24日(水)「意味論的に降下し、実践において示すことは、語る者を無視する態度を要請する」
23日(火)「循環することを嫌悪することはない、むしろ、有意義な反復こそが現実を育てる」
22日(月)「世界は各人の現実を受容し吸収することで、意味を帯びたものとして生成される」
21日(日)「世界の客観性はなにに担保されているのか、それは世界を同定する人々にだろう」
20日(土)「主観に基いて客観を構成する、客観に基いて主観を定立する、ここに循環がある」
19日(金)「ここには主観と客観、相対と絶対という二項対立における説明のジレンマがある」
18日(木)「人は主観を客観的に把握する、その他にどうやって主観なるものを定立できるか」
17日(水)「人はどうして客観性を求めるのか、人は客観性をどのように用いているだろうか」
16日(火)「主観の限界にあるような「私」なるものを確信することは幸福な誤謬なのだろう」
15日(月)「客観の限界にあるような「世界」なるものを措定することは危険な統一でもある」
14日(日)「定冠詞付きの世界が消失するとき、定冠詞付きの人格もまた消失しているだろう」
13日(土)「集まりのなかから自然に生じた常識は規範性を帯びることで独立した領域となる」
12日(金)「ゆえにこの常識は公共的ではあるが、客観的ではありえないということがわかる」
11日(木)「この意味合いにおいて、常識は常識ではないということは常識であると言いうる」
10日(水)「あらゆる議論領域は常識に底打ちされる、議論の成立に世界観はこうして関わる」
09日(火)「常識は確認するときに公共的なものになり、証明するときに客観的なものになる」
08日(月)「常識は明示化されることで、他者に把握される対象として認められることになる」
07日(日)「だから、常識と思われているものは公共的でも客観的でもない、その必要がない」
06日(土)「常識は現実の共有により生成される、常識は合意によって形成されるのではない」
05日(金)「現実が感染する以上、人間の現実は似通ったものになる、そこに常識もまたある」
04日(木)「大まかに言うなら、それは人に残す場合と、物に残す場合の二種類に分けられる」
03日(水)「したがって、人が存在を永続させたいと思うとき、それには二種類の手法がある」
02日(火)「彼自身と彼の現実、すなわち、彼の存在は二種類の影響力を内包した存在である」
01日(月)「人は表現されぬものに感染することもある、それは彼自身に感化されたのである」



30日(日)「具象化とは知覚可能な仕方で表現しうるということであり表現である必要はない」
29日(土)「現実とは具象化された思考とも言うことができる、思考は表現できる必要がある」
28日(金)「現実においては、実在も虚構も同程度の影響力をもった存在として認められうる」
27日(木)「普段、人は対象や存在について思考しない、思考は具象化されて影響力を有する」
26日(水)「なにを対象として認め、存在として措定するかは、それの属する体系に依存する」
25日(火)「私はいま世界のうちに、反省能力をもった人間とその現実を含めて考察している」
24日(月)「現実の不安定さは現実を構成する事態を形成する要素の不安定さに起因している」
23日(日)「当然、個々人の世界観は世界全体を見渡したものではない、それが現実の実態だ」
22日(土)「なぜなら、個々人の現実、個々人の世界観もまた、世界のうちにあるからである」
21日(金)「ただ、個々人の現実は世界を構成する要素ではある、世界は更新され続けている」
20日(木)「個々人の現実はそれぞれの世界を形成する、という言葉遣いは混乱を導きやすい」
19日(水)「世界と彼の現実が一致している領域はセカイになる、そのとき、世界は縮退する」
18日(火)「彼と彼の現実を合わせて私は彼の存在と呼ぶ、ある面、彼の存在は不安定である」
17日(月)「個々人の世界観を私は現実と呼ぶ、私の現実は他者の現実なしにあり得なかった」
16日(日)「価値は世界のうちにある、そして、私の世界観も、私とともに世界のうちにある」
15日(土)「価値とは世界の観方である、私は他者の世界観に魅了され、その価値に感染する」
14日(金)「価値とはなにか、価値は世界のうちにないのか、私はどこで価値を獲得したのか」
13日(木)「世界を観るとは一定の価値を規準にして己の認識を言語化することに他ならない」
12日(水)「感情のような内的な彩りは認識に影響を与えはするが認識のなかに現れはしない」
11日(火)「言語を学ぶという活動は、あらゆる学習がそうであるように社会的な活動である」
10日(月)「同一言語でも各界隈によって用いている言語が異なると言うことは奇妙ではない」
09日(日)「意志の伝達と意思の疎通は異なる、伝達は理解により疎通は共感により成される」
08日(土)「相互の信念を言語を介して把握するとき私の信念は私の認識に裏付けられている」
07日(金)「他者との伝達に用いられるのが言語なら相当数の表現は言語として認められうる」
06日(木)「私の認識は他者に伝達される限りにおいて私の認識としての身分を持ちうるのだ」
05日(水)「私は立派な人になろうとする、立派な人とはなにか、ここに人間の気高さがある」
04日(火)「我々はヒトという存在を擬人化する、やはり人は人になろうとして人になるのだ」
03日(月)「曖昧な豊かさは表出したいという意志と結び付いて様々な表現として姿を表わす」
02日(日)「僕は人間の内的豊かさを否定しない、しかし、それは神秘ではない、自然である」
01日(土)「私の認識が他者に影響を与えるためには、その認識はコード化される必要がある」



31日(金)「私の認識は私だけのものであるとするなら、それは「認識」という名に値しない」
30日(木)「世界を観るということは個々人の認識と関わりはするが、隠秘的な営為ではない」
29日(水)「こうして人は間抜けな問いを発するようになる、私はいったい、どこにいるのか」
28日(火)「物自体には到達不可能であり、物自体に到達しようとするものにも到達不可能だ」
27日(月)「直観の形式は人自体の性格に関することであって、語り得るものではないだろう」
26日(日)「種の本性により認識能力の差異はあるだろうけれど、それは身体的探究の範疇だ」
25日(土)「認識を成立させるためには概念の枠組を必要とするという発想は父性的なものだ」
24日(金)「言語上の問題を言葉遊びと嗤う人は、神秘主義者か不遜な形式主義者なのだろう」
23日(木)「いまや世界観も世界の範疇にある、そのとき存在は物自体から浮び上がっている」
22日(水)「世界観を統一するためになにをするのか、それは第一に用いる言語の統一である」
21日(火)「分野によって共有する世界観が異なることは当然ある、その逆も同じようにある」
20日(月)「世界があり各人の現実がある、言語があり各人の解釈がある、これは同じことだ」
19日(日)「各人の現実とは各人の世界観のことだ、しかし、世界を観るとはどういうことか」
18日(土)「人の影響を受けるとはどういうことか、それは、その人の現実に感染することだ」
17日(金)「各人の現実とはなにか、誤解を恐れずに言うと、それは各人の存在のことである」
16日(木)「現実は事実と虚構を含む、個体領域の置き方に応じて各人の現実が認められうる」
15日(水)「分析の最小単位をどこに設定するかは、構成要素の融通のしやすさで大体決まる」
14日(火)「解明のさなかにわかるのはおよそ常識の強固さであり、当たり前の精緻さである」
13日(月)「事実の溶け込まさっているような状況なるものを想定すると穏当に説明しうるか」
12日(日)「ここで事実の内的連結性ないし因果的連鎖を持ち出すのは論点先取ではないのか」
11日(土)「言語化されていない事実といった潜在的な豊かさはどこから引き出されているか」
10日(金)「事実や事実の総体を、人や人の用いる言語の恣意性から切り離すことはできるか」
09日(木)「実際、科学ほど盲目に信仰されているものもない、だから新興勢力に利用される」
08日(水)「信仰前提の変化というのは信じるものの変化ではない、信じる仕方の変化である」
07日(火)「信じるという行為の帰結は盲目的であるけれど信じるという行為は盲目ではない」
06日(月)「宗教を信仰するとはいかなることか、宗教の変化とは信仰形態の変化ではないか」
05日(日)「科学を信仰していますと言う人は、宗教を信仰していますという台詞も許容する」
04日(土)「「世界」に関する言語ゲームの多様化は、翻っては共通の基盤を探し求めている」
03日(金)「徹底した懐疑論が念頭にあるとき、判断は常に世界を規定する決意とともにある」
02日(木)「同一性言明は端的に事実を表現しているのではなく事実なるものを主張している」
01日(水)「他人の問題を他人の問題として受容するところに自分にとっての問題が生まれる」



31日(火)「他人の問題を自分の問題として思考するということに、僕は気持ち悪さを感じる」
30日(月)「僕は君に何も教えられない、それでも君に僕をもっと知ってもらうことはできる」
29日(日)「世界の理解というのは通常、相対的全体としての記号的宇宙を捉えることである」
28日(土)「現実を可能性の一種としてみることは、現実と現実の関わりのなかで価値をもつ」
27日(金)「擬人化と同一化というのは人の理解にとって非常に強力な装置であるに違いない」
26日(木)「事柄の単なる記号化はいまだ理解ではない、理解の対象は究極的には他者である」
25日(水)「コミュニケーションにとって規則や規約は本質的ではないけれど基礎的ではある」
24日(火)「我々はそこでともに論じ合うことのできるような何かしらの基盤を共有している」
23日(月)「語りを続けているうちに、語る必要のないことに語る価値が生まれることもある」
22日(日)「正義の要らない社会と正義が適切に行使されている社会は、どちらがより穏当か」
21日(土)「倫理的感性を普遍化して人を道徳的本性に閉じ込めようとする発想には辟易する」
20日(金)「純粋な私的言語は自覚すらされない、それは私的言語として言語を纏って現れる」
19日(木)「私的言語はもはや言語とはいいがたい、それは言語というより習慣に近いだろう」
18日(水)「私的言語は潜在的にはあり得るけれど、それを把握することは何者にもできない」
17日(火)「まったき私的言語を把握しようとする私は何者なのか。そうした者はあり得ない」
16日(月)「なにも隠されてはいない、その通り、そして、すべてが現れているわけでもない」
15日(日)「内側に向かって本質を探究する人は限界的なものとしてしか本質を把握できない」
14日(土)「内側と外側という比喩を用いるとき、その二領野を確認できることは前提にある」
13日(金)「集合論と圏論はともに適切な研究領域であるが、その相違はなにを含意するのか」
12日(木)「運動しているものと運動はどちらがより本質的なのかと問うことは適切であるか」
11日(水)「私が私という運動であるのなら、私として運動しているものはなにかと問われる」
10日(火)「私が純粋な作用であるのなら、私に働きかける私とはいったい何者なのだろうか」
09日(月)「比較不能な差異とはなにか、我々は比較不能な差異をどうして想定したがるのか」
08日(日)「私とあなたの視野の差異を説明するとき、私はなにを規準にそれを区別するのか」
07日(土)「もちろん、人間の言語実践はなにも形式的な世界の記述にとどまるものではない」
06日(金)「科学的世界のなかに自意識をもった対象を存在させることは穏当な見方ではない」
05日(木)「世界を記述する、というときに目的となるのは、なにかしら形式的な世界だろう」
04日(水)「宇宙の法則、物理法則や論理法則が我々の習慣を裏切る可能性すら残されている」
03日(火)「現実が論理を逸脱する可能性は常に残されている、それは論理的に残されている」
02日(月)「人生に勝ち負けはないけれど、それでもやはり人生は戦いの舞台ではあるだろう」
01日(日)「言語の意味は諸言語において解明される、文脈原理をさらに拡張するとこうなる」



