理想郷におけるエピローグ


人物 ― ベネディクトゥス十四世とヴォルテール
場所 ― 人類のここちよい思い出の地


ベネディクトゥス
ようこそいらっしゃいました。あなたは十八年間私が許されて最高の地位を占めて来た教会に大損害を与えたが、同時に教会の罪や誤りをこらしめ、御存命中に私たちすべての汚辱となっていた不正を戒めて下さった。

ヴォルテール
御存命中もそうでしたが、いまのあなたは全くおやさしくて、寛大でいらっしゃる。もし「神の使徒の下僕」が一人残らずあなたのようであれば、私は教会の罪を人間本来の特質とみなし、教会の制度をずっと尊敬して来たことでしょう。私が過去五十年以上も、どれほどイエズス会士を尊敬していたかは覚えておいででしょう。

ベネディクトゥス
覚えています。しかしちょうどイエズス会士たちが政治上の陰謀を適度に押え、放恣にふるまう国王に勇敢に反抗しようと立ち上がったやさきに、あなたも一緒に彼らを攻撃なさったことは残念です。

ヴォルテール
その問題についてもっと詳しく知っていれば、ヤンセン主義者の肩を持たなくてもよかったのです。

ベネディクトゥス
それごらんなさい。あなたでさえ誤っている場合があるのです。教皇にしても同じです。あなたもだいぶ穏やかな考えを持つようになられたようだから、今度はあなたが見捨てた教会になぜ私が忠誠を誓っていたかを聞いてくれますか。

ヴォルテール
たいへん興味がある問題ですね。

ベネディクトゥス
あなたがいやにならなければよいのですが。私ばかりしゃべり続けることになりますからね。でも、あなたもずいぶんたくさんの本をお書きになったのですからね。

ヴォルテール
私はときどきローマを見たいとあこがれました。ですから、あなたが話して下されば喜んで聞きましょう。

ベネディクトゥス
私も幾度かあなたと話ができればと願っていました。私はあなたの才知と芸術的手腕を、喜んで味わって来たと白状しなければなりません。しかしあなたの頭脳がよすぎたために、かえって迷いが生じたのです。頭脳明晰で、しかも保守的であるのはむずかしいことです。活発な知性の持ち主にとって、伝統や権力の味方をすることは少しもおもしろくないものです。どうしても批判的になりがちです。それでこそ初めて個性と着想の新奇性が感じられるからです。しかし、哲学は斬新なことを考えつくと、たいてい間違っているものです。それで、私は聖職者や神学者としてではなく、哲学者対哲学者の立場でお話がしたいのです。

ヴォルテール
感謝します。私が哲学者であることには、いささか疑問がありますが。

ベネディクトゥス
あなたが新しい体系をつくり出さなかったことは賢明でした。しかしあなたは根本的な、しかも残念なあやまちをおかしました。

ヴォルテール
たとえばどんな。

ベネディクトゥス
あなたは一人の人間が生きている間に、人類の知恵を裁く地位にふさわしいほど、数世紀の経験から生み出された伝統や制度について、広範な知識と深い理解力を持つことが可能だとお考えになった。人間の集団にとって、伝統は個人の記憶力のようなものです。記憶が突然断絶すると狂気を招くように、伝統が突然打ち砕かれると、それはちょうど革命のときのフランスのように、一国全体を狂気に落とすかもしれません。

ヴォルテール
フランスは気が狂ったのではありません。フランスは数世紀にわたる圧政でふんまんが積み重なり、この十年間に集中したのです。それに、あなたが言う「人類」とは一つの精神ではなく、代々誤りにおちいりやすい個人の集合体です。そして、人類の知恵は誤りと各個人の洞察力の混合体にすぎないようです。くだらない発想のうちのどの要素が子孫に伝わり、香気を得てコケが生えるまで生き長らえるかと何がきめますか。

ベネディクトゥス
共同社会や国家の経験から生まれた発想が成功だったとか失敗だったとかは、そのうちのあるものが存続し、それ以外のものは滅びることによってきめられます。

ヴォルテール
さあどうでしょうか。偏見が権威の衣を借りて、保存すべき思想を定めている場合がたくさんありますし、政府の取り締まり規定のため、無数のよい思想が人類の伝統に入り込むのを妨げられている場合があります。

