても広義の意味にはいいと思いますけれど)を作りたい、把握したい、あるいはそういった広がりを捉えたいと指向しているように思います。それは閲覧者であるところのサイト運営者にも当然当てはまることになります。これはウェブという空間を生々しい側面から見つめようと思ったら興味深いところです。
だから、最初の話題に戻ると、サイトが死ぬときや生まれ(かわ)るときや眠るときなど、そういう重要なポイントを紹介されたサイトは「紹介したサイトと同じ界隈にいる」と判断されやすい傾向にあるのではないかなと。だとすると、それほど閲覧者が有益ではないと感じるサイトでも、界隈を押さえるために閲覧者はそこにも顔をだす必然性が生まれる。これだと、特別、紹介するサイトに閲覧者を取られることなしにして、紹介された側のサイトの閲覧者が増えることはまだ理解できます。
ということでした。最近ではトラックバックで界隈的な縛りがあるように感じたり感じなかったり仲良しこよしっていうかそういうのいいよね。僕もトラックバックしたいなあ。でも僕がトラックバックするためにはものすごいスイッチバックしなきゃいけなさそうだから、当分、このままのスタイルでいきます。はは、行き当たりばったりだな、ああ、もう。 |
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