人を好きになってみて、初めてわかったことがある。それはつまり、僕はいままでに人を好きになったことなど、ただの一度もなかったのだということだ。

僕がそのことを話すと「真顔で言わないで下さいよ」と彼は笑った。別に君のことを好きになったわけではないから安心して聞いてほしいと僕が言うと、彼は本当にちょっと安心した顔をした。安心した気持ちを相手に伝わる程度に表出できるということに憎たらしさを感じつつ、僕は彼にチュッパチャプス(棒付き飴玉のことだ)を与えた。彼の好物なのだ。

女性受けを狙っているとしか僕には思われなかったけれど、あげると確かに嬉しそうな顔をするので、もしかしたら本当に嬉しいのかもしれない。趣味と実益を兼ねているのだろうか、狡猾な男である。せめてもの抵抗として僕はコーラ味を渡した。

僕が彼に喋ったのは、とても危険な女性の話だ。

彼女は僕の心臓に極端な負荷をかけることのできる能力をもっている。いるだけでそれなのだから話にならない。はっきり言うと反則だ。自然界なら天敵といったところだろう。人間は平等ではないと感じた瞬間だ。つまりそれは、僕は彼女のことを好きなのだろうという話なのだ。

比較することができないのでわからない。でも、たぶん、そうなのだ。これがそれなのだ。僕は三日間寝食を忘れて考察した結果を彼に話した。そして、いま話したことはまるっきり無意味なことなのだと言って、彼に頷いた。

それはやや宗教的な考察であったし、「本当に好きになる」という表現の「本当に」に関する考察でもあった。本当の経験や真なる感情などというものがあり得るだろうか。偶然のなかに必然を仕掛けるような真似をなぜするのか。しかし、一般に人々は恋愛なるものをしているのではないか。それを体験する人々は、擬似的にせよ、同じような心境に陥っているのではないのか。

そう、僕がこの考察を続ける際にもっとも疑問だったのは、僕の異変が彼女に対する性的な欲望を含まなかったことだ。それは本能的な衝動というよりは、より理性的な感情に僕には思われた。

しかも始末が悪いことに、僕は彼女に一目惚れしていた。塵も積もれば山となるというけれど、一目も一年積もれば映画一本分くらいにはなる。緊張してしまって、僕は彼女とまともに話もできないのだった。

僕の前に見慣れた人物が現れて、その人物に「知っているとは思うけれど、実は僕が君なんだ」と言われたときも、たぶん、このくらい始末の悪い気持ちになるに違いないと僕は思った。

僕は静かに深呼吸を二回する。
喋りすぎたせいか、頭がぼんやりする。

窓の向こうに眼をやると、巨大な柳がその枝葉を斜めになびかせていた。まるで、その状態があるがままの状態で、外的な作用を受けていないかのようではあるけれど、風に煽られているのだろう。あるいは枝葉以外が傾いているのだろうか。そのようにも感じられる。

不思議な光景だ。
いや、まるで不思議ではないのに不思議な光景に感じられるのが、不思議なのだ。
僕の話を聴きおわると、友人はため息を吐いた。そして、「先輩は本当に馬鹿ですよね」と言った。

その通りだと僕も思った。