ベネディクトゥス
おそらく私の前任者たちは取り締まり規定を設けて、社会秩序の道徳的基盤を滅ぼすと思われる思想の伝播を妨げ、人生の重荷を耐えて行くために人道を行なわせる信仰を励ます手段にしようと考えたのでしょう。私はこの取り締まりに重大な誤りがあったことを認めます。たとえばガリレオの場合のように。それはあなたの追随者たちが大勢の人を信じ込ませたのに比べれば、私たちのほうがよほど穏やかだったと思いますがね。

ヴォルテール
そうなると伝統は誤っていても、圧制的でもよいわけですね。また理解力の進歩の障害になってもよいわけですね。伝統に疑問を持つことを禁じられたら、人間はどうして進歩できますか。

ベネディクトゥス
進歩とは何かという問題を考えなければなりません。しかし、その問題はしばらくわきに置きましょう。伝統や制度に疑問を持つことは、許されなければならないと私も信じます。しかし、それも再建の見込みがないほど破壊しないよう心がけ、一個の石を取り除くにも、保存したいと願う部分のささえとして必要でないことが証明されるまで、除かないだけの心を用い、何十年来の経験が一時的な個人の理性よりすぐれているかもしれないという謙虚な良心によって、行なわなければならないと思います。

ヴォルテール
それでもなお、理性は神がわれわれに与えられた最も高貴な贈り物です。

ベネディクトゥス
いいえ、最も高貴な贈り物は愛です。私は理性を軽んじてはいません。しかし理性は愛の下僕であって、自尊心の下僕であってはならないのです。

ヴォルテール
私はよく、理性はたよりないものだと思いました。理性は欲望の求めに応じて、何とでも証明しがちなことはわかっています。また、彼方に住む友人ディドロも何かの本で、感覚上の真理は論理上の論証の真理より動かしがたいものだと書いていました。ほんとうに懐疑的なら、理性をも疑います。私が理性を誇張して語るのは、あの狂人ルソーが感覚を誇張するせいかもしれません。理性を感覚に従属させることは、私の考えでは感覚を理性に従属させることよりずっと大きな不幸です。

ベネディクトゥス
人間は相互作用として、その双方を必要とします。しかし、この辺で次の階段に移りませんか。われわれが持っている知識の中でも最も明白で、直接的なものは、われわれが存在し、考えるものだという知識だということに賛成ではありませんか。

ヴォルテール
それで――。

ベネディクトゥス
つまり、考えることのほうが、何かを知ることよりもはるかに直接的だということです。

ヴォルテール
それはどうでしょうか。私たちは自分を振り返って考えていることに気づくずっと以前に、物事を知っているのだと私は信じています。

ベネディクトゥス
しかしあなたは反省して見て、すべてそこに分類しようとする事柄とは全く違った現実に感づく、ということを白状なさい。

ヴォルテール
それは疑問に思ったことはありました。しかし、どうぞ先を続けて下さい。

ベネディクトゥス
あなたは心のうちに、選択の実在と意思の自由のようなものを感じ取っていないとはおっしゃらないでしょう。

ヴォルテール
教父さま、あなたは少し飛躍しすぎています。私はかつて自由を適度に楽しんだと信じましたが、論理が私に決定論を認めさせたのです。

ベネディクトゥス
それはあなたが直感的に感じ取ったものが、理性の長く不安定な過程を経た結論に負けたということです。

ヴォルテール
私はあの頑強で小柄なレンズみがきのスピノザには、反証をあげることができませんでした。あなたはスピノザを読みましたか。

ベネディクトゥス
もちろん。教皇というものは禁書目録に縛られないのです。

ヴォルテール
われわれが彼を無神論者だと思っていることは御存知ですね。

ベネディクトゥス
われわれは互いに相手の特性を口に出してはなりません。彼は愛すべき人間でしたが、たまらないほど陰気でした。彼は人格が存在する余地がないほど、神を普遍的に見ていたのです。彼もアウグスティヌスと同じくらい信仰深く、聖人のように偉い人でした。

ヴォルテール
私はあなたを敬愛します、ベネディクトゥス。私も彼に寛大でしたが、あなたはそれ以上です。

ベネディクトゥス
先に進みましょう。思考力、良心、個性の感覚などは、われわれが第一義的に知っている現実であることにはあなたも賛成してくれますね。

ヴォルテール
よろしい、賛成しましょう。

ベネディクトゥス
私が唯物論、無神論、決定論を否定していたことが、これで正当化されたような気がします。われわれはそれぞれ霊魂であり、宗教はその事実に基づいて存在するのです。