30日(土)「私の理解は常に不充分であるように思われる、私は常に理解を更新し続けている」
29日(金)「私はなにを理解するのか、理解は状態なのか、むしろ理解するという活動なのか」
28日(木)「無根拠な豊かさや曖昧さ、自他の差異を最後の防波堤として認めるのは優しさか」
27日(水)「理解の全体を説明することはできるだろうか、理解の豊かさは幻影なのだろうか」
26日(火)「解明とはいったいなにか、それは説明ではない、いうなら、世界の開示だろうか」
25日(月)「私は表現されるものを表現しようとしてしまう、ただ、それは適切な姿でもある」
24日(日)「人はときおり必死に指し示そうとする、私とあなたというこの距離が階梯を生む」
23日(土)「我々は類推の山を体験する、より高所で見た記憶によって低所を進む技術がある」
22日(金)「我々は言語に飛び込むことにより意味論的に降下する、梯子はむしろ無視される」
21日(木)「規則の規範性を受容することは、それらの把握や理解や解釈とは根本的に異なる」
20日(水)「規範の必要を日常のなかに求めるのか有事のなかに求めるのかで方針は二分する」
19日(火)「規則の規範性はどこにあるのか、それはそれ自身に盲目的になるところに存する」
18日(月)「私が私の規則に従っているということは、実際、私の人生に何も付加していない」
17日(日)「我々は規則に飛び込む、人が規則に従うということはそのようにして生じている」
16日(土)「通常、規則に従わせることによって、規則に従うことを規則付けることができる」
15日(金)「こうした問いかけの場面に必要なのは説明や説得ではない、むしろ、慈悲である」
14日(木)「どうして私はその規則に従うのか、「規則」を自覚したときに人はそう問いうる」
13日(水)「ときにそれは打算であるけれど、規則に従おうとする意志が人を規則に従わせる」
12日(火)「本来、人は規則とともに生きるのであって規則に従って生きるというのではない」
11日(月)「規則の定立も改定もその適用に存する、行為と命題、実践と説明には間隙がある」
10日(日)「規則の定立とその改定を命題で把握しようとするなら、私の規則は不可能となる」
09日(土)「私が私の規則を改定するとき、私は私の規則に従って規則を改定できるだろうか」
08日(金)「私は私の規則に従いうるが、同時に私は私のその規則を改定しうる立場にもある」
07日(木)「同じことを違う表現で語れるとき、常にそれは分析が先に進んだことを示唆する」
06日(水)「独我の極北には忘我がある、私は私の世界を生きるということの不可能性を悟る」
05日(火)「自覚とは近似的なもので一回性を極度に尊重するなら、自覚することもできない」
04日(月)「ここでも選択肢は複数ある、世界観ということだとリアリティがもっとも重要だ」
03日(日)「超越論的な内部は超越的な外部に直結することで、自分を含めた世界を回復する」
02日(土)「独我的見解の最深層で人は宗教的になる、信仰という行為のもとで、誠実になる」
01日(金)「自分のあり方の根拠を内部に求めると、外部を切断することで独我論に漂着する」



31日(木)「あるということで最初に、無色の一を考えるか、未分の多を考えるかは生き方だ」
30日(水)「しかし、ある、それも、ただある、というものしか残らないのはおかしいだろう」
29日(火)「何かがあってほしい、なければいけない、やはり僕はそういう風に思ってしまう」
28日(月)「なにかを残そうとして壊しているうちは新しい視座には至らないのかもしれない」
27日(日)「思考し続ける私とは、メタ言語の外側に向かおうとする働きの軌跡のことである」
26日(土)「ここに形而上学的な私を措定する必要はない、作用に反作用が伴っているだけだ」
25日(金)「物語ることで同定される自己は常に読まれることで場所を保ち、場所を移動する」
24日(木)「認められないことに直面したときに私の分析は始まる、思考は探究の訓練である」
23日(水)「最初に何かを認めないと分析は始まらないのか、むしろ、それは逆ではないのか」
22日(火)「私となにも共有しない存在を他者というとき、他者は限界概念として彼岸にいる」
21日(月)「私と他者が大筋において似かよっているという信頼は無根拠ではあれ自然である」
20日(日)「他者に語ることで抜け道ができる、他者として語ることで、私は群れに帰属する」
19日(土)「限界概念としての基体には常に到達可能ではある、しかし、到達することはない」
18日(金)「悟性は意識一般について循環する、日常的な場面なら、それは本質的に思われる」
17日(木)「私自身を作用と内容とに分離しようとするとき、その「作用」は常に内容である」
16日(水)「感覚与件言語は独我論を引き寄せる、それはコミュニケーション不全の独我論だ」
15日(火)「いかに些細な差異であれ、そこに差異があるのなら、それは明らかな差異である」
14日(月)「語り得ない私を語りたい私、それこそ、私が本当に語りたかった私ではないのか」
13日(日)「ロゴスの精確さや精密さは、言語活動と言語体系の多様性と多層性のなかにある」
12日(土)「感じていることの豊かさを否定はしない、ただ、その客観性や現実性は疑わしい」
11日(金)「なにが証明されることになるのかが理解されないままに厳密な証明はなされうる」
10日(木)「理解しようとされる限り、私は常に誤解される、私は受容されなければならない」
09日(水)「言語の衣装を纏っている私、いや違う、私は言語的な私としてまさにここにいる」
08日(火)「私の跳躍を感じることはなにも不思議ではない、むしろ断絶と連続はそこにある」
07日(月)「としての私は私の人生という脈絡において問われねばならない、私は分析される」
06日(日)「私を統べる私、私を支える私、原子論的に私を構成しようとする試みは息苦しい」
05日(土)「意識主体である私はたしかにいる、もしそう語れるなら、僕はそれにひれ伏そう」
04日(金)「生の意味とは実際に生きてみせることだろう、私は生きるために生きてはいない」
03日(木)「行為が意志を示し、価値を見定めようとする、人は惑うことで内省し、自覚する」
02日(水)「語り得ない私を語ろうとするとき、私がどうして語るのかは示されねばならない」
01日(火)「閉じた自己規定が悪いわけではない、ただ、それは共同的な世界に不向きなのだ」



30日(月)「成立していないという仕方で成立し、知らないという仕方で知っている静の世界」
29日(日)「論理が語り得ないのは、写し取るという行為が私の具体化に本質的だからである」
28日(土)「私を対象化するときに、そこに自意識を入れることでモデルは根本的に変容する」
27日(金)「私を見る私の眼差しは他者の眼差しとなにも違わない、自覚において同等である」
26日(木)「私は私を裏切ることができる、私は私を殺すのではない、私は私に殺されている」
25日(水)「自殺者の魂を解放してやれないような自己論は不十分だろう、私は私に殺される」
24日(火)「私は変化する、変化しているほうこそ本質である、私は私の総体から自由なのだ」
23日(月)「内側にも客観性があるからこそ、内側の像の逆写像を外側に投影することもある」
22日(日)「彼は己の独我的世界に没入して行動しているにも関わらず、完全に実在的である」
21日(土)「無我夢中に何かをしているとき、私はいない、ただ没頭している行為のみがある」
20日(金)「端的な「私」はいない、いる必要性もない、私はただ「としてある」のみである」
19日(木)「根源的な場所において、私はない、ここにはいかなる不思議さもない、私はない」
18日(水)「主体としての私はないのではない、常に不定なのだ、主体を語ることはできない」
17日(火)「私の総体は主体としての私では決してない、私は収束しない、私は発散し続ける」
16日(月)「私の世界とは、私の総体に囲まれた領域のことである、私の世界は変化し続ける」
15日(日)「対象化された内側は、外側と同じだけの客観性をもって語られなければならない」
14日(土)「我々は言語を用いてこの連動を示そうとする、メタ言語の外側に向かおうとする」
13日(金)「私の内側と外側は究極的には厳密に連動する、この理想はミクロコスモスをなす」
12日(木)「環としての私に窓はない、その意味合いにおいて、私の豊かさは皆に同等である」
11日(水)「考察は生まれるのではない、考察は始まる、考察を始める何者かは前提にされる」
10日(火)「考察は始まる、内側の向こうに他者としての私を見るときに、私の考察は始まる」
09日(月)「私は私の外側を眺めるのと同じようにして、私の内側を眺めることもまたできる」
08日(日)「形而上学的な点としての私はおかしい、形而上学的な環ないし殻として私はある」
07日(土)「もし、私は私でしかないのなら、どうして私は私だと知ることができるだろうか」
06日(金)「主観が目的を目指すというよりは、目的を定めたときに主観が浮上するのである」
05日(木)「眼差しとは点から全体に照射する光ではなくて、全体から点に収束する光である」
04日(水)「「私」から「私の総体」に、「眼」から「眼差し」にヘッドウェアを換装しよう」
03日(火)「内側に程度はない、すなわち、私は内側と外側の境界、それらの限界にいるのだ」
02日(月)「内側の内側の内側にいる私は誰の内側にいるのか、どうして私は内側を知るのか」
01日(日)「能動・受動の二分法を前提にして「私」を探求することは厳密には間違っている」



31日(土)「その行為は損だと示唆することが諭しの本質であり、これは叱りより怒りに近い」
30日(金)「サドは自己言及的な性格のためマゾを含意しているが、マゾはサドを含意しない」
29日(木)「不条理をも受け容れる器を持たずして、不条理に陥らない器を構成できるものか」
28日(水)「思考行為が知覚可能な仕方で表出されるとき、それは常に破壊的活動としてある」
27日(火)「落ち込むことも許されない関係性において、停滞は生命の維持を含意していない」
26日(月)「距離感のあることが問題なのではない、距離感すらないということが問題なのだ」
25日(日)「意志を否定する意志はどうやっても相対的には思われない、意志は屹立している」
24日(土)「探究には目的がなければならない、しかし、探究行為それ自身も目的になりうる」
23日(金)「学習するようにして教授する、主張から我を消す技能は主張する人の人柄に宿る」
22日(木)「主張は主張する人がいて成立する、しかし純粋な主張はそれを超越して成立する」
21日(水)「価値があると思い込めることは才能だ、その価値に見合うだけの探究をすべきだ」
20日(火)「非時間的なものや無時間的なものは我々の時間に触発されていることで動きだす」
19日(月)「研ぎ澄まされる魅力もあれば、醸される魅力もある、いろいろあることが大切だ」
18日(日)「人間に寛容になるということは、滅私の姿勢を受容する用意があるということだ」
17日(土)「理想的な世界に住むのは危険だ、そこに住むのは理想的な人間ではないのだから」
16日(金)「大勢の人間がいるのに覗き穴は一個しかない、その覗かれる世界に人は住めない」
15日(木)「あるがままにある世界(1)に人はいるのか、いる、ただし摩擦はないものとする」
14日(水)「現に生きているということから、どこで・なにが・いかにという問いが生まれる」
13日(火)「超越論的観点を閉じるには上を無視するというより下を見ないようにすることだ」
12日(月)「生身の問題というのは構成されるものではない、その問題は現にそこにあるのだ」
11日(日)「私は常にひとり、それは間違ってはいないだろう、ただ、その態度が誤りなのだ」
10日(土)「世界を破壊することでセカイは濃密になる、しかし、その世界は空洞化している」
09日(金)「真理への意志、権力への意志、建築への意志、これらは欠いてはならないものだ」
08日(木)「意識→態度→体質→構造の順番が理想的だが、実効的には、この順番は逆転する」
07日(水)「できるということと同様に、やらないということを実質化することは強みとなる」
06日(火)「過去の言葉を大事にしすぎていては学識に血は通わない、たしかに死に体である」
05日(月)「期待は裏切られるものだ、裏切られても価値があるからこそ、それは期待なのだ」
04日(日)「事後的に規約化された言語のある世界に寄り添って「私」は産み落とされている」
03日(土)「人間の言語が複雑化した単なる信号であるとしても、それは構わないし仕方ない」
02日(金)「誰であれ、相手を一個の対等な人間として扱えないことを少なくとも僕は恥じる」
01日(木)「どれだけ武装したところで本質が無防備な万能感である限り、その人は間抜けだ」



28日(水)「しかし、視点は自由になる、人は自分の決意によって文脈を選択することになる」
27日(火)「その脅迫すら自覚されるとき、人は間違うことすらできない位置に立たされる」
26日(月)「自覚が肥大化すると過剰な疑問に襲われる、お前は間違っていると脅迫される」
25日(日)「もちろんできる、我々は何に立っているのかを知らずに立っていることができる」
24日(土)「我々は自分の足の裏の下を一度も確認することなしに歩むことができるだろうか」
23日(金)「現実は世界よりも幅広い、しかし、世界にはそれを受け容れるだけの深さがある」
22日(木)「しかし、世界(2.063)においては、成立していないということすら成立している」
21日(水)「世界に多様性はない、世界の受けとめ方に多様性がある、現実は世界より幅広い」
20日(火)「何の目的もない人にとって、価値や存在にどれほどの真理が含まれているものか」
19日(月)「価値も存在も多相的である、目的を看取できぬときにそれを混同し本質を見誤る」
18日(日)「一芸万事に通じながらにして木を見て森を見ず、これでは相似性を追いきれない」
17日(土)「より大きな文脈との親和性を発見しつつ自分の異邦さを知るとき、壁は霧消する」
16日(金)「その価値にどのような態度をとるかということが価値を現実化する契機となる」
15日(木)「価値が存在に寄り添うのなら、むしろ、価値を認めるという行為は独立している」
14日(水)「その敬いが憤りを生み、不和をもたらす、言葉にできぬ羨みとはそういうものだ」
13日(火)「美しいものに価値があるからといって美しからぬものに価値がないわけではない」
12日(月)「最適さや調和することの必要性を無視して鋭利な生命に涙するのは危険なことだ」
11日(日)「すでに自分が価値とともにあることを忘れるとき、人は価値にめまいを感じる」
10日(土)「もし人間の生命が対称的だとしたら、人類の目的は母の胎内に還ることになる」
09日(金)「知ることによる楽しさを享受できたことのない人に知ることの楽しさは難しい」
08日(木)「託す、託されるという事象を把握するためには特別な感応力が必要とされる」
07日(水)「上に上にと登っていったら最上部が最下部に通じていた塔は実に印象的である」
06日(火)「人間の言語使用の仕組みを解明しようという試みは、組織的な目的に違いない」
05日(月)「我々は通常、二階ないし一階や三階で生活している、それが無難で誠実な日常だ」
04日(日)「思考の海は否定的な水で満たされ、衝動的な感情の風は陸地にも押し寄せる」
03日(土)「賢い人間の聡い言葉は身にしみる、しかし、胸を抉るほどの理不尽さはない」
02日(金)「語る必要のなさまで語ろうとする、語らざるをえない、これこそ人間の業だろう」
01日(木)「ウィトゲンシュタインは語り得ぬものに「語り得ぬ」という価値を与えている」



