いま、僕の目の前の窓から見える空にあまりにも美しい飛行機雲が描かれているので、それをここに記しておこう。鮮やかな太陽の光を受けたパブリッシュブルーの薄青い空に真っ白い、一本の飛行機雲がグングンと南に向かって伸びる、その光景。それがとても美しい。

 その美しさは言い換えるならば「違和感」だ。そうだと思う。人間のいない自然の世界に、直線というなにかを見つけだすのは難しい。だから、綺麗に描かれた青空のキャンパスに、細いすらっとした絵筆ですっと一本白い直線を入れたような不細工な違和。それが美しい。

 それはもう、奇跡といえるほどに稀有な現象だし、そう感じることの神秘というものは決して完全には理解されえないだろう。いや、むしろ、理解されてはいけないとさえ思ってしまう。そんな理不尽な気持ちにこの光景はさせるのだ。

 僕はそもそも「窓」というのが好きだ。「窓」を恋しがる人間の弱さ、それがあまりにも理不尽に思えて、あまりにも人間的に思えて哀しさを感じるのだ。結構、センシティブな人間なのである。そういうものが嫌いではないような人間なのだ。

 窓から外を眺めるとき、その世界は枠に捕らわれている。どうしたって外の世界は小さな窓枠に捕らわれて僕の眼前に現れるのである。僕のいる世界も、そもそもその外の世界と繋がっているのにもかかわらず。僕は「世界」というものをどこか僕のいる場所とは違うところにあるような、そんな存在として窓枠に囲まれた空間を観照するのである。そんな風にして窓から外を見つめるとき、僕は毎回思う。

 なんと世界は美しいことで満ち溢れているのだろうか。

 それがどんなに普遍的な日常的な、あるいは稀有な、珍奇な状況であったとしても、世界の美しさというのはいつも窓枠の中にある。人間から「窓」を取り上げてしまっては、そこには恐怖におののき、人生に畏怖し、「世界」に戦慄するあまりにも無力で、あまりにも自由に過ぎる存在が残るのではないかと思ってしまう。引力に引かれて永久に落ちつづけるような、自分が作用しているのか作用されたのかわからぬような、あまりにも不確定で、不完全で、だからこそどこまでも自由で完璧な世界。そんなところに迷い込んでしまうのだろう。

 人間は空を歩かなかった。それは、とても幸せなことだったのではないだろうか。

 飛行機雲は時間と共に薄れて、消えていった。僕の中にある記憶以外にあとには何も残らない。そして、いま僕の中にある「飛行機雲」もしだいに薄まって、消えるだろう。ぷっつりと、確かになにかがあったという残滓を心の中に残しながら。