ヴォルテール
そのとおりだと仮定すると、数百年来教会の信条に次々に加えられた無数の不条理が、どうして正当であると証明できますか。

ベネディクトゥス
矛盾がたくさんあったことは、私も知っています。信じられないものがたくさんありました。しかし、民衆がそれを求めて叫んでいたのです。ときには教会さえそうした驚くべき事柄を教会の信条として受け入れ、民衆の要求を存続させ、広げさせて来ました。もし民衆に持たせている信仰を彼らから取り上げてしまえば、手がつけられないほど伝説や迷信を取り入れるようになります。組織立った宗教は迷信をつくり出さないし、むしろ迷信を撃退します。組織立った宗教を滅ぼしてごらんなさい。キリスト教の傷にウジ虫のように無秩序な迷信がはびこって、たいへんな荒廃が取ってかわります。それでもなお、宗教よりは科学のほうに信じられないことが多いのです。ある種の原始的な星雲の状態があなたの劇の一行一行を決定し、強制して書かせたという信念ほど、信じられないものがほかにありますか。

ヴォルテール
しかし決して焼けない石綿の聖者や、落とされた首を手でかかえながら歩く聖者や、昇天したマリアの物語のようなものはどうしても消化し切れません。

ベネディクトゥス
あなたの胃はいつも弱かったのですね。民衆はむずかしく考えないのです。それらの物語は信条の一部で、人びとはそれによってささえられ、慰められているからです。だからこそ、彼らは長い間あなたに耳を傾けようとはしないのです。生まれたときから、あなたに耳をかさないようになっているのです。だから信仰と不信仰の争いでは、信仰のほうがいつも勝つのです。カトリック信仰がどのようにドイツ西部で勝ち、不信仰なあなたの国フランスを立ち返らせ、ラテン・アメリカを押え、移民やピューリタンの土地まで含めて北アメリカで勢力を得ているかを見てごらんなさい。

ヴォルテール
教父さま、私はときどき考えるのです。あなたの宗教は信条の真実性や神話の魅力によってではなく、またあなた方が劇や美術を賢明に利用したためでもなく、民衆の繁殖を悪魔のような巧妙さで奨励したために持ち直したのだと。私の考えでは、哲学の第一の敵は出生率なのです。われわれは底辺から出て、頂天で死ぬのです。単純な者の繁殖は知識の活動を妨げます。

ベネディクトゥス
カトリックの出生率がわれわれの成功の秘訣だと考えたのなら、それは間違いです。それよりずっと意義深いものがあるのです。世界じゅうの知識階級の人びとが宗教に戻るわけを御存知ですか。

ヴォルテール
考えるのがいやになるからでしょう。

ベネディクトゥス
そうは限りません。彼らはあなた方の哲学によって無知と失望を感じるだけで、解決を得られないからです。それに賢い人びとは、あなたの仲間たちが自然の倫理と呼ぼうとしたあらゆる努力が失敗に帰したことを知ったのです。われわれは互いに人間が原始的な形態から数千年かかってつくられた個々の本能を持って生まれて来ているということ、その社会的本能は比較的弱いこと、またこの自然の暴君を正常でおとなしい市民に鍛え上げるには強い道徳規定と法律が必要だという点でたぶん一致しています。カトリックの神学者はこの個々に備わった本能を、初めにつくられた祖先から受け継いだ原罪と呼んでいます。つまり責めさいなまれた無法者、それも永遠に危害にさらされた狩人、その上食べ物と相手を求めていつでも戦う用意ができていなければならなかった祖先、非常に欲ばりで、けんか好きで、残忍な祖先から受け継いだものなのです。彼らの持っていた社会機構がどんなものだったにせよ、まだ非常に弱く、自分たちの生命と持ち物を守るには自分たちしかたよれなかったからでした。

ヴォルテール
あなたは教皇らしくないことをおっしゃる。

ベネディクトゥス
哲学者同士として話そうと言ったでしょう。教皇も哲学者であり得るのです。ただ、教皇は哲学の結論を民衆にわかりやすく語るだけでなく、人びとの感情や行為に感化を及ぼすように話さなければならないのです。われわれは―そして世界も学んでわれわれのほうに戻って来ています―人間の力でできた道徳律が、ありのままの人間の非社会的な衝動を制御できるほどの感銘を与えないものだと知らされました。カトリックの人びとはその道徳生活の中で―肉の生活は一致していませんが―、子どものときから宗教の一部として、また人間のではなく神のことばとして教えらえた道徳律で結ばれているのです。あなたは道徳を大切にして、神学を捨て去ろうとしていますが、道徳の魂の中にしみ込ませているのは神学なのです。われわれは道徳律を、人間の最も大切な持ちものである宗教心と切り離せないものにしなければなりません。このような信仰があってこそ、われわれの存在をささえ、高貴にする人生の意義と尊厳が得られるのです。

