こそっとぼそっと
【Free Space】 2004.10.15↑04:50
 こんこん、香陸です、こんばんは。実は今日で「小生にうず」も一周年をむかえることができました。どもです。いまではわりに「個人ニュースサイト」を名乗ることにも抵抗が薄れてきましたし(というのも、うちは「もともとニュースサイトではない」ものですから)、ようようこのサイトも育ったなあという感じです。

 最初期とはまるっきり違うサイトになった感じもして、なにかしら面白いものが提供できておるかねどうかねという心配はちょっとあるけど、まあ、僕が楽しみながらやっているのでスタイルとしては良好でしょうか、うんうん。

 そういうわけでして、これからもやれる限り続けちゃいますので、お世話になっているサイトさんとか、覗いて頂けている方なんかにはよろしゅうよろしゅうって媚を売っておきます。よろしゅうよろしゅう。まだまぅだ、ふらりふらりと更新を続けてまいりますぞ。

 ということで、一年前に取りあげた記事を再掲し始めます。やりたかったのですよね。これだけはさ、なにはなしにも一年間続けたウェブサイトだけにできる特権かなと思います。どちらかというとそれで自分が楽しむ目的が強いような気がするけれど。

 うちのサイトはまず4or8記事をクリップするところから始まって、新聞社のサイトから記事を引っ張る時期があって、画像を多めに扱う時期があって、Flashを多めに扱う時期があって、内容が雑多になって、長文を始めて、略式が始動するという流れに(大雑把に分けると)なっているので、そういう雰囲気も再掲のなかででるのじゃないかなあって思っています。

 ではでは、いろいろ更新が滞っていますけれど、よろしゅうね。
2004.15↑

1+1=2topics
【COCOLOG Books】 2004.10.11↑13:18
「ココログ」を使っていると書籍化するかもしれないらしいよ
http://www.cocolog-nifty.com/cocologbooks/
「週刊!木村剛」「室井佑月blog」「眞鍋かをりのここだけの話」「加藤ローサのBlog de チェキ日記」、さらには「幹事長代理」まで引っ張りだしてしまうなど、著名人のblogを擁することでなにかと話題をぶわぅさぶわぅさふりまいちゃっている「ココログ」さんが新しい試みを始めるらしいでぃす。簡単にまとめると「素人の面白い日記(Cocolog)を書籍化しちまうぜ」ということのようなのさ。ちぅわけで、

「創刊のごあいさつ」
http://cbn.cocolog-nifty.com/news/2004/09/post_2.html

があったり、

報道関係者向けのパーティ
http://cbn.cocolog-nifty.com/news/2004/10/post_1.html

があったりするみたい。すごいなあ。しかも、ダバディ来るらしいぜ。「従来の書籍とは異なる新しいスタイルの書籍を作り出したい」という意気込みでいらっさるようなのでどのようなものになるのか不思議だったりどきどきしたりしちぅのですけれど、どうなるのかな。

でも、近日刊行される「ダバディ」氏の『魔法のココログ』をそとから見る限りは「普通の書籍と大差ない」ようなので(いや確かに「まさに神秘的な輝き、冒険の香り…ファンタジー!」かもしれないけどさ)、中身がものすごい違うか、たぶん、「書籍化に至る過程」が従来とは違うスタイルなのだと思う。日本語って「曖昧に使うこと」はものすごいできるからね。

そういうわけでして、僕とかもCocolog使っちゃったりしちゃうと書籍化しちゃうかもしれないのだよね。うわあ、印税!印税!でも、審査に受からなきゃ駄目みたいだから無理だなあ。でもでも、面白い文章の書ける「Diary Cocologer」がいないと「創刊即廃刊」という仏滅に座敷の奥の間にかかっていそうな掛け軸みたいなことになるから、有志は頑張れ。

ちなみに出版は『月刊誌サイゾー』(わりと好きな雑誌です)や、すでに「週刊!木村剛」「書籍化」した実績のある「インフォバーン」さんからされるようです。今後の展開にちびっと注目だぞ。それにしても、「Cocologer」でも、大手の個人情報サイトでもない僕のところにも連絡が頂けるというのは、ものすごい嬉しいし光栄なのですけれど、意図がわからずかなりどきどきでした。

ちぅわけで微力ですがお力添えさせて頂きまった。応援しています。そして、もし本当にうちとこのサイトを覗いて頂けているのなら今後ともよろしゅうお願い申しあげまうす。ああそうさ、ごまごますりすりとしているわけなのさ。
【I think】 2004.10.11↑18:02
 ところでウェブ上の作品が書籍化するという流れは、「紙を使わない社会」が現実に成立するのではと思われていたひと昔前の潮流と余裕綽々だぜといった感じで矛盾します。どうして「ウェブで読めるもの」をわざわざ「書籍化する必要」があるのでしょうか。

 もちろんそれは「お金になる」からですが、それを抜きにすると「書籍化」することは明らかに「贅沢」です。だって発想をお金に変換するのは確かに妥当ですけれど、もう書いちゃったものをわざわざ整理して書籍にするって明らかに面倒ですからね。それだったら、新しいものを書いたり、趣味に没頭したいですよね。

 ああ、誤解されそうなので誤解されそうだということを前置きにして書きますけれど、そういう贅沢で無駄な時間を費やしているからこそ、できあがった「書籍」は素敵だろうねということがいいたいわけです。「本にするために書いた」わけではなしに、もうすでに書かれて目的を達したものを「わざわざ書籍化する」という行為、その無駄さに価値があると感じます。