31日(水)「悟りによる理解はなにかに直結してしまうが、岩盤に直結するとは限らない」
30日(火)「端的に思うに、悟りとは非常に高次の理解だろう、そこでは理解行為が縮退する」
29日(月)「存在のスペクトル:多様な地図がありうるように多様な存在論の体系がありうる」
28日(日)「存在論はその存在を言明することに価値がある限りにおいてなされるべきである」
27日(土)「我々は岩盤を忘れてはならないのだ、複雑で不透明な地図に溺れてはいけない」
26日(金)「はたして否定の承認は、肯定の承認と同じように行為の指針となりうるだろうか」
25日(木)「いったいどれだけ敬虔な価値観で現実を生きると、真理以外が虚偽になるのか」
24日(水)「自覚なき犯罪が罪深いように、真偽に到達できない問いもまた罪深いものだろう」
23日(火)「虚偽は真理に値しないと言うと誤解を与える、虚偽は真理にきわめて近いからだ」
22日(月)「比喩が実効的でありうる現実性を受容することは、実は真摯な態度でありうる」
21日(日)「私の内側と私の外側は連動している、私の言語はその連動を示すのだろう」
20日(土)「私は私の外側を眺めている、ただそのとき、私は私の内側を眺めることもできる」
19日(金)「機械が人間にではなく、人間が機械になりきらないということが大切なのだ」
18日(木)「真理としての価値が真理を育み、虚偽としての価値が虚偽を育む」
17日(水)「魂を尊重する限りにおいて、人はまさにその人として他に干渉できるのだろう」
16日(火)「愛が人の数だけあるとしても、愛のために途方に暮れる人の助けにはならない」
15日(月)「手元にあることがその価値を損ねることを悟るとき、人は願望を過去形で表す」
14日(日)「すると私は内側にも外側にもいない、私の限界は水のように器に象る」
13日(土)「基体は点なのか、別に円形でも構わないだろう、内側にも外側にも中心などない」
12日(金)「感じられるものを対象化することの利点は、感じるものを対象化できることだ」
11日(木)「私は他者が痛みを感じていない感覚をもっているのか、これはわけがわからない」
10日(水)「己の過去を慕う人は自分に自信があるのだろう、僕はできるだけ透明になりたい」
09日(火)「哲学が時間のなかにおかれるとき、それはなにかしらの価値に働きかける」
08日(月)「信じ続けるということは、信じなければならないほど疑い続けるということだ」
07日(日)「答を出し続けるということは、同時にそれらを信じ続けるということでもある」
06日(土)「我々に問題とできるのは神の存在ではなく、神の存在を問題とするかどうかだ」
05日(金)「神の存在を認めるということは前提の後ろに仮定を認めるということではないか」
04日(木)「逆説的に思われるかもしれないけれども、問い続けるには答を出し続けることだ」
03日(水)「結果のない原因は原因であるか、現在を原因としてみるとき未来を想像はできる」
02日(火)「語り得ないものを示そうとする言葉が実際にあるということは無視できない」
01日(月)「生きるというのはほとほと恥をかき続け、それを取り繕い続けるようなものだ」



31日(日)「人の人生とは託されるものだ、閉じた人生の所有者はその人生の主人ではない」
30日(土)「自分の人生が自分を示しているということがあるだろうか、もちろん決してない」
29日(金)「言語と存在が随伴生起しているなら、両者の模型的関係は同語反復的でもある」
28日(木)「関わりのなかになにがあるのかと問う人は、関わりのうちに価値を求められない」
27日(水)「神や純粋学問のように人間から遠ざかるほど優しいという誤解には共感できる」
26日(火)「人間関係の距離感という観点でみると、日常言語は紳士的だということがわかる」
25日(月)「凡人における思考の経済の最初の一歩は、その経済性に自覚的になることである」
24日(日)「論理が直観の形式であるのなら、それは時間や空間の形式に先立っているだろう」
23日(土)「生きるということが戦いではないとしても、それでもやはり勝負ではあるのだ」
22日(金)「人は言語を用いて何かを示す代わりに、人生を用いて何かを示すこともできる」
21日(木)「真理とは言語以上に人生にかかわるものだと確信する人は完全に正しい」
20日(水)「真理とは存在を規定するような価値であり、真理が問題になりうるのは言語だ」
19日(火)「どこまでも僕は脆い、だからこそ僕は強さを身に纏うのだ、生き続けるために」
18日(月)「書かれた思想こそが抜き身の信念である、そこに人間的な場当たりさはない」
17日(日)「死ぬということの価値を純粋に見詰めて生きる人の言葉は我々の記憶を揺さぶる」
16日(土)「異なる現実ということで異なる世界を考えると、そもそも異なりが理解できない」
15日(金)「同じ現実を生きることと異なる現実に生きられないことのどちらがより重要か」
14日(木)「自殺は目立つ死に方である、自分の存在を抹消したいという目的には適わない」
13日(水)「論考のなかに人はいない、論考のなかにはただ考えられたことがあるだけである」
12日(火)「論考を用いて語ることと論考で示されていることを語ることはまるで違うことだ」
11日(月)「人を打つのは確固とした人である、それはそれ自体が歪んでいても構わないのだ」
10日(日)「人の過ちを矯正するために正しいことをいう必要はない、それは有害にすらなる」
09日(土)「尊敬に値する人間になろうとすること、これはやはりかなり尊い目的意識である」
08日(金)「気紛れで生き残る人間もいるし、行動を起こして死ぬ才能もある、世は儚い」
07日(木)「正しいことを声高に叫び、可能性を列挙するだけ、これは間抜けのやることだ」
06日(水)「複数の体系を見方に応じて使い分けることはひとつの能力であり、技術ではない」
05日(火)「下らない自尊心という虚飾に巻き込まれて、僕の平安が侵されるのは堪らない」
04日(月)「はたして理解は必要なのか、この疑問は理解している人には辛うじて許される」
03日(日)「多様な言語で遊んでいるというまさにそのことが、人にその空間の理解を促す」
02日(土)「多様な理解をもつとは異なる文化を自分の言語で再解釈するということではない」
01日(金)「自分で自分の人生を語ることの見苦しさは、その人生がそういう人生だからだ」



30日(木)「憧れに殺されないためには生き続けるしかない、そのうち自分を許せる日が来る」
29日(水)「努力は語り得ないとして、どうして才能は語り得るように思われているのか」
28日(火)「ああなりたいと前進を繰り返してきた人ほど、赦免可能な類型を多く保持する」
27日(月)「自由であるとしても自由なものとしては生きない、それはより崇高なことだろう」
26日(日)「その影響を受けたことが自覚されないような影響こそが、人の形を変えるのだ」 
25日(土)「知的な粘り強さを放棄する不誠実さが格好良いなら、それもひとつの手ではある」
24日(金)「論理の本質はある種の知識に含まれるのか、それとも実践する技術に潜むのか」
23日(木)「知識を探求するという活動そのものが、探求するための技術を要請している」
22日(水)「フレーゲは知識を探求しており、ウィトゲンシュタインは技術を考究している」
21日(火)「お約束の展開は地面に直通している、しかしだからこそ現実感がない」
20日(月)「努力することではなく、なにが努力となり得るかを察知できることは才能だろう」
19日(日)「努力も才能だというなら、どうやって努力する才能を伸ばせば良いのだろうか」
18日(土)「なにを考えているかより、どう価値付けているかわからないことが不安なのだ」
17日(金)「困難に安住することが容易な一方、容易なものを積み重ねるのもやはり容易だ」
16日(木)「個性を問うことが個性的か否かに関わらず、それに答えることは個性的である」
15日(水)「始まりと終わりを放棄し、さらに移ろわない循環を肯定することは大切だろう」
14日(火)「人から死ぬ権利を奪った人間は自殺してはならない、それは最悪の行いである」
13日(月)「僕は自殺を否定しない、しかし僕と関係のある人間が自殺することは認めない」
12日(日)「人を圧倒するものには或る種の誠実さが付きまとう、それは善悪を超越している」
11日(土)「いまや、あらゆる現実とその対立項はひとつの現実に落ち込まざるを得ない」
10日(金)「虚構という装置を用いることで我々は現実に迫った、すると現実は対岸にいた」
09日(木)「我々は神殺しを誇りに思えるか、その検討が神を殺すこと以上に大切なことだ」
08日(水)「理解しようとすることと理解することのどちらにあなたは重きを置いているのか」
07日(火)「しかし補助以外のなにがあるのか、社会が男性的である限り、社会は女性化する」
06日(月)「女性的なものは補助として用いられるのが良い、そうでなければ歪みが生じる」
05日(日)「言葉で壊してなお形を成すほど、その岩盤は広大にただそこにあるのだ」
04日(土)「言葉はどういうわけか破壊的である、言葉はなにも作らない、常に壊している」
03日(金)「その偉大さを他の人に気付かせない人はやはりきっと本当に偉大な人だろう」
02日(木)「相手に快楽を与えるために我を殺すことも十分に押し付けがましいことだ」
01日(水)「社会を体験しなければ社会を想像できない人間はそもそも教師に向いていない」



31日(火)「理想が高いなら下げることもできるが、そもそも理想がないならそれもできない」
30日(月)「事実に関わるのは面倒臭い、それでも事実に巻き込まれるよりはまだましである」
29日(日)「人は目的のために生まれるわけではないが、目的のために生きられる人は幸福だ」
28日(土)「間違うことの恐れより、間違ったのかどうかわからない不安のほうが大きい」
27日(金)「自信は要らない、その発言で意図しているのは自信は不要だということである」
26日(木)「安心できる環境を整えること、安心を与えようとするとき大切なのはそのことだ」
25日(水)「ある程度の理想化を許さなければ、人の言語使用はきわめて困難なものになる」
24日(火)「そもそもあるということがすでに不自由だろう、そう感じる程度には自由だが」
23日(月)「夢があるうちは不自由だ、夢のなかで生きられない人は幸福な不自由を背負う」
22日(日)「表象が内的、物が外的だとすると、たしかに思想は公共的で客観的だろう」
21日(土)「前進する人は解明しているさなか、往々にしてその価値を理解していないものだ」
20日(金)「良い論文にもある種の文才が伴っている、その文才は早い話が人柄だろう」
19日(木)「事実に到達するために思想をおくか、事実から展開するために思考をおくか」
18日(水)「うまくいっているときにうまくいっていないと信じると、かなりうまくいかない」
17日(火)「情に絆されたというとき、やはり我々はある意味で説得されてしまっている」
16日(月)「理のない情には説得力がないと言い切りたい気持ちはたしかにある」
15日(日)「私をなにかしらの領域で指標とするとき、すでに私は対象化されている」
14日(土)「私が私であり、私がひとりだということはもっとも自然に課された拘束だろう」
13日(金)「苦労した人が他の人に苦労しなさいということのうそ臭さは拭い切れない」
12日(木)「真に努力している人の前に壁は生じないし、後に足跡が残るということもない」
11日(水)「規範の構成と規範の適用とでその扱いが異なるということはあるだろう」
10日(火)「その人の死が病気であると把握できるとき、その人の死は加速している」
09日(月)「最終的な根拠を人々の傾向性に求める議論の説得力は危ういものである」
08日(日)「最後にせよ中途にせよ、裁かれるとき、評価されるときに私はひとりになる」
07日(土)「極端な話、私は私であるべきであって、私が私であるという必要はない」
06日(金)「私は私にとって根源的に存在してはいるが、直接的に存在しているわけではない」
05日(木)「この私を直接的に困らせるのは私というより私の周囲の他者であるのは当然だ」
04日(水)「私や「私」の不在で困るのはこの私ではない、私は間接的に困るにすぎない」
03日(火)「独我論は我々になにをもたらすのかという問いは非常に無益な問いである」
02日(月)「入力される理論と出力される理論があると考えることはもっともではないか」
01日(日)「感情の沸点が低い人はやはり、できるだけ低地で静かにしているのが安全だ」