ヴォルテール
それで、モーゼが神との会話をつくり出したのですか。

ベネディクトゥス
大人はそのような質問をしないものです。

ヴォルテール
おっしゃるとおりです。

ベネディクトゥス
あなたのは子どもじみた皮肉だから許して上げよう。ハムラビやリクルゴスやヌマ・ポンピリウスは、われわれの非常に強い本能からじわじわと攻撃されて砕かれてしまわない限り、道徳は宗教的な基礎を与えられなければならない、と賢明にも認めていました。あなたが善行に報い、悪を罰する神について語ったときは、あなたもそれを認めていたのです。あなたは召使には宗教を持たせたいと願いながら、友人は宗教なしでやって行けると考えました。

ヴォルテール
私はいまでも、哲学者は宗教なしでやって行けると思っています。

ベネディクトゥス
あなたは非常に純真ですね。子どもに哲学がわかりますか。子どもに理屈が立てられますか。社会は道徳の上に存在し、道徳は人格に立脚し、人格は理性が教えるよりずっとまえに、幼年時代と少年時代に形成されるのです。われわれは個人が若くて柔軟性がある間に、道徳を教え込まなければなりません。そうすれば個々の衝動に抵抗し、個々の理性の働きにも耐えて行けるだけの強さができるのです。あなたの考えはちょっと早まっているようです。知性は本質的には個人主義者で、道徳が指図しなければ、社会をばらばらに引き裂いてしまう場合もあり得るのです。

ヴォルテール
私が生きていた時代には、理性と道徳は大体同じだと考えているりっぱな人が何人かいました。

ベネディクトゥス
それは各個人の知性が長時間かかって宗教の効果を圧倒する以前のことでした。スピノザ、ベール、オルバック、エルヴェシウスといった少数の人びとは、祖先から受け継いだ宗教を捨てて模範的な生活を送ったかもしれません。しかし、彼らの美徳が宗教教育の結果でなかったと言い切れますか。

ヴォルテール
宗教教育やカトリックという既成宗教があったにもかかわらず、私と同時代の人の中には軽べつしたいような放蕩者もたくさんいました。枢機卿デュボアやルイ十五世のように。

ベネディクトゥス
あなたがいやらしいお世辞を書いたのは、その人たちのことですね。

ヴォルテール
残念ながらそうです。私はあなた方の一部の修道僧たちのようなものでした。私はよい結果を招くと感じたことを実現しようと、信心深そうな不正手段を用いたのです。

ベネディクトゥス
しかし正統な信仰を持った無数の人が―あらゆる教会の行事を守る人までも―大罪人となり、感情に支配されて犯罪者になることもあり得ることは確かです。宗教は犯罪の絶対確実な治療法ではないのです。宗教はただ人類開化という大事業の一助にすぎません。宗教がなければ、人間はいまよりずっと悪くなっていたと私は信じます。

ヴォルテール
しかしあのおそろしい地獄の教義のために、神は歴史上どの暴君より残忍な鬼になっています。

ベネディクトゥス
あなたはあの教義がいやなのですね。しかし、人間のことがもっとよくわかって来ると、彼らは希望を持たせて励ますと同様、おそろしいもので脅かす必要もあることがわかります。神をおそれることは、知恵の始めです。あなたの追随者たちは、それをおそれなくなったときに堕落し始めました。あなたの不道徳は、比較的見苦しくないほうでした。デュ・シャトレ夫人との長い交際には、美しいものさえ感じられました。しかしあなたの姪との関係は恥ずかしいものでした。それにあなたの友人の淫奔なリシュリュー公の行為には、何一つ非難しませんでしたね。

