「あ、ゆうさん、お久しぶり」

 少年に久々に会った。

「あ、久しぶり。間違いなく、久しぶりだね」
「うん、その通りさ」
「うん」

 少年はやや居心地の悪そうな顔をしたが心底から嫌ではないようだ、表情は緩んでいる。

「そう、会ったらさ、言おうと思ってたことがあるんだよね」
「僕に?」
「うん、おれはさ、走る蟻を見たんだよ」

 少年はちょっと冗談っぽく、真面目な表情で言った。

「走る蟻?」
「そう、蟻が走ってるわけさ」

 僕はちょっと考えていろいろな可能性を模索したが、はっきり言ってわからない。

「蟻って走るの?」

 少年はそこで首を振って、溜め息をついた。

「やっぱり、わかっちゃいない。てんで、わかっちゃいないのさ」
「なにを?」
「いや、でもね。おれはそんなゆうさんが好きだよ。ほんとう、感謝してる」
「む、うむ、どういたしまして。光栄だよ」
「だろう」

 少年はにっこりと笑って、僕を見た。
 僕は心の底から少年の笑顔を見れたことに幸せを感じた。
 少年の楽しそうに会話をする姿が、馬鹿みたいだけど、嬉しかった。

「どうしたの?」
「いや、何でもない。ところで、蟻って走るとどんな感じなの?」
「知らない?」
「知らないさ」

 僕は首を振った。

「速いよ」
「歩くのが?」
「いや、違う。それじゃあ、歩くのが速い蟻じゃない」
「ん、まあ、そういうことになるかな」
「なるのさ」

 少年はまたにっこりと笑った。

「走る蟻はね、走っているのさ」
「走れる蟻は?」
「それはまた別」
「へえ」
「そうだね、つまり走る蟻は走ってる蟻なのさ。さすがだね、そこは微妙なところなのさ」
「でも、蟻でしょう」
「蟻さ」
「走れれば走る蟻じゃないの?」
「そう、そこさ」

 少年は口元に笑みをたたえて、斜め下を見た。
 なにを考えているのか、少し寂しそうな表情にも思えた。

「みんな、普通はそう思うんだ。走れれば走る蟻なんだってね」
「けど、違う?」
「そう、違う」

 僕は黙って少年を見つめた。少年の話は面白かったし、ここでこの少年の話を聞かなければ、僕はこれから先の人生でなにかを取りこぼし、自分にとって大事なものを見落としてしまうような気がした。

「歩いてるのが歩く蟻。走っているのが走る蟻」
「歩く蟻が走ったら?」
「いや、違う。そこが違うんだ。歩く蟻は、走れない。走る蟻は、歩けない」
「それじゃあ、蟻にあんまりだ」
「ふふ、まあ、だから微妙なところなのさ」

 少年の口から「微妙」という言葉が出るたびに僕は優しい気持ちになれる。

「曖昧なところが面白いのさ」
「僕もそう思うよ」
「ゆうさんに曖昧なところなんてないじゃない?」
「そりゃ、偏見というものさ。僕は曖昧だからね」

 少年が笑う。

「そうそう、おれはそういうところが好きなのさ」
「光栄だよ」
「だろう」
「僕の真似?」
「そうさ、君の真似さ」

 僕は笑った。

「おれは死なないよ。蟻のようにさ」
「君は蟻じゃない」
「そう、僕は蟻じゃない」
「走る蟻かな?」

 そこで少年は微笑み、頭を下に向けてなにかを考えると、顔を上げて苦笑した。

「おれは走る蟻って柄じゃないのさ」
「そう?」
「たくさん考えたんだもの」
「うん」

 僕は頷いた。
 僕は少年の目を見つめる。少年も僕の目を見つめた。
 なにかが伝わったような気がしたし、なにも伝わらなかったような気もした。

「また、いつか、会いたいな」
「お気の召すままに」
「誰の?」
「誰だろうね」

 少年はけたけたと笑う。

「またね、生きていればまたいつか会えるさ」
「かっこいいじゃないか」
「だろう」

 僕は苦笑した。
 少年は走っていった。
 どこにいくのだろう、不安な気もするし、楽しみな気もする。

 けれど結局は、僕には関係のない、少年の走る蟻。