30日(土)「言い切る人間は言い切ろうと思わずに言い切る、そうでない人間は言い続ける」
29日(金)「我々が周囲に矛盾を探すとき、我々はいったいなにを期待しているのだろう」
28日(木)「形式が先か内容が先かという問いは、父親が先か母親が先かという問いと同じだ」
27日(水)「学には消費されるものと蓄積されるものがある、金になるのは主に前者である」
26日(火)「私の、君の、我々の宇宙を考えるということは、同時にその魂を想像することだ」
25日(月)「私は私に到達することすらできない、この謎は解けない、託すしかないのだ」
24日(日)「私は私をやめることも考えることもできない、私は私を想像するしかない」
23日(土)「無という表現がまさにないことの比喩であるなら、有もまたそれと同じだろう」
22日(金)「表現の特性からいって、日常言語は幅のある現在を前提していなければならない」
21日(木)「客観性が保証されているのは命題の表現であって、決して命題ではないだろう」
20日(水)「考えている、しかし私はなにを考えているのか、それは誰にもわからないのだ」
19日(火)「人に影響を与える著作は、間違っているか間違っていないかのどちらかである」
18日(月)「賢者同士の会話の受け答えには一言あれば事足りる、つまり、その通り」
17日(日)「思考が行為であるならば、思考の本質は何かしらの表現活動でなければならない」
16日(土)「言語行為がまさに行為であるならば、私的言語で言語行為は行い得ないだろう」
15日(金)「僕のなかで結婚と自殺は対極の位置にある、どちらも甘美でそれ自体は単純だ」
14日(木)「まさに伝達しようとしている主体が消え去るのだから、伝達は不可能なのである」
13日(水)「主観的でしかあり得ない主体を、客観的で伝達可能なものに託せるわけがない」
12日(火)「私にしか把握できない「私」の意義は語られ得ないが、実際、示されてはいる」
11日(月)「しかし、感動したねと訊いたとき、そうだねと応えられることには価値がある」
10日(日)「感動を伝達しようとすることは愚かな試みだろうか、確かにそうかもしれない」
09日(土)「可能性の網の目は私の理解を調整する働きをもつ、思考は実効的であるべきだ」
08日(金)「我々は最初の一歩を下るのか、上るのか、哲学者なら下ってしまうだろうが」
07日(木)「もし厳密にいうのであれば、言語には階層などない、ないとわかることが大切だ」
06日(水)「言語の階層性を意識するとき、我々は結局なにを意識しているのだろうか」
05日(火)「心の底から誰かに何かを言われたことのある人は、きっと違う人生を歩むだろう」
04日(月)「わからないことをいう人はたまにいるが難しいことをいう人はそうはいない」
03日(日)「あるがままにある世界に矛盾はない、矛盾は評価であり価値であるということだ」
02日(土)「君はどれだけ当たり前のことを知っているだろう、世界は常識で覆われている」
01日(金)「探求は問題が生じるかぎりにおいて、それ自体が問題になり得るようなものだ」



31日(木)「洗練され完成されたものには違和感がある、美しいものは少ないということだ」
30日(水)「価値抜きされた世界で、我々は機械や昆虫とは異なる振る舞いを行うだろうか」
29日(火)「大勢の人々と共にあるということのほうが、私個人よりも本質的かもしれない」
28日(月)「判断には解釈の余地があるだろう、しかし判断されたものに解釈の余地はない」
27日(日)「あるがままにある世界と言語を通して私に認識された世界を混同している」
26日(土)「親の存在、親との関係が自分に影響を及ぼさないということはあり得ない」
25日(金)「「……を知る」というとき、我々は同じ「……」を知りたいと思うだろう」
24日(木)「手品師は事象から不思議さを見出し、その不思議さを明確な過程を通じて示す」
23日(水)「どうやら我々は想像以上に虚構の中で生活している、示せることは非常に少ない」
22日(火)「まず問題を理解できるほどには、我々の前提、問題の生じる場は頼れるものだ」
21日(月)「手品の不思議さを理解できない人にとって、その種明かしは無感動だろう」
20日(日)「死が意識されると生が自覚されるようになる、生きているのに生を欲する」
19日(土)「私的な言語の表出は決して表現となり得ないにも関わらず、解釈はされ得る」
18日(金)「私的な言語によって把握される意図は、示唆され得るが表現され得ない」
17日(木)「個々人の表象はいわば、個々人の私的な言語と同等のものであるだろう」
16日(水)「いつまでも一人前になれない人間は、いつまでも独りでいるしかない」
15日(火)「私は特別である、ここにおいて理論に特異点が現れたとしても不思議ではない」
14日(月)「しかし、私はここにいる、私が「私」と言うとき、その「私」はこの私なのだ」
13日(日)「あらゆる人が「私」を使い得る、私が「私」と言うとき、私はどこにもいない」
12日(土)「示された世界のなかの私を語るのは、私以外の人間にしかできない」
11日(金)「夢をみることが語ることなら、現実をみることはやはり語ることだ」
10日(木)「全条件が透明になることはあり得る、ただ、それで条件が失われるわけではない」
09日(水)「外的世界の存在を私は誰かに示そうとする、その主張は私個人の問題ではない」
08日(火)「現実的であるものが客観的であるとは限らない、これは協同的な世界観である」
07日(月)「むしろ、第三領域はなければならない、客観性はそこに担保されるからである」
06日(日)「現実世界は蓋然的だが第三領域は確かにある、それがフレーゲのリアリズムだ」
05日(土)「対立できないということは合意することもできない、愛に理解は必要ない」
04日(金)「愛の起源が神だとしたら、愛はまさに天使だろう、天使は殺すと食える」
03日(木)「理想と現実は評価を含み、世界は意味を有さない、そこで事実が必要になる」
02日(水)「こころ温まる詩には胸を打たれない、単なる共感は感動を生まないからである」
01日(火)「自称詞の変化が示しているのは、僕と私は併用できないという事実である」



31日(月)「思想は理想的なというよりは、むしろ純粋なというほうが適切な存在者である」
30日(日)「世界との関わり方、世界との関係のうちに私は生まれ、それがまさに私なのだ」
29日(土)「私もひとつの像だとしたら、私を私たらしめる要素はどのように結合しているか」
28日(金)「我々はどのように常識を知るのか、違う、我々は常識を知っているのだ」
27日(木)「我々が酒を覗き込むとき、酒もまた我々を覗き込んでいるのである」
26日(水)「常識を持つというようなことはできない、むしろ我々は常識に落ちる」
25日(火)「異なる集団において、人は言語の衣装を、ときには言語の仮面を付け替える」
24日(月)「わかりあっている人々はそれ以上わかりあうことができない、する必要もない」
23日(日)「違う見え方を語るとき、同じものを見ていることは前提されている」
22日(土)「常識の形成と共有が集団を形成する、集団内部で常識は意識されないことが多い」
21日(金)「「我々にとって自然だ」の意味は「自然」より「我々」の幅により変化する」
20日(木)「常識などないという感覚を共有しあう人々は、そういう常識に生きている」
19日(水)「常識などないと安易に言う人は単に自分にしか関心がないというだけである」
18日(火)「自称詞の交換、私は「僕」ではないし、同様にして僕は「私」ではない」
17日(月)「私が「私」と言うとき私は「私」で、僕が「僕」と言うとき僕は「僕」である」
16日(日)「人は相手によって仮面を替える、そのとき実に様々なものが替えられている」
15日(土)「同性間の愛情が成立するなら異性間の友情が成立すると思うのは理解できる」
14日(金)「伝統を守ることが尊重されるなら、伝統を作ることも尊重されなければならない」
13日(木)「狭いところで真理とされるものが広いところでも真理であるのなら問題はない」
12日(水)「私がある人に理解されたとき、私はその人の理解を打ち破る方法をもたない」
11日(火)「もし僕が誰かに理解されるなら、そのとき僕はなにか新しいことを知らされる」
10日(月)「論理に程度はない、わかるかわからないかどちらでもないかである」
09日(日)「定義は誰にでもできる、要点はその画定がなにをどう識別するかということだ」
08日(土)「私が現実をもちうる限り、私には現実の多様性を許容する用意があるのである」
07日(金)「推論は必然性によって、制御は信頼によって我々に安心感を与える」
06日(木)「理解とは人に関して為されるものであり、奇跡的な出来事のひとつである」
05日(水)「言語化・対象化できない恐ろしさがある、しかし、それは美しさかもしれない」
04日(火)「学問は乾いた磐石の物足りなさの故に、さらなる展開を思い巡らせる場となる」
03日(月)「自分の中に蓄積する面白さがあれば、周囲の人と消費する楽しさもあるだろう」
02日(日)「合理的であることによる不合理さも許容し、検討しうるのが穏当な人間である」
01日(土)「学問には王道しかないというのはつまり、我々は基礎で満ち足りるということだ」



30日(金)「存在は世界に適用されるのと同時に現実に付加されている」
29日(木)「世界のなかに私はいて、世界のなかのひとつの現実が私の世界に該当する」
28日(水)「問題に解答できることと、問題と解答の意味を理解できることは別のことである」
27日(火)「お互いを理解することのために互いの信頼を犠牲にすることは得策ではない」
26日(月)「世界に或る存在を適用すると潜在的に或る構造、形式、層に言及することになる」
25日(日)「科学的な現実には洗練された存在論が要求される、哲学は諸現実を許容する」
24日(土)「世界の多様性ということで岩盤が割れているところを空想してはならない」
23日(金)「些細な庶民的な間違いを指摘して得られる華々しさは学徒としては虚栄である」
22日(木)「ある現実をそうであるとみるか、そうでないとみるかは私の見方に依拠する」
21日(水)「世界があるようにしてあるならば、存在は世界に付け加えられるものではない」
20日(火)「表現しないことによる表現は、表現の空白を提示することでなければならない」
19日(月)「結局ところ我々は何をしているのか、解明されたいのはまさにそのことなのだ」
18日(日)「人は同時に神の視点をもつ、このことは考慮されなければならない」
17日(土)「あらゆるものが私とともにあるというのは非常に窮屈なことである」
16日(金)「あらゆるものが私とともにありながら、神は私とともにいないという矛盾」
15日(木)「見られているものの不在の嫌悪は、見ている私が縮退することに関する嫌悪だ」
14日(水)「ひらめきにひらめきを重ねてはいけない、ひらめきをひらめきにしてもいけない」
13日(火)「幸福は世界のうちにあるのではなく、われわれは世界について幸福を受け取る」
12日(月)「なにかに働きかけるとき、働きかけられるなにかがあると考えるのは自然だ」
11日(日)「扉を叩く手袋は乱暴だけれど親切で、窓から覗く山高帽は丁寧だけれど不躾だ」
10日(土)「各人がやりたいことをやるべきようにしてやる、まずこれは仕方のないことだ」
09日(金)「明確な評価基準のない領域においては誰に評価されたいかが行為の指針となる」
08日(木)「人はしばしば良く評価されることだけを目指し、適切に評価することを忘れる」
07日(水)「確固とした証明ですら、人によって様々な読み方をすることができる」
06日(火)「この世界は私のための世界である、しかし必ずしも私の世界ではない」
05日(月)「行為のもとに事柄があるのであり、事柄に行為が付随するわけではない」
04日(日)「僕は部屋を出ることができる、そして家を見ることすらできる」
03日(土)「私が束縛せずに私のものを認定するとき、あらゆるものは私のものである」
02日(金)「外的要因を排してなお、学問のために学究していることはやはり苦だろうか」
01日(木)「僕は窓をもつ、しかしそれは手に持つようにしてもっているわけではない」