ヴォルテール
どうして非難などできましょう。そんなことをすれば、私の貸し金が危うい目に会ったでしょう。

ベネディクトゥス
あなたは生き長らえなかったから御存知ないが、無神論のために人間は口にも出せないほどの野獣になりかけたのですよ。サド侯爵のものを読んだことがありますか。革命で有頂天になっている間に彼は三冊も本を出版し、神さえなければ、人間は法律の手先に見つからない限り何をしてもよいと言いました。この世で多くの悪人が栄え、善人が苦しんでいる。天国も地獄もないのだから、好ましくない快楽に対して善人であろうとする必要はないと彼は指摘しました。また意志が自由でないなら、道徳的責任はないと結論しました。つまり善も悪もなく、ただ弱者と強者があるだけだ。善人であることは弱くなることであり、弱くなることは悪である。そして弱者を利用する強者の喜びまでを正当だと言いました。残忍性は自然なもので、むしろ楽しみを与えてくれると彼は主張しました。こうして彼はおよそ忌まわしい退廃的な堕落を含む、あらゆる快楽を許しました。ついには大勢の男女が苦痛を与えたり受けたりして身を横たえ、それを性の快感だと考えるようにさえなったのです。

ヴォルテール
そんな奴は息の根もとまるほど痛めつけてやらなければ。

ベネディクトゥス
捕えられさえすればね。でも捕えられなかったらどうしますか。日ごとに行なわれる無数の犯罪、そして絶対に見つかりも罰せられもしない犯罪のことを考えてごらんなさい。見つからないと安心していても、犯罪を犯させないようにする道徳律が必要なのです。「ヴォルテールの時代」は歴史上最も不道徳な時代の一つだったと言えば、おかしいでしょうか。あなたが書いた「オルレアンの少女」についてとやかく言うつもりはありませんが、国王の「鹿の園」や、大量に出版された好色文学のことを考えてごらんなさい。いずれも各地で売られ、女たちまで熱心に買いあさりましたね。こうした色情的な興味本位のものを無謀に供給するので、信仰を持たない時代や国々に淫猥なことがはびこるのです。

ヴォルテール
教父さま。性欲本能は非常に強く、教皇でもそれはあり得ることですし、どんな法律があってもそれを吐き出す方法を見つけることは御存知でしょうね。

ベネディクトゥス
それが強いからこそ、特別の修養が必要なのです。もちろんそれを刺激してはいけません。私たちが正常な結婚へ方向づけようとしているのはそのためです。そして、できるだけ早婚にするようあらゆる手を尽くしました。あなた方の近代社会では結婚適齢期がずっと過ぎてしまうまで、向こう見ずで無思慮な男性以外だれも結婚ができないようにさせています。ところがあなた方は出版と舞台の自由を合いことばにして、事ごとに彼らの性的空想や欲望を文学や演劇で刺激し、性の欲望を押えられないようにしています。

ヴォルテール
青年たちは自由から受けた害を、長続きさせはしません。

ベネディクトゥス
それは違うと思います。結婚まえに淫乱な生活になれ親しんだ男は、めったに忠実な夫にはなれません。ごく少数の例外を除いて、結婚まえに奔放な生活をした女で、貞節な妻になれる者はほとんどありません。それで何でもないことで離婚するようになるのです。私たちは結婚を一生を通じて耐え忍び、節操を誓うおごそかな秘跡だと考えていますが、あなた方はただの商取引と考え、両者ともちょっとしたけんかをしたり、もっと若く、もっと金持ちの相手が見つかりそうであれば自由に契約を破棄します。いまではどこの家庭もすきだらけで変心を招きやすくなっており、結婚の制度は女性にとっては悲劇的、道徳秩序のためには致命的な、一時的、実験的な結合という混乱状態におちいっています。

ヴォルテール
しかし教父さま。一夫一婦制は不自然で耐えられるものではありません。

ベネディクトゥス
本能の抑制はすべて不自然です。しかしそのような制約がなければ、社会はやって行けないのです。それで私は一人の相手と数人の子どもを持っている男性や女性のほうが、数人の相手と一人の子どもしか持っていない男性や女性より幸福だと確信しています。ある男性が新しい顔とその美しい姿態に夢中になって、彼の子どもたちを産み育てて美貌が失われた妻を離婚したところで、どうしていつまでも幸福であることができるでしょう。

ヴォルテール
しかし離婚を禁じたため、あなた方はカトリック諸国にはびこっている姦通を許さなければならなかったではありませんか。

ベネディクトゥス
そうです。それはわれわれの弱点で、悪いところです。不信仰のために弱くなったのです。おそらくそれは、子どもたちの目には表面上まとまった家庭と思わせるからでしょう。姦通は離婚よりはまだましで、家族を混乱させる率が少ないのです。しかしそれ以上のよい解決策を考え出せなかったのは、恥ずかしいことだと思っています。