 いわゆる、豪華本です。思考を「物質化したい」「摩擦を感じたい」という欲求はすごいわかります。でもそれだけじゃ、「書籍化自体」に価値はあっても、売れそうにありません。むしろこういった書籍は、書籍の内容ではなしに「書籍本体」に価値があるような作りである必要があると思います。装丁がきれいとかさ、大事にしたいって思えるようなね。

 それにそのほうが安全側だと思うし。「書籍化する」ということを前提にしていないウェブサイトを「書籍化した」ときに、内容に期待するのはさすがに酷なのではって思います。明らかに「付加価値」が必要です。それは「書籍化することを前提に書いているサイト」ですら意識していると思いますから当然の処置だろうと感じます。

 そう思うとさ、やはし書籍化するって難しいことだよね。ひしひしと感じるよう。なんてったって「書籍」って圧倒的にローテクだからね。「新聞」なんて絶望的だよね。特に日本なんて毎日自宅まで運ばれてきちゃうし。すごいシステムだなって思います。テレビ並みの図々しさです。

 「現代人はコミュニケーションが下手で……」とか「TVで観てたり」したり、「現代人は本を読まないから……」とか「雑誌で読んだり」して、あろうことか頷いたりしちゃっている人を見かけると、この人は大丈夫だろうかってちょっと心配になります。いまほど「他人とコミュニケーションしている」時代はないと思うし、いまほど「若者が本を読んでいる」時代もないと思うのですけれど、どうなっちゃってるんでしょうね。僕が間違ってるのかな。

 というわけで、書籍化された、あるいは書籍化されそうだよな情報をどぞどぞ。

 まずは、
 ばるぼらさんの『教科書に載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』
 
 テキストサイトからは短文系の、
 164さんの『母さん』
 タナトスさんの『死にたい』

 日記・テキスト系では、
 呉エイジさんの『我が妻との闘争』
 入江舞さんの『POPOI』

 2chからは、
 『泣ける2ちゃんねる』
 『恐怖2ちゃんねる』
 『思い出に残る食事』
 『忘れられないラヴ』

 そして、
 『電車男』

 Flash系では「G-STYLE」さんから、
 『3歳シリーズ』

 マンガやコミックでは、「コンプレックス・プール」さんの
 『生きるススメ』『しあわせ』は有名だよね。

 他にも自費出版で作っていらっさる文芸サイトの方もいますね。自費出版がもっているような贅沢さっていうのがこれからの「本」の立場として妥当かなって思います。やはし、副次的なものだよね。昆虫採集で木箱にコレクションをするようなものかなって。あると嬉しいし、壮観だし、ときには便利だけれど、絶対に必要ってわけじゃないし、それほど沢山が必要なわけではない、そういう感じ。
2004.10.11↑

2=2topics
【News-2】 2004.10.01↑02:45
ムーア監督、ブッシュの次は健康 来年公開予定
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040929-00000026-san-int
面白そうだけど、これはやりやすいテーマなだけに構成とかが難しそうだなと思いました。それにしても、ドキュメンタリがこれほど話題になるエンタテイメント作品になるというのはどうでしょう。いかにいま、メディアから与えられる情報に演出と虚飾が加わっているか、ひとときの楽しみのために「事実」にどれだけの加工が施されているか、それがどれだけ「作られた報道」か、われわれが信用できる情報とはなにか、われわれはなにのためにそれを求めるのか、われわれにはなにが必要か、われわれはなにを頼りにどう生きるのか、妙に話の抽象度が上がりましたけれど、そういったことに対する茫漠とした不安感というか、われわれを取り巻き、社会に流通する雑多な「思惑」に対する猜疑心のようなものが彼の作品の人気の根底にあるような気がします。とここで不用意な人は「物質主義で云々」と続けてしまいそうですけれど、僕はしませんよう、にこり。というか、ムーアもかなり作ってると思うけど。ただ、たしかに根は深そうです。この根を全部抜いてしまうと倒れてはいけない樹まで倒れてしまうのではと思ってしまうほどです。
【News-1】 2004.10.01↑02:45
国語教科書から消えた名作 復活本が親世代に人気かーずSP戯れ言
http://www.asahi.com/national/update/0929/023.html
この記事のなかで親たちは堂々といいます。「子どもに読ませたい」と。この「押し付け」が「教育」だろうなと思います。やってはいけないことに「やってはいけない」という理由を付与するということです。さまざまな人の集合であるところの社会で「安全側」に周るためのショートカットの作成ですね。だから、子どもにとっての親の存在というのはやはり大きすぎるほど大きいです。それにしても、「大人」というのは押し付けられることを極度に嫌う傾向があるのに、自分たちが押し付けていることにはあまり気付かない傾向が全般的にあるかもしれないですね。奪わんと欲すればまず与えよということです。やはり信頼できる人間関係・人間性というのは大切なことだなと思います。信頼できれば、仮に裏切られても満足できそうな気がしませんか。ところで昨今、あまり口にされないようですけれど、なにかに付けて「過保護」だなと思います。そのわりに「素直に認める」ということが少ないような気がします。だから、あちらこちらに「自信のなさ」がごろごろと転がっています。自分自身で実感できているだけに、やや切実な問題だなとちょっと思っています。
2004.10.01↑

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