31日(水)「理解しやすい位置にいるということは、その立場を想像しづらい位置にいる」
30日(火)「僕は窓ではないので、開けることのできない窓が窓だと僕は知ることができる」
29日(月)「あらゆる人が、開けることのできない窓をひとつ、かつ、ただひとつもつ」
28日(日)「大抵の人は過去の上に立とうとせずに、なにかの上にただ立っている」
27日(土)「窓は開かれるものであり、扉は閉ざされるものである」
26日(金)「ある出来事の名が意味している事柄の実質はいったい何であるのか」
25日(木)「人は理解されたいのか誤解されたいのか、知られることで隠したいのか」
24日(水)「確定した性格を示しているとき、他の性格を仄めかすことは誤解を生む」
23日(火)「言語の世界という言い方をするとき、自分の視点に注意しなければならない」
22日(月)「随伴生起しているというとき、それはひとつの事柄に関していわれているのか」
21日(日)「内側からの限界付けにはやはり、強固な外側が保持されている必要がある」
20日(土)「相違や合意には規準が必要であり、規準が必要なときに人は関わり合っている」
19日(金)「汎用的なものの場合、生成と同時にオリジナリティの崩壊に遭遇している」
18日(木)「物事を明確にするとき大切なのは強調したい点の抽出の仕方、手法である」
17日(水)「わからないことに関する寛容と、知らないことに関する寛容は異なる」
16日(火)「革新的なことは当たり前のことになる、そのとき当たり前だったことがわかる」
15日(月)「どの私がこの私であるのか、気にならないとしても気にしないわけにもいかない」
14日(日)「「あれ」で自分を指し示すことの違和感はどうにもならない」
13日(土)「「これ」と「あれ」の選択肢からひとつを選ぶとき、どちらを選ぶか」
12日(金)「なにかを悟るとする、それは表現に落ちないが、それが思考の始まりなのだ」
11日(木)「自分の現れの自由さは無制限ではない、それは少なからず束縛されている」
10日(水)「純粋な固有名は静的には終わりであり、動的には始まりである」
09日(火)「私から到達可能なあらゆる他者に了解されるとき、それは常識である」
08日(月)「私は私でやはり層があり、純粋な固有名はその中心を代替し、指し示しもする」
07日(日)「痛さを知るということで了解されているのはその感覚ではないだろう」
06日(土)「より豊かな示し方を示唆する語り方の組み合わせの語り方はかなり無根拠だ」
05日(金)「自然を切り離し、社会を切り離し、世界を切り離し、次は何を切り離すのか」
04日(木)「その痛さはどうしたって私の痛みで、その限りにおいて、僕は感覚の奴隷だ」
03日(水)「何かを得ることで陰るものがあるかもしれない、しかし何も失ってはいない」
02日(火)「私は私を名乗ることはできても、私は私に名付けることはできない」
01日(月)「物が私の一部になるとき、私の一部が物になるとき、何を得て、何を失うのか」



30日(日)「私の痛みが目の前にあり、私は苦しむのだが、私はどこが痛いのかわからない」
29日(土)「本当にそう思っているのであれば、口にしてはならないこともある」
28日(金)「人間のこころの問題に関しては、解答などないとそう簡単に言うものではない」
27日(木)「偽装された意味を揮うことや前提された無意味を隠すことは不誠実である」
26日(水)「意味のなさに罪はない、その無意味さに頓着しないことが問題なのだ」
25日(火)「できないことはしてはならないと言うことは無意味ではないのだろう」
24日(月)「ある場面においては独我論に陥ることなく私以外という語り方が無意味になる」
23日(日)「痛みにも層があると考えたほうが良い、それは傷の深さではない」
22日(土)「私の痛みは私にしか感じられないとすると、私は私の肉体をはみだしている」
21日(金)「愛を対象として扱う語り方をするとき、そこで意図されているのは何なのか」
20日(木)「計算に乗せる必要のない悩みと、そもそも計算に乗らない悩みがある」
19日(水)「悩みを解消しようとすることで解決不能になってしまう問題もあるだろう」
18日(火)「駆け上がるとそのうち僕は舞い上がり、そのうち僕は下らない人間になる」
17日(月)「何度も何度も繰り返し思考する、終わりのない階段を僕は歩み下りる」
16日(日)「死ぬ気になることでできるようになることは結局、死ぬこと程度のことである」
15日(土)「この私の生という果実の瑞々しさを得ること、これが前半生の模範的解答だ」
14日(金)「人類はひとつの種だが、それは生物的になのか、はたまた政治的になのか」
13日(木)「人間の様々な文化という代わりに、生物の様々な世界ということもできる」
12日(水)「人間は似通った世界を生きている、それは言語的・文化的な要請であるだろう」
11日(火)「学問の知識はセオリーを求め、現場の知識はルーチンを求める」
10日(月)「同一性は性質や関係という以前に、判断や分析のための前提である」
09日(日)「社会的な事柄のほかに個体の同一性が保たれないことで困ることはなにか」
08日(土)「食事との類推で知識を把握するとき、排泄されているものはいったいなにか」
07日(金)「知っていることは書かない、知らないことは書けない、すると書こうと思えない」
06日(木)「存在しないということは存在ということに関してどれだけ致命的なことなのか」
05日(水)「原初的な関係は最終的に生物的と社会的とのどちらに帰着するのか」
04日(火)「細やかなノードの集合と構造がその本質だといわれて、それを認められるか」
03日(月)「どのようにして関係は持たれるのか、どのようにしてその関係は知られるのか」
02日(日)「あるものが独立しているかどうか、それを確かめることはどれほど重要か」
01日(土)「どうして死のうとしないのか、いや、どうして死のうとしていないと思うのか」



31日(金)「行為の意図が結果と等価であることを望むこと、この前提は可愛らしいものだ」
30日(木)「あなたは賭けるしかない、確実なことですらそれが判明するまでは疑うほどに」
29日(水)「確実に存在するものを僕は君に示すことができない、実はその必要もない」
28日(火)「文が意味を持つことと、それがわれわれに働きかけることは別のことだ」
27日(月)「僕はどこにいるのか、冗談ではなしに、僕はすでにここにいるのだ」
26日(日)「真偽は文脈に相対的に決定するとしても、真であることは絶対的に真である」
25日(土)「人は決定的に環境の内側にいる、抽象的にはネットワークの、根源的には母の」
24日(金)「寄り添うことで相手の形を気付かせたいとき、自分は決して揺れてはいけない」
23日(木)「人は不意に前提の階段から滑り落ちてしまう、それが病気の始まりだ」
22日(水)「ひとつの致命的に不遇な出来事は、多数の不遇さに醸成されてふと姿を現す」
21日(火)「疑いには幾つかの種類がある、大事なのはそのどれもが目的ではないことだ」
20日(月)「あらゆることが嘘で虚構だと思う不誠実さに苦しむ程度にはその人も誠実だ」
19日(日)「要請されるものと前提されるものの根本的な妥当性はなにが担保しているのか」
18日(土)「終わりがないということが意識されなければならない、できるだけ簡明に」
17日(金)「間違えることができなければならない、しかしこの正しさは間違えられるのか」
16日(木)「形式と操作はどちらが優位に立つのか、それらの決定的な違いはなにか」
15日(水)「前提に措こうとするものの妥当性はいかにして問うことができるのか」
14日(火)「再帰の指標になるものが私だとしたら、私は霧がかっている」
13日(月)「名前は付けるものなのか、それとも付けられるものなのか」
12日(日)「独我的見解はそれが二人でも三人でも全体でも成立し得るのではないか」
11日(土)「独我論に不備はない、しかし、独我的でなければならない理由はまるでない」
10日(金)「僕は生きている、しかしどうだ、僕は生きたいと思っているのか」
09日(木)「僕は内部に脱出する、そこは僕の部屋だ」
08日(水)「私しかいないということは、私はなににも影響できない、そういうことだ」
07日(火)「哲学の生命線が論理にあるということに疑いの余地はない」
06日(月)「私は彼の論理を疑ったり、批判しているのではない」
05日(日)「その疑いは信じないことなのか、それとも違うことを主張しているのか」
04日(土)「ある、持つ、把握する、これらの(表現の)違いはどのようなものか」
03日(金)「私はどうして疑うのか、何のために、誰のために」
02日(木)「直示の確実性はその行為というよりも、話し手と聞き手の結合の強さにある」
01日(水)「内側から限界を規定するというような語り方はそもそもできないのだ」



28日(火)「私が彼を疑うとき、問題は彼の思考というよりも、まさに彼自身にある」
27日(月)「私が私の存在を疑うとき、その疑いの正当性はどこから与えられるのか」
26日(日)「私は彼を疑っているのか、それとも彼を非難しているのか」
25日(土)「疑うということと、疑いを表明する、正当化する行為を混同してはならない」
24日(金)「疑いは、まさに疑われているそのことだけで成立するのではないか」
23日(木)「確信がそうであるのと同様に、疑惑も抱かれるだけでは正当化されない」
22日(水)「ある種の閃きによってなにかを知るとき、その人は確かになにかを得たのだ」
21日(火)「しかし、神の啓示は疑い得ないとしても、その理解は疑い得るのではないか」
20日(月)「神の啓示を受け、それを理解したと語る人を疑うことができるだろうか」
19日(日)「わかっているということは、いったいなにを表現しているのだろうか」
18日(土)「生みだすことと暴きだすことは慎重に判別されなければならない」
17日(金)「私は、誰に、私の存在を証明するというのだろうか」
16日(木)「私はどうして私の存在を証明する必要があるのだろうか」
15日(水)「規則は内側から与えられるが、それで規則が規則足り得るわけではない」
14日(火)「夢は閉じており現実は開いている、そして、現実には崖がある」
13日(月)「夢と現実は私にとってはなにも変わらない、しかし、夢は私だけの夢である」
12日(日)「夢は存在しない」
11日(土)「私は夢のなかにはいないし夢を見てもいない、このとき私はどこにもいない」
10日(金)「疑い得るということが、必ずしもその疑いを正当化するわけではない」
09日(木)「世界は作られるというとき、作られた世界はなにで構成されているのか」
08日(水)「終わらない物語を、われわれはその形式において読み終わることができる」
07日(火)「夢は見られているのか、違う、私は夢を見ているのではない」
06日(月)「私が夢を見ているとき、私は夢のなかにいるのか」
05日(日)「終わりは続きがあるときにのみ、その姿を示す」
04日(土)「この私の死は、私には体験できない、これは確実だ」
03日(金)「死は体験できないということは、いったい、なにを意味しているのか」
02日(木)「図々しさが空転するのは、人柄と才能がその人を後押ししないときである」
01日(水)「性質の担い手というのなら、その担い手は性質を担っていなければならない」



31日(火)「私の意識がふたつ以上ないということは、どのようにしたら疑えるだろうか」
30日(月)「間違いと嘘が異なり、嘘が自覚を伴うように、正しい主張には疑惑が伴う」
29日(日)「間違ったことを言い合うゲームのルールはどのようなものになるか」
28日(土)「完全なるものはもはや時代に寄り添わない、完全はすでに万能ではない」
27日(金)「解答はあるなしに関わらず求められる、そのことがまずもって重要なのだ」
26日(木)「知るということが自分のための行為なら、なぜ言語化する必要があるのか」
25日(水)「岩が空から降ることがあるように、地下に街がないとも言い切れない」
24日(火)「基礎を遡及することは大切だけれど、それは地面を掘り進むのとは違う」
23日(月)「応用を予定するからこそ基礎なのであり、基礎だけの基礎は存在しない」
22日(日)「美しさを問うときに、美しさの多様性は認められていなければならない」
21日(土)「日常生活の記述には、曖昧さをも表現しうる豊かな形式を必要とする」
20日(金)「要点は我々の日常生活は実際、それほど美しいわけではないということだ」
19日(木)「多様性を表現するのに多種のものから始めるのは美しさに欠ける」
18日(水)「古典的な科学、基礎的な哲学は黒白の二色できれいな模様が描ける」
17日(火)「ある表現を台詞として把捉するとき、それは表現者の人生と密接に関わる」
16日(月)「言語は本質的に色彩豊かなものであり、だからこそ迷彩にもなる」
15日(日)「なにが「難解」なのか、もちろん表現である、そして表現でしかない」
14日(土)「同じか違うか、肯定か否定か、結局のところ、やはりそれが大事なのだ」
13日(金)「単に思考しうるというだけでは、当の事柄の可能性の根拠にはならない」
12日(木)「ときには本質的な等しさよりも、実質的な違いのほうが重要な場合もある」
11日(水)「等しいというとき、なにがどの水準でどう比較されているのか意識をしよう」
10日(火)「理解していても、それを自覚できなければ理解していないことに等しい」
09日(月)「曖昧かどうかも曖昧だということは、つまり、非常に曖昧だということか」
08日(日)「曖昧さを突き詰めると、曖昧であるかどうかも曖昧にならざるを得ない」
07日(土)「曖昧を保つとき、それが曖昧であるかどうかを曖昧なままで理解できるか」
06日(金)「正しいことからは正しいことしかでてこない、正しさを疑うとはそういうことだ」
05日(木)「自然さを求めることすら不自然なのだから、人生は不自然でしかないようだ」
04日(水)「称賛は、仮に自然な行為であっても、必要以上の行為であるように感じる」
03日(火)「どれだけのことを言い切りながら生きていけるのか、生命はゆれている」
02日(月)「自分で読解することを通して初めて、美しい読み方の普遍性を実感できる」
01日(日)「初心を忘れるのはいけないだろうが、常に初心というのも卑怯かもしれない」