ヴォルテール
あなたは正直な方です、教父さま。もしあなたの信仰と人の好さを私も持てるものなら、私はいままで持っていたものを全部あなたにささげたいくらいです。

ベネディクトゥス
ところが、あなたはまだわかろうとしない。ときどき、私はあなたのような聡明な方たちに勝つことは絶対できないと思うことがある。ペンの力で何百万もの人をよくも悪くもできるのですから。しかし、あなたの追随者の一部の人びとはおそろしい現実を見詰めていますね。歴史上どの世紀にも見られなかったほど男女が大量に虐殺され、多くの街が荒廃し、人心が荒れ果てた時代に、進歩の風船は破裂しました。知識、科学、安寧、力などの進歩は、手段の進歩にすぎません。結果や目的や要求に進歩が見られなければ、それは妄想にすぎません。理性は手段を改善させます。しかし目的は生前から形成され、理性が生まれるまえから備わっている本能によって定められます。

ヴォルテール
私はそれでも人間の知性を信じます。人間は生活が安定するにつれて、手段も目的も進歩するものです。

ベネディクトゥス
生活は安定して来ましたか。おそろしい犯罪が減って来ましたか。戦争は以前ほどおそろしくないものになりましたか。武器の破壊力のために、あなたやあなたの敵は戦争を避けるようになるとあなたは望んでいる。しかし矢が発達して大砲になったところで、各国が互いに挑戦し合って最後に死ぬようなことがなくなりましたか。

ヴォルテール
人間を教育するには、数世紀かかります。

ベネディクトゥス
一方、あなたの宣伝のために、おそらく都市の荒廃よりさらにおそろしい精神的な荒廃が諸所に起こったことを考えて見て下さい。無神論は、信者がかつて考えも及ばなかった深い悲観論の序論ではありませんか。それに金持ちでもあり、有名でもあったあなたが、よく自殺のことを考えたではありませんか。

ヴォルテール
そうです。私は神を信じようと努めましたが、神は私の生活にとって何らの意味もなさず、また子どものころの信仰は何の役にも立たなかったと内心感じていたことを白状しましょう。しかしたぶんこの感覚は各個人に、また推移する各世代にあるものでしょう。悲観論者の子孫は、地獄をおそれて陰気になっているあわれなキリスト教徒より、気ままに羽を伸ばしてしあわせでしょう。

ベネディクトゥス
信仰を持つ大多数の人びとにとって、地獄はたいした役割りを持っていません。彼らは死の苦しみが無意味な淫事ではなく、より大きな生命の序幕であって、そこでは俗世界の不正や残忍さは正され、いやされて、彼らがかつて愛し、失った人びとに幸福と平安のうちに再び会えるという考えで力づけられています。

ヴォルテール
それは幻ではあっても、慰めだったことも確かです。しかし私はそう感じませんでした。私は母のことをほとんど知りませんし、父ともめったに会ったことがありませんでした。それに、私には子どももいませんでした。

ベネディクトゥス
あなたは完全な人間とは言えません。ですから、あなたの哲学もまた完全ではありません。あなたは貧乏人の生活を知っていますか。

ヴォルテール
一面だけはね。しかし私の領地に住む貧民に対しては、公正で役に立つ人間であろうとつとめていました。

ベネディクトゥス
ええ、あなたはよい領主でした。そして住民には宗教的な教訓や礼拝を守らせ、彼らの慰めとなっている信仰がいつも新鮮に保たれるようめんどうを見て来られた。しかし同時に、墓所の彼方に希望は持てないというあなたのすさんだ教えが、フランス全土に広がっていたのです。ド・ミュッセの疑問に答えたことがありますか。貧民は貧民の手で、自分たちの行くべき天国を地上につくらなければならないということ、また彼らが支配者を虐殺すれば新しい支配者があらわれるが、貧困は以前にも増して無秩序と不安定な状態で続くということをあなたやあなたの追随者が教えたあとで、あなたは打ちのめされた貧民に何と言って慰めてやりますか。

