なんだか、生きているという感じがしなかった。身の周りにあるあらゆるものたちが、ただそこにあるということだけを主張してどこまでも遠ざかり、僕とはまるで無関係を装い、冷ややかな目で、僕が叫びだすのをこころ待ちにしているように感じた。

 僕はそのような場所で生きていて、そして、まるで生きていないようだと感じているのだった。せめて、たったひとりの人だけでも僕の身体に触れていてくれたら。そう思うことは何度もあった。けれど、僕はそれほど都合の良いことを他人に求めるほど傲慢ではなかったし、素直に助けを求めるほどの強さも持ち合わせてはいなかった。

 しかし、別に僕はそうやって孤独な自己に陶酔するわけでも、客観的に分析した自分を否定するわけでもない。むしろ、そうやって生きている感じがしないということがとても現実的に感じられて、そうやってゆらゆらと揺れながら、揺られながら、それでも生きているということは、たぶん、格別に贅沢なことで、幸福なことなのではないかと思っていた。僕はもう、そこに僕がいるというだけでなにを埋め合わせる必要もないほど満足していたのである。

 ただ、そのようにして、それ以上なにも望むことのない幸福を得てしまうということは結局のところ、なによりも死に近いということなのだ。だから、周りのあらゆるものたちの僕に投げ付ける暗黙の視線は、僕が強情に黙り、そして関わりを求めもしないことによって、次第に単なる沈黙に変化していったのだ。あとには静かな濃淡の模様が、少し残念そうに壁に張り付いているだけなのだった。

 僕は触れることも触れられることも求めずに、語りかけることもせずに、ただ語りかけられることを待っていた。すでに満たされ、沈黙のなかで目を見開いていただけなのにもかかわらず、僕はなぜか、そのような望みを抱いてしまっていたのである。あまりにも危険なその望みは、どこからきて、そして、僕をどこに連れ去るつもりだったのだろう。

 しかし、僕はその願望を叶えるということのために、なにかを失うということをあまりにも恐れた。得るために捨てることも、奪うために与えることも、鏡が光を返すように美しいものではなかった。だから、そうしてできあがった哀れな存在は、陽光の下で踊ることができないばかりか、太陽に魅せられた月光を浴びてなお、穏やかにそれを眺めるということすらできなかったのである。

 僕が空隙のまるでない笑顔を、どの瞬間に、どのようにして失ってしまったかということはすでに忘れてしまった。もう、それを忘れるという表現で言い表すことが妥当なのかどうかすら定かではない。いずれにせよ、僕が再び笑顔を取り返したときには、もう、素直に笑うことなどできはしなかったのだ。どうして、そのような不気味で奇妙なことが自然にできると信じることができるだろう。そして、そのようなことを信じる必要などないということも、僕は信じることができなかったのだ。

 どこまでも僕は弱い。だからこそ、僕は強さを身に纏うのだ。生き続けるために。