31日(土)「最初の一歩は最後の一歩に、最後の一歩は最初の一歩に左右される」
30日(金)「否定のない視野は、自分にとって確立された判断で飽和している」
29日(木)「否定を限界まで突き詰めると、否定のない視野に至る」
28日(水)「より強固な否定は、否定の意思すら忘却する」
27日(火)「影響力と価値に関して、得策であることと有効であることは別だろう」
26日(月)「価値を減じようとするとき、当のものに働きかけるのは有効か否か」
25日(日)「判断を下すとき、我々は必ずしも直接的に価値に関与するわけではない」
24日(土)「人間は単一的であり、同時に複多的でもある、それらは相関的である」
23日(金)「的を射ることは確かに美しい、しかしそれは必ずしも人の生に関わらない」
22日(木)「いまあるものを忘れようと努めると、いかに自分が借物であるかがわかる」
21日(水)「どう受容するか、その規準が近いからといって相性が決まるわけではない」
20日(火)「無視する段階に達するためには、無視できるだけのものを得る必要がある」
19日(月)「嫉妬は嫉妬の先回りによってのみ、その方向を捻じ曲げられる」
18日(日)「努力とは褒められるため、正確に言うと蔑まされぬためにするものだ」
17日(土)「夢は現実以上に自分の思い通りにならない」
16日(金)「足し算の美学も引き算の美学も、算術の美学であることに変わりはない」
15日(木)「得ることで失うものは陶酔的であり、失うことで得るものは虚無的である」
14日(水)「得ることと失うことは明らかに等価のやり取りではない、それは何故か」
13日(火)「数多の人類の記録が、自覚する、ということの比類なさを物語っている」
12日(月)「良きにせよ悪しきにせよ、欲望が人を動かし、人は欲望なしに動かない」
11日(日)「幸せを常に疑うことの喧しさと、幸せに常に満足することの危うさ」
10日(土)「人には神は愛せない、人には人は愛せない、人には物しか愛せない」
09日(金)「付き合うとか別れるとか、そういう魂の契約を前提する信仰が苦手です」
08日(木)「語らぬうちが華なのだが、語らなければ語っていないことを示せない」
07日(水)「実在論と観念論が一致するような独我的世界は人間の住む世界ではない」
06日(火)「私の生は私だけで完結するが、私は針の先端に立っているわけではない」
05日(月)「結局、ひとつの世界を前提にした二分法は緩やかな修正を求められる」
04日(日)「問題は、はたして世界はそれほどにきれいなのか、ということである」
03日(土)「私が私の世界であるのなら、生きるとは他の世界に旅をすることだろう」
02日(金)「後者の私が前者の私に属するか否かは当の私自身には問い得ない」
01日(木)「私には外的世界に属する私と内的世界に属する私がいる」



30日(水)「私も世界の一部であるのなら、私も私に旅をするというのは奇妙ではない」
29日(火)「私は世界に旅をして、そこには確かになにかがあると再認する」
28日(月)「われわれは存在を前提して生きている、だからこそ虚構にも価値がある」
27日(日)「諸物はわれわれを触発する、しかし諸物は常に受身である」
26日(土)「自己紹介とは自らを腹話術師の人形にするような行為である」
25日(金)「私が発話するときに、私が私以外の何者かであることはあり得るのか」
24日(木)「主語としての私はなぜ必要なのか、そこにある主張力はどのようなものか」
23日(水)「私の世界が閉じているのかどうかは、私自身には知り得ない」
22日(火)「なにかを主張するとき、その正しさを主張しないことは不誠実である」
21日(月)「誤るときは正せるように誤らなければならない」
20日(日)「誰もが気付いている、それを表現することの困難にも気付いている」
19日(土)「実際のところ、私たちは括弧を付けては喋らない、それはなぜだろうか」
18日(金)「直接示すということが明瞭で明確である根拠はどこにあるのか」
17日(木)「語のもとに情報はまとめられる、意味の輪郭はぼやけている」
16日(水)「それはそれ自身と同一であるという前提はきわめて有益だ」
15日(火)「それはそれ自身と同一であるという言明は意味があるかもしれない」
14日(月)「それはそれ自身と同一であるという文章は無意味だ」
13日(日)「われわれが現実を把握しようとする限り、現実は拡張され続ける」
12日(土)「現実も現実になければならない、これはおかしなことではない」
11日(金)「虚構とは綿飴のように、棒がなければ形を成せないようなものである」
10日(木)「虚構には反現実か否かを問い得ないようなものもある」
09日(水)「虚構は非現実的だが非現実ではない、また、反現実であるとは限らない」
08日(火)「虚構は現実にある、虚構が現実ではないことは明らかである」
07日(月)「現実性は社会に担保されて個々の現実に姿を現す」
06日(日)「私の現実はわれわれの認識の枠のなかにある」
05日(土)「現実も虚構も立場は同じである、しかし身分が異なる」
04日(金)「過度の束縛が人を苦しめるように、過度の自由が人を殺す」
03日(木)「人は確かに物に囲まれている、重要なのはその知り方だ」
02日(水)「物に名が付けられるのではない、名に物が結び付けられるのである」
01日(火)「固有名には符丁としての側面と、記述としての側面がある」



31日(月)「喜びや哀しみの効用は理解できる、わからないのは怒りだ」
30日(日)「誠実さの代価として得られたものにどれほどの価値があるものか」
29日(土)「同じことの表裏には違いないが、内部があるからこそ外部がある」
28日(金)「理論を放棄することを主張する理論は責められなければならない」
27日(木)「規則は内側から与えられ、法則は外側から与えられる」
26日(水)「不思議なことだが、科学的言明は法則を正確に表現しているようなのだ」
25日(火)「相対的に真であることが真であるなら、それは絶対的に真だろう」
24日(月)「自分の居所を快適にするため、内面に向かう人と外面に向かう人がいる」
23日(日)「真の無知は救いようがあるが、満足した無知は救いようがない」
22日(土)「時間を気にするあまり常に時計を見ているようでは、なにもできない」
21日(金)「手に入れたいものと失ってはいけないものを天秤にかけてはいけない」
20日(木)「わかるものは当然のように思考に馴染み、無知の過去は刷新される」
19日(水)「もし僕に才能があるのだとしたら、才能について語っている場合ではない」
18日(火)「説明はできないが正しいなどということは、仮にあっても言ってはならない」
17日(月)「互いを完全に理解し合っても問題は生じる、理解とは不完全なものだ」
16日(日)「早々に納得する人(またはその逆の人)には、どこまでの説明が必要か」
15日(土)「なにかを見ているとわかるとき、すでになにかが分節化されている」
14日(金)「個物は取り出される前に、区切られなければならない」
13日(木)「起源のある名前、ない名前、はっきりしない名前は確かにあるだろう」
12日(水)「変化を敏感に察知し、そこにこころを宿そうとするのは恐怖からだろうか」
11日(火)「われわれは表現を、意図を汲み取ろうとし、意味を与えようとする」
10日(月)「われわれの側にあるからといって、われわれのなかにあるとは限らない」
09日(日)「記号がなにを意味するかと、記号を用いてなにを指示するかは別である」
08日(土)「われわれと言うとき、そこにはすでに記号でしかないような者も含まれ得る」
07日(金)「本質的に意味は記号の側ではなしに、われわれの側にある」
06日(木)「言語がなにを表現するかと、言語でなにを表現するかは別である」
05日(水)「私の属する言語のネットワークはどこまで拡げると閉じるだろうか」
04日(火)「習得した時点で言語には枝が付いており、私的言語などあり得ない」
03日(月)「人は状況に応じて顔が変わる、文脈に応じて思考も切り替わっている」
02日(日)「生存し、生きるための欲望には最低限、なにが必要だろうか」
01日(土)「精確な時計もまた、人に寄り添う時間において精確なのではないのか」



30日(金)「間違いだらけでも、それが確かに間違いなのであれば、先に進める」
29日(木)「夢や虚構が現実であり得るとしても、現実が夢や虚構ではあり得ない」
28日(水)「翻訳とは意味を固定したままに表現を変えようとすることではないのか」
27日(火)「楽譜には同じことが書いてある、書籍にだって同じことが書いてある」
26日(月)「表現されるものと表現されたものの間には最低でも二枚のフィルタがある」
25日(日)「その問題が、どういう場面で問題にされるのかは無視してはならない」
24日(土)「表現されるものは人が表現するよりも先にあるのか、後にあるのか」
23日(金)「対象と概念を区別してもなお、対象は概念に似た仕方で取り出される」
22日(木)「神もまた、名前のある神とない神がいる」
21日(水)「素晴しい畑・食材・料理は各々、無関係ではないが、別々に評価される」
20日(火)「なにかしらの信念で人生を練磨している人には、独特の美しさがある」
19日(月)「人の思考は判断に尽きている、しかし、この判断とはなにか」
18日(日)「努力は「これから」と、そして「これまで」のためになされているものである」
17日(土)「安定のための束縛の価値が反転するときに人の求めるものが自由だ」
16日(金)「人の言葉が台詞だとしたら、人はなにを演じ、誰に見せているのか」
15日(木)「齢二〇も幾歳越えると、夢見る言葉が身にしみる」
14日(水)「その教訓が、どうして教訓になり得るのか検討することは実に大切だ」
13日(火)「人の呪いは血に流れる」
12日(月)「頭でっかちというのは実のところ、不勉強な人間を形容する言葉である」
11日(日)「人は熱狂する、面白さの前では言葉を忘れ、美しさの前では言葉を失い」
10日(土)「悔いることができるのは常に事後である、後悔の働きはその予期にある」
09日(金)「人には最低でも二人の自分がいる、名前のある自分とない自分である」
08日(木)「右手で左手と握手はできないし、そのような真似もしないほうが良い」
07日(水)「自分を自分のためにまさに自分として行使するとき、人は透明になる」
06日(火)「気の利いた台詞と違い、気の利いた一文ほど白々しいものはない」
05日(月)「私が私を指示するとき、私は指示しているのか、指示されているのか」
04日(日)「枠組みの多重性を無視するとき、理を逸脱するということが起きる」
03日(土)「独創的な分節化は良きにせよ悪しきにせよ人を魅了する」
02日(金)「生の事実と記述の事実とそれを説明する行為はそれぞれ別物である」
01日(木)「私にはなにをどこまで持つことができ、持つことが許されているのか」



31日(水)「消さないことと残すことは同じ事柄の裏表ではない」
30日(火)「流れに身を任せるにせよ、身を任せる流れを決めるのは自分である」
29日(月)「人を探求させるのは興味である、では、人を興味に駆らせるのはなにか」
28日(日)「交易で栄える街がなにも生産しないからといって非難されることはない」
27日(土)「空を知っている鳥は、知らない鳥とは違う空を飛ぶだろう」
26日(金)「誰もが名言を持っている、ただ、誰もがそれを口にできるわけではない」
25日(木)「時間がないのでも忙しいのでもない、余裕がないと言うのが穏当だ」
24日(水)「誠実に他人を認める、自覚があってもそれは言うほど易しいことではない」
23日(火)「新しい発想に触れると人は支配されるか反抗するか逃亡する」
22日(月)「自分の情報を持っている自分と、持たれている自分は同じなのか」
21日(日)「現実は解体され可能性を生じうるからこそ、動いていられる」
20日(土)「疑うことも疑わしいと疑うことは、どうやったらできるのか」
19日(金)「絆によって結ばれた関係を断ち切るには、自分の身を切る覚悟もいる」
18日(木)「有形無形を問わず、なにも作らずに生きていられる人間はいないだろう」
17日(水)「自信は人の魅力を何倍にもする、自信はまさに生命力だからである」
16日(火)「歴史に名を残すことほど恥ずかしいことはない、だからこそ尊敬できる」
15日(月)「自分も、他人と観点は違うが、しかし、同じように自分の情報を持つ」
14日(日)「立場が定まることによって役割を理解し、使命を把握できるようになる」
13日(土)「感情は常に虚しい、人はその通底する虚しさに共鳴するのだ」
12日(金)「価値は状況に応じて反転する、価値も評価されている」
11日(木)「誰だってなにかに騙されていて、だからこそ生きていられるのだ」
10日(水)「日々を生きているというそれだけの価値を、いま一度確認しよう」
09日(火)「見慣れた光景から現れる恐怖に似た感情、それが不気味さである」
08日(月)「人生に意味はないかもしれない、しかし、人生に意味は必要なのだ」
07日(日)「成長とは、より大きな文脈に自己を定位できるようになることである」
06日(土)「表現は言語になる、しかし、われわれはなにを表現しているのか」
05日(金)「ある事柄に真実が複数ありうるのは、唯一の事実があるからだろう」
04日(木)「専念しなければならないのは、当然を描き出すことだ」
03日(水)「多数の小さな間違いと単一の大きな間違いでは、どちらがより穏当か」
02日(火)「手続きの合理性、正当化の妥当性こそがもっとも必要な探求である」
01日(月)「われわれが誤まりうるのはなぜか」