ヴォルテール
私は支配者を殺せとはすすめませんでした。新しい支配者もまえの支配者とあまり変わらず、たださらに悪い風潮がもたらされると思ったのです。

ベネディクトゥス
革命は絶対に正当化されないとは言いますまい。ただ長い間蓄積され、いまなお残っている階級制度の経験から見て、何度政府が転覆されても、たちまち主人と臣下、金持ちとかなりの貧民が出てくるということはわかっているのです。人間はすべて平等に生まれついてはいません。そしてすべての発明、すべての複雑化する生活や思想は、単純な人と賢明な人、弱者と強者の差を大きくします。革命家は希望に燃えて自由、平等、博愛を語ります。しかし、この三つの偶像は絶対に共存できません。自由を設ければ自然の不公平が激増して人為的な不公平にまで発展しますが、それを押えるには自由を制限しなければならないのです。そうすればあなた方の自由の理想境はときとして専制主義のために拘束され、博愛主義は大混乱のうちに単なる語句にすぎなくなります。

ヴォルテール
そのとおりです。

ベネディクトゥス
さてそんな場合に、のがれるすべもなく打ちのめされた大多数の人をより多く慰められるのは、私たちのうちのどちらになりますか。あなたはフランスやイタリアの労働者に向かって、路傍の教会や十字架や宗教的な像、熱心な礼拝などはすべて無意味な虚礼で、祈りの彼方には空虚な空があるのだと説得することが、彼らのためだとでも考えているのですか。人生はむなしく、ただ存在するための苦しみがあるだけで、死以外に確かなものは何一つないと信じさせることほど大きな悲劇がほかにあり得るでしょうか。

ヴォルテール
あなたの気持ちはよくわかります、教父さま。私はド・モルタン夫人から来た手紙を見て動かされると同時に、困惑しました。私はその内容をよく覚えています。「先生、哲学者は人類から悪と不幸を少しでもなくす努力をするためにだけ、書物を書かねばならないのだと思います。ところが、あなたは全く反対のことをしていらっしゃる。あなたは悪を押え、悩む者に慰めを与える唯一の宗教に反対することだけを常々書いていらっしゃる」。しかし私は私なりに、究極的には貧乏人にとっても心理は喜ばしいものになるという信念を持っています。

ベネディクトゥス
真理はどんな時代にも真理であり続けなければ、真理とは言えません。過去の年代の人はあなたを中傷し、未来の人はあなたを非難するでしょう。人生の戦いに勝った人でも、社会のある階層にやむなく置かれた貧しい地位の人びとがかろうじて持っている希望を、あなたが取り上げたと言って非難するでしょう。

ヴォルテール
私は貧しい人びとを、そのように二重に惑わすつもりはありません。

ベネディクトゥス
われわれは彼らを欺きません。彼らに信仰と希望と慈善を教え、この三つが人間生活への真の贈り物だと考えているのです。あなたは三つの神格についてつまらない茶化し方をなさいました。しかし神が彼らと苦しみをともにし、彼らの罪をあがなうためにこの世に来たと思うだけでも、数百万の人の魂の慰めになっているということを考えたことがありますか。あなたは処女降誕を嘲笑しました。しかし文学上、婦人のつつましさと母性愛をこれほど美しく、また感銘深く象徴したものがほかにありますか。

ヴォルテール
あれは確かに美しい物語です。あなたが私の九十九の作品全部を読んでおられたら、私があの慰めの神話の価値を認めていたことにお気づきになったでしょう。

ベネディクトゥス
われわれはあのような物語を、神話とは受け取っていません。あれはみな深い真理です。歴史上、最も確実な事実と認められているものばかりです。そこから出発した美術や音楽については、何も言いますまい。それは人間が受け継いで来た最も美しい部分ですから。

ヴォルテール
美術はみごとです。しかしあなた方のグレゴリオ聖歌は、陰気でうんざりですね。

ベネディクトゥス
あなたがもう少し敬虔な気持ちを持っていれば、私たちの儀式や秘跡の価値がわかるでしょう。あの儀式は礼拝の参会者一同を生きたドラマに引き込み、兄弟の交わりを感じさせるのです。秘跡はいわば内的恩寵の外的なしるしだとわれわれは言っています。洗礼や堅信礼を通してわが子が信徒の仲間入りをし、昔から伝わる信仰を受け継いで行くのを見ることは、両親にとっては一つの慰めなのです。このようにして、人びとは時間を超越した家族として結ばれて、それぞれが孤独を感じる必要はなくなるのです。罪の告白や罪の許しは、罪人への恩恵です。そうすればまた罪を犯させるだけだとおっしゃるかもしれません。われわれとしては罪の重荷をおろし、よりよい生活を始めさせる勇気を与えるのだと言いたいのです。あなた方の精神病理学者は、告白にかわる何かをさがして苦労しているのではありませんか。そして彼らは治療する一方、多くの神経症患者をつくり出していませんか。聖体の秘跡で弱者が神と結ばれて力を与えられ、励まされるのはすばらしいことではありませんか。子どもたちが最初の聖体拝領に出かける姿ほど美しいものを、ほかに見たことがありますか。

ヴォルテール
私はいまでも、神の身体を食べるという考えに驚いています。それは野蛮な習慣のなごりです。

ベネディクトゥス
あなたはまた内的な恩寵と外的なしるしを混同しています。詭弁を弄することほど、あさはかなことはありません。詭弁はすべてのものを表面だけで判断し、それで思慮深いと思っているのです。現代人の生活は、すべて詭弁のために誤らされています。宗教で言う完全な知性とは、信仰、不信仰、理解という三つの階段を通過して来た人のことです。

ヴォルテール
そうかもしれません。しかし、罪深い高位聖職者の偽善や、まともな考えを持った者の受難が正当化されるわけではありません。

ベネディクトゥス
そうです。われわれがして来たことは悪かった。信仰そのものはよくても、そこに仕える者は誤りにおちいりやすく、罪深い男女なのです。

ヴォルテール
しかし、そこに仕える者が誤りにおちいりやすいなら、なぜ彼らは教皇不可謬説を唱えるのですか。

ベネディクトゥス
教会はその最高職務にある最も根本となる者、最も分別があるとされている者にだけ不可謬説を唱えます。人間の精神や社会が平和になるためには、論争はいずれやめなければなりません。

ヴォルテール
そこで私の人生破滅の原因であり、教会史の不名誉である、窒息しそうな検閲と、野蛮な不寛容の問題に戻るのですね。私は宗教裁判所の扉がまた全部開いているのが見えるようです。

ベネディクトゥス
そうならなければよいのですが。宗教裁判が非常に残酷なものになったのは、教皇の権力が弱かったためです。私の前任者たちは宗教裁判を押えようと努力してきました。

ヴォルテール
教皇も悪かったのです。彼らは十字軍時代に数百人のユダヤ人が殺されるのを平気でながめ、フランス政府をそそのかしてアルビ派を虐殺させました。どれほど魅力があるにしても、これほどの残虐をなお許そうとしている宗教にどうして戻る必要がありますか。

ベネディクトゥス
われわれは時代の習慣に従っていたのです。いまではともに道徳の改善に当たっています。司祭たちを見て下さい。彼らは教育、信仰、行動などの面ですぐれているではありませんか。

ヴォルテール
私もそう聞いています。しかし、それはおそらく彼らに競争相手があるからでしょう。彼らの支持者たちが高い出生率を示して彼らを政治的に優位に立たせたとき、聖職者たちがどうなるかはだれにもわかりません。三世紀ころまでのキリスト教徒は、非常に道徳的にすぐれていたことで知られていました。しかし彼らが権力を握ったとき、どうなったかを御存知でしょう。彼らは宗教上の異説を唱える人びとを、ローマの皇帝を全部合わせてもできなかったほど大量に殺しました。

ベネディクトゥス
われわれの仲間たちは、何とかして教え込もうとしていたのです。今度はもう少しうまくやれるよう願いましょう。

ヴォルテール
教会は、ときにはうまくやりました。イタリア・ルネサンスのころ、あなたの前任者の一部は不信者が貧民からその慰めである信仰を奪い取ろうとしない限り、信仰心がなくてもきれいに許してやりました。私も貧乏人の信仰を破壊するつもりはありません。それに彼らは私の本を読む気づかいはありませんから。

ベネディクトゥス
貧しき者は幸いなり、ですね。

ヴォルテール
ところで私や私と同種の者たちが、まだたくさんいる未熟な人びとを啓蒙するようにつとめ、知識人の思想をあらためて聖職者に支配させないよう断固として妨げることを許していただかなければなりません。もし歴史がわれわれに既成宗教の支配力が本来持つ不寛容に対抗して自分を守ることを教えなかったら、歴史は無価値なものとなりましょう。ベネディクトゥス、私はあなたを敬愛しています。しかし私はやはりヴォルテールであり続けなければなりません。

ベネディクトゥス
神があなたを許したまわれんことを。

ヴォルテール
お許しを、とだけ言わせていただきます。

出典:デュラント『世界の歴史-大革命前夜のフランス』(第29巻)