31日(日)「アから始まってオで終わるのが好い気付き、その逆は嫌な気付き」
30日(土)「なにかを示そうとするとき、示されるものを前提していないか注意せよ」
29日(金)「目的を果たそうと思うなら、目的外の事柄を排除することも重要である」
28日(木)「死後生きることも、生前に死ぬことも、不可能なはずである」
27日(水)「人は括弧を発明した、だからこそ、括弧に囚われることにもなった」
26日(火)「言ってはならないことほど知ってはいなければならないということ」
25日(月)「色はただ見られるのみであり、色を見ることはできない」
24日(日)「腐っても美味しいということがあるから、物事を言い切るのは難しい」
23日(土)「音楽が譜の上にないように、学問も紙の上にはない」
22日(金)「生き恥を晒したままに死ぬことほどの恥を晒すこともない」
21日(木)「芸術は人を支配する、自ずから人を魅了するものが芸術だからである」
20日(水)「前提との関係における評価なのか、評価の文脈における評価なのか」
19日(火)「発見は暗闇のなかにあるわけではない」
18日(月)「僕が変わることによってのみ、僕に関わる全てが変わる」
17日(日)「なにも持たずに生きられるのなら、そのように生きるのが気楽で良い」
16日(土)「人のこころがわかっても、その扱い方がわからなければ意味がない」
15日(金)「死ぬのに理由はいらない、生きるために理由がいるのだ」
14日(木)「われわれは把握することで理解するが、把握している部分は隠れている」
13日(水)「いかなる関わりであれ、人の死を止めた人間に自殺する資格はない」
12日(火)「肯定的な未来より、否定的な過去を自己に引き受ける人もいる」
11日(月)「葛藤する、後悔する、それが人間を人間たらしめるのではないか」
10日(日)「明瞭にしてしまうことで骨抜きになってしまう価値もある」
09日(土)「学ぶことによって道徳的になれるかというと、そういうわけではない」
08日(金)「人間は「である」ことと「になる」ことの狭間で生きているようだ」
07日(木)「常識の水準を高める努力は常にしなければならない」
06日(水)「人生全体に関しては後悔することすらできない」
05日(火)「どの分野でも、最先端にいる人は必然的に分野を超越している」
04日(月)「幸福とは見出すものなのか、それとも入手するものなのか」
03日(日)「影響力のある人に影響力のある人になれ」
02日(土)「食事をすると眠い、食事をしないともっと眠い」
01日(金)「特徴付ける事柄の単位の大きい仕事ほど、努力は役に立たない」



30日(木)「現実的な理想は、なにの似合う人間になるか、という問いの形で得られる」
29日(水)「自分の持った関心と考察は、最後まで慎重に最大限尊重することだ」
28日(火)「それでも結局のところ、人は誰かのために生きるのだろう」
27日(月)「奇妙な言い方になるけれど、自分のなかに自分はいない」
26日(日)「二度同じことを言っていると自覚するとき、実はもう、三度言っている」
25日(土)「人はしばしば外部からの視点を密輸入して内部的に語ってしまう」
24日(金)「古いことからどうして新しいことが知られるものか」
23日(木)「語り得る領域のむこうで黙しているのは虚無か神か、はたまた両方か」
22日(水)「環境を抜きにして精神は無力だ」
21日(火)「多面的になったとしても、人と接するときに乱反射してはいけない」
20日(月)「言葉を自分の中から追いだしたなら、時期をみて取り込む必要がある」
19日(日)「たった1秒でだって、人間は満足を得られるはずなのだ」
18日(土)「善には、語りかける善と、語りかけない善がある」
17日(金)「甘いという表現は、人間のなにを表現しているのか」
16日(木)「自らの欲しないことを為すことは、いかにして可能か」
15日(水)「人の選好は、想像する未来の長さに左右されている」
14日(火)「自分の存在を手段とすることで、人は透明になってしまう」
13日(月)「ある領域において、希むことと騙すことは同じことの表裏である」
12日(日)「事実も可能性ではあるが、日常のなかにそれを語る場面はない」
11日(土)「自分がなにに満足するのかわかっている人は幸福である」
10日(金)「努力しようがしまいが、前進するときは前進するのだ」
09日(木)「正当に他者を権威付けられる人ほど稀有な人もなかなかいない」
08日(水)「闇もまた、あるものであり、見るものではない」
07日(火)「知り得ないというよりは、むしろ、それは知ってはならないのだ」
06日(月)「定義から始まる問題があれば、定義で終わる問題もある」
05日(日)「論理が現実を直接扱うということはない、論理は現実を洗練するのだ」
04日(土)「人生の意味と価値は死後に示されるために知り得ないのだろう」 
03日(金)「学問には王道しかないのであり、探求には正論しかない」
02日(木)「関係に背を向けるのもひとつの態度であり、関係である」
01日(水)「人間は忘れていることはできても、忘れることはできない」



31日(火)「厳密であると同時に慎重でなければ研究者にはなれない」
30日(月)「死が遠ざかると思考は鈍る」
29日(日)「哲学は常に宇宙と人生の全体を相手にしている」
28日(土)「正常とはなにかという問いは、まず、正常な人間の問いである」
27日(金)「教授は学習と共にあるという点で指導とは圧倒的に異なる」
26日(木)「最後に哲学することにはなるが最初から哲学してると先に進まない」
25日(水)「憧れに殺されるな、習慣に殺されるな、生きる決意と覚悟を抱け」
24日(火)「悩みを伝達するということにはどういう意味があるのか」
23日(月)「抽出するという形の語り方は適切ではないのかもしれない」
22日(日)「どうしてこれほど自殺と戦っているのかときおり不思議になる」
21日(土)「上に進むか、奥に進むか、やはり先頭には二種類あるだろう」
20日(金)「最初から語ろうとしている人間と共に話すことは苦しい」
19日(木)「語りの領域に留まりすぎると大事なことを忘れてしまう」
18日(水)「正直なところ、飽きたら死ぬしかないだろうなと素直にそう思う」
17日(火)「自分の実力のなさに息苦しさを感じても、やることだけはやろう」
16日(月)「後ろ向きに歩いたとしても、やはり目指す方向は同じなのだ」
15日(日)「確かめ続けることと常に確かめていることとは別のことである」
14日(土)「わかったことに関してはある時点である程度の見切りを付けること」
13日(金)「絶対の確実さは有益さの基礎に寝ているので道具にはならない」
12日(木)「歴史の先頭に追い付いたら、いまよりもっと面白いのではないか」
11日(水)「書き続けるとは壊し続けることであり、それには少し覚悟がいる」
10日(火)「いかなる事情であれ、自殺した人間に同情はしない」
09日(月)「考えることは誰にでもできる、ただ、論証するには訓練を要する」
08日(日)「思うことは誰にでもできる、ただ、哲学するには訓練を要する」
07日(土)「一度、徹底的に攻撃的に勉強するのも良いのではと思う」
06日(金)「やはり存在を追い求める限りにおいてこその表現だろう」
05日(木)「規範的な事柄をいかに抽出し、いかに信じ、いかに従うか」
04日(水)「光はすでに光っているというように完結する探求はいけない」
03日(火)「わかることは寂しい、できることも寂しい、なにもかも寂しい」
02日(月)「自分の冷たさに落ちこむことに呆れるのは虚しい」
01日(日)「手を動かせ、脚で考えろ、知ることを恐れるな」



30日(土)「植物の可愛さは成長が視認でき、またそれに尽きることにある」
29日(金)「解答を美しいと思うとき、問題も美しいことに気付かなければならない」
28日(木)「浅はかさと愚かさの履歴がさらにおこがましいという不運」
27日(水)「勉学に必要なのは体力と意欲であり、最も不要なのが才能である」
26日(火)「僕の言葉と僕の文字はそれぞれ違う生命を与えられている」
25日(月)「仕事に価値のある研究者と、人物に価値のある研究者がいる」
24日(日)「月給10万の不自由ない静かな生活が夢だと言ったら笑われた」
23日(土)「思考に関して、言葉がすなわち、文字がすなわち思考なのである」
22日(金)「真に悩み、その悩みを自覚する者に悩みを語ることはできない」
21日(木)「いかなる種類の発想もそれを形にしたという点でまず評価される」
20日(水)「準備万端になるまで始めないというのは不成功の元である」
19日(火)「当のことを本当に不思議だと思っているかはさして重要ではない」
18日(月)「汝、洗練すべし」
17日(日)「同じ場所で大勢の人に囲まれて笑って生きる、それも良いだろう」
16日(土)「当たり前のことだけれど、大人になるほど可能性は広がる」
15日(金)「見晴らしの良い場所に行きたい、そう思ったら、もう逃げられない」
14日(木)「伝統に潜り、それとともに歩もうと思う限り、新しいことはできない」
13日(水)「生きるとは人の間にいるということだが、生きているとしばしば忘れる」
12日(火)「勉強はいつしか研究に変わる、人生と同じだ」
11日(月)「静かに生活さえできたら、ほかになにを望むことがあるか」
10日(日)「生きよう、と思うのなら弱ってはいけない」
09日(土)「価値を付与することに必死になる前に、自分の仕事をきっちりこなせ」
08日(金)「生き抜いた、やり抜いた人間にしか言うことのできない言葉はある」
07日(木)「論理と倫理はかなり近い、もしかすると同じものかもしれない」
06日(水)「仮に見上げられるようになったとしても、決して見下してはならない」
05日(火)「人間は間違うことができる、それは幸運なことなのだ」
04日(月)「ただ、どうすることがもっとも人に迷惑をかけないことかを考えること」
03日(日)「人を助けることには労力を惜しまず、自分が助けられることは避けよ」
02日(土)「その時、自分がやらなければならないことを自分の力を使ってやれ」
01日(金)「生活に困らないよう、遊ぶために働き、楽をするために努力する」



31日(木)「なにが失敗か知らず、知ろうともせずに失敗を恐れてはいけない」
30日(水)「青は空、白は雲、赤は太陽、黄色は月、緑の草原、オレンジが人」
29日(火)「著述は議論の種であり、栄養である」
28日(月)「議論は著述のための刺激である」
27日(日)「そして人間は名前のために生まれる、これが第三の誕生である」
26日(土)「見渡せば異常なものばかり、それが正常なのだとふとわかる」
25日(金)「なぜ、という問いは果たして、なにを求める、どういう問いなのか」
24日(木)「興味を持ったことは興味を失うまでやってしまうと良い」
23日(水)「誰だって、そのようにしかできない、ということを積み重ねているのだ」
22日(火)「努力は報われる、ただ、それが自分の望む形でかはわからない」
21日(月)「虚無に消えたいと願い、歴史に名を残そうとする、それが人間です」
20日(日)「無駄だと思うなら、無駄だとわかるまでやれ」
19日(土)「もし三人に尋ねられたら、三通りの仕方で応答しなさい」
18日(金)「結婚とは流動的なものを強引に溜めて利用するダムみたいなものだ」
17日(木)「あからさまに大切なものは、大切だ、などと言われたりはしない」
16日(水)「運も自由も才能も振り返ったときに得られるものである」
15日(火)「大切なのは皆の幸福ではない、皆が不公平を感じないことだ」
14日(月)「表立った不幸があったほうが気は楽だ、ということは否めない」
13日(日)「情は相手を包み込み、理は自分を研ぎ澄ます」
12日(土)「理想は現実にならないからこそ理想なのだ」
11日(金)「まあ、そういう気だるい感じも悪かないと僕は思うね」
10日(木)「中途半端な知識は役に立たないばかりか、有害だ」
09日(水)「普通なこと、奇妙なこと、隠れていること、そういうことが大切なのだ」
08日(火)「その人の年齢がその人の発言に与える影響は侮れない」
07日(月)「知識は魅力的に統合されることでひとつの絵を描きだす」
06日(日)「生死は生まれる・死ぬということ、生きるってことは別だよ」
05日(土)「わかる、やる、できる、続ける、つまりね、そういうことなのさ」
04日(金)「底が充分に深ければ、水が透明だって逃げ場所には困らない」
03日(木)「僕はさとす、そして約束する、そうやって罪を重ねるのだ」
02日(水)「学ぶほどに無能さに打ちひしがれ、なにも残すことができない」
01日(火)「満足できる閃きほど忘れやすいのは閃きで満足するなという啓示だ」



28日(月)「抽象の階段を登るたびにきれいなものに出逢える」
27日(日)「嫉妬ほど人を誤らせる感情はない」
26日(土)「必要に差し迫られない限り関わらないという態度は基本的に正しい」
25日(金)「気付けないことと同様に、見逃せないことも罪深い」
24日(木)「本当はこうしてあげたいのにと思うほど他者を許せないようになる」
23日(水)「家庭に憧れれば憧れるほど、独りでいることが正しいと感じる」
22日(火)「個性はだすものではない、でているものである」
21日(月)「格言はそれがそこにあるという不自然さに価値がある」
20日(日)「単に所有したいと思うほど憧れる異性がいないってこと」
19日(土)「どうやら種の保存のために少し壊れることが求められているようだ」
18日(金)「苦労はないに超したことはない、当然である」
17日(木)「落とした刃物を避けなければならないのは、なぜか」
16日(水)「過去と他人は遠い、音と光は煩い、距離感と触感にめまい」
15日(火)「行為の純粋さが集中力なのか、行為を純粋にするのが集中力なのか」
14日(月)「記憶に潜らずに前に進め」
13日(日)「どこまで、なにかを望み続けていることができるだろう」
12日(土)「その思考が価値となるように、価値を思考せよ」
11日(金)「たしかな「教育」には支配的な精神が必要である」
10日(木)「まだ誰も見たことのないものを見られたら、幸せだろうか」
09日(水)「哲学は常に科学になろうとしていなければならない」
08日(火)「心配するなら行動しなさい、心配じゃないなら、もう少し心配しなさい」
07日(月)「夢と虚構の違いとはなにか、夢は見るもので、虚構は作るものだ」
06日(日)「使われないものに意味はない、しかし、価値はあるかもしれない」
05日(土)「理解を誤解から分つものはなにか、正当化である」
04日(金)「考えることを考えること、まさにその考え方が重要なのだ」
03日(木)「意図していたことだけが結果として現れるわけではない」
02日(水)「常識の変化は許しても、常識から逸脱してはならない」
01日(火)「自分の性格の悪さにめげるな」



31日(月)「さながら物語を読むようにして、われわれは人生を楽しむ」
30日(日)「優秀であるというのは、なにかしら社会的であるということだ」
29日(土)「自分しかいない世界において、主観と客観は同一ではないのか」
28日(金)「客観が主観を前提するのか、主観が客観を前提するのか」
27日(木)「理解と説明、説明と記述、これらの区別と連関は意識する必要がある」
26日(水)「転回前と転回後の両方を知って初めて、理解したと言うことができる」
25日(火)「原因と結果は意図的であるが、だからこそ確実である」
24日(月)「あることがわかりうるか否かの判断は、態度に還元される」
23日(日)「大切なのは、わかりうるものは必ずわかるのだという信念だろう」
22日(土)「結局さ、僕がすっかり本気だってことを君はまるで信じちゃいないのさ」
21日(金)「外れを知らない人には中りしかない」
20日(木)「不完全であるがゆえに、論理や科学は全体を呑みこむ」
19日(水)「言うほどではない、訊かれるわけでもない、それでも価値はある」
18日(火)「感情というのは珍しいから、特殊だから、目印になるのでしょう」
17日(月)「経験の集積であるようなデータを侮ってはいけない」
16日(日)「寝る合間に起きているのか、起きている合間に寝ているのか」
15日(土)「意識するな、ただ静かに、やりたいことをやればいい」
14日(金)「珍しいものから取り上げられる、ただそれだけのことだ」
13日(木)「同じことでも、選ぶということより選ばないということのほうが重要だ」
12日(水)「人が大勢いる場所は実質的にも比喩的にも空間が歪んでいる」
11日(火)「何時に起きても一日は短い」
10日(月)「解決する方法よりも、解消する手法のほうがはるかに重要なのだ」
09日(日)「わかっていると感じているなら、それは危険な兆候だろう」
08日(土)「悔いは選択できないが、経験を積むことで予測することはできる」
07日(金)「いま眼前にあるものをしっかり読もう、おおむね、それは二度と読まない」
06日(木)「無理に憶えようとする必要はない、場所を忘れなければいいのだ」
05日(水)「雑誌という誌がないのは、雑誌が分類だからだ」
04日(火)「雑草という草がないように、雑学という学もない」
03日(月)「不思議さや奇妙さは、不思議でも奇妙でもない」
02日(日)「効果を無視して、根拠を問うな」
01日(土)「知識が虚しいのではない、記憶が虚しいのだ」



31日(金)「なにもいらない、しかし、捨て去るわけにもいかない」
30日(木)「誰しもが特別になりたいと思っている、別に隠すことはない」
29日(水)「信じ続けること、やり続けることの重みには涙がでる」
28日(火)「煙草はさながら恋人のようにである」
27日(月)「ただ酒は身体に良い」
26日(日)「なにも望んではいけない強さは、あまりにも息苦しい」
25日(土)「つまらないものなどない、単に楽しみ方を知らないだけだ」
24日(金)「自分を信じることができないならば、意味も価値も捨ててしまえ」
23日(木)「夢を見ることのできる人は幸せだ、そこを目指すことに執心できる」
22日(水)「様々なものを失って得たものが強さだとしたら、なんと皮肉なことか」
21日(火)「頭のおかしな人間は、次第にその頭の可笑しさが快楽になる」
20日(月)「愛はあらゆるものをぶち壊す」
19日(日)「自分を研ぎ澄ます、相手を包み込む、ふたつの方法がある」
18日(土)「誤解がなければ理解も得られない、理解も誤解である」
17日(金)「思考するということに関して、その領域を分節化してはならない」
16日(木)「これが現実に他ならないから、虚構に魅了されるのだろう」
15日(水)「しったかぶられると話が続かない」
14日(火)「なにになるかより、いかになるかのほうが重要だろう」
13日(月)「迷うな、迷ったら負ける、迷ったら動け」
12日(日)「いつか可愛い音楽を聴いてみたい」
11日(土)「批判とは人を信頼するための行為である」
10日(金)「泣ける人は泣いてしまうと良い、それは幸福なことなのだ」
09日(木)「笑うこと、愛すること、そうできると信じるだけで世界は変わる」
08日(水)「得ることは失うこと、失うことを望むとき人はなにを得ようとしているか」
07日(火)「全員が知らないのは困る、ただ全員が知っていてもたぶん困る」
06日(月)「しっかり頭を使わないと無駄なことすらできやしない」
05日(日)「雪が降り積もる、僕はそれを窓越しに眺めている」
04日(土)「知識なんてあっても虚しいだけだ、なければただの馬鹿だ」
03日(金)「いや、そういうことじゃないんだ、あのね、それはふわふわなんだよ」
02日(木)「自信が欲しいとは思う、ただ僕はそれがどこにもないことを知っている」
01日(水)「天才はきわめて神に近い」



30日(火)「理解できたことはどんどん忘れ去られ、結局、なにも理解していない」
29日(月)「未来が決定されていないことは時制の表現自体に帰される」
28日(日)「人が言葉にして欲しいと願うことほど口にしてはならない」
27日(土)「根本的に開かれているかどうかは発想体系の相に関わる」
26日(金)「実際、しばしば沈黙という手段を取るのだから侮れない」
25日(木)「成立していない事柄も了解しなければ全体は見えない」
24日(水)「頼ってほしいときに頼ってもらおうとすることは傲慢ではないか」
23日(火)「書き得ないことを書こうとすることができるとき、書かないことは正しいか」
22日(月)「希望が失望よりも必ずひとつ多い、それが生きるための条件だ」
21日(日)「弱音を吐いている余裕も、後悔している余裕もない」
20日(土)「論理に従うということは実質的には態度である」
19日(金)「われわれは現実から始めるしかない」
18日(木)「裸の対象は服を纏うことで公然と人前に現れる」
17日(水)「凡才の自覚があればあるほど吐きださなければ生きていられない」
16日(火)「楽しみ方を求める人はしばしば楽しむことを忘れる」
15日(月)「秘密にされるような人でなければ、他人の発想には忍びこめない」
14日(日)「僕が頼ろうとしないでも、君はすでに僕の価値だったのに」
13日(土)「特別なことをすることはない、それが特別なことになる」
12日(金)「変化するということは、はたして変質しないものか」
11日(木)「価値は人間の後ろしか歩かない、僕の前に価値はない」
10日(水)「哲学することを愛している人の哲学ほど痛々しいものはない」
09日(火)「日常の些細な選別が重大な決定になりうることは肝に銘じたい」
08日(月)「哲学が嫌いな人の哲学は絶望的に気持ち悪い」
07日(日)「できるかできないかじゃない、やるかやらないかだ」
06日(土)「わがままにならなければ、人の死を止めることはできない」
05日(金)「ふたりの人が肩を寄せあって歩いている光景の不思議さ」
04日(木)「苦にならぬものを極めよ」
03日(水)「夢は現実の出来事である」
02日(火)「示唆に勝る説明はない」
01日(月)「全てを記述するわけにはいかない、意図を把握することだ」



31日(日)「どの水準で、どこまで自分を拡大することができるだろう」
30日(土)「書きだすことで生命を得るなら、書かないことでなにを守る?」
29日(金)「残されたものはおまけ、同時に歩む人にこそ重要な人間であれ」
28日(木)「自分自身が作品となるのがもっとも効率が良い」
27日(水)「道徳は見ている自分から始まる」
26日(火)「思考を形にする手法、発想の表現とその効率の良い伝達」
25日(月)「もしも海を目指すなら、港選びは慎重に」
24日(日)「それは機械と人間とを、ものと思考とを互いに還元する試み」
23日(土)「会いたいと思うときには、必然的に会いたい人はいない」
22日(金)「熱情冷めやまぬうちは理解も身を潜める」
21日(木)「性別になにか価値があるとでも」
20日(水)「生命を絶つ権利を奪った罪は重い」
19日(火)「問題を持つことと問題に取り組むことは違う」
18日(月)「常に最適化を施していると酷い虚無感に襲われることもある」
17日(日)「僕の望みはなにの痕跡も残さずに溶けさったということを示すこと」
16日(土)「言説の有用性はその保持者の態度によるところが大きい」
15日(金)「たゆたうときには幽玄に、とどまるときには明敏に」
14日(木)「僕は誰のものにもならないし、君はすでに僕のものだ」
13日(水)「人間は少しずつ壊れながら充実を感じ、安定を求めるようだ」
12日(火)「存在自体が武器になるように自分を高めよ」
11日(月)「常に思考して、思考する時間をとることを避けよ」
10日(日)「認められることを待っていては、なにもかもが遅すぎる」
09日(土)「事実を経験することはできない」
08日(金)「恋は盲目、愛は寡黙」
07日(木)「存在は、存在させたいという意志によって切りだされる」
06日(水)「学ぶということは、とりもなおさず、学び方の探求である」
05日(火)「明確な境界をもたぬのに名前が付与される、それがあるということだ」
04日(月)「色で形を現そうとすると混乱が生じる」
03日(日)「言及しないということで得られる効果は格別に大きい」
02日(土)「夢をみることはできない、それはみた人にだけ知られる」
01日(金)「仮にこの世界が虚構だとしても、それはこの世界あっての虚構である」



30日(木)「なにを考えるかではない、いかに考えるかが大事なのである」
29日(水)「あらゆることは止めるために始められ、忘れるために知られる」
28日(火)「自らを恥じることは決して自らを蔑むことではない」
27日(月)「意味は明確に、意義は明瞭に、決意して判断し、誠実に主張しよう」
26日(日)「注目に値せぬもので注目を浴びることは、誰がどう言おうと恥だ」
25日(土)「冬の静かな薄暗い夜明けが、どれだけ人に優しいことか」
24日(金)「愛されたい人同士の交際は遠からず破局する」
23日(木)「年齢という表現がいかに無粋であるか、人はあまり意識しない」
22日(水)「手の内を見せるなら、奥の手を隠しておけ」
21日(火)「追いつきそうで追いつかない、たまに見つけて、そう思う」
20日(月)「最初がもっとも大切だ、つまり、始めるまでが重要だ」
19日(日)「そこが見えないということは、なにかを見ているということだ」
18日(土)「議論で遊ぶつもりはない、僕の問題はもっと切実である」
17日(金)「互いの望みが互いの望みを充足する関係などありうるのか」
16日(木)「疲れることもしばしばある、しかし、疲れないよりはましだ」
15日(水)「わからないことは隠されているわけではない」
14日(火)「わかることを知るために虚構の空間は広がる」
13日(月)「知りうることは知りうるかたちで提供される」
12日(日)「わかっていること以外を知ることはできない」
11日(土)「誰かがやらなきゃならないことに偉いもなにもない」
10日(金)「寝起きはあらゆる垣根が低い」
09日(木)「まだ早かった、まだ早かった、なにかを知るたび、そう思う」
08日(水)「好かないものを嫌うとき、あらゆる尺度が反転する」
07日(火)「本当に素晴らしいものを褒めることは無粋だ」
06日(月)「子どもを続けていても、大人は始まる」
05日(日)「たとえばれないとも、大抵のことは気付かれているものである」
04日(土)「あまりに騙されているから、ときおり騙していることを忘れる」
03日(金)「幸福な生活には不幸な人間が必要だろう」
02日(木)「喉元すぎれば辛さ感じる」
01日(水)「経験の右足は知識の左足である」



31日(火)「これほど自分を騙していれば、自分を知ることなどできないだろう」
30日(月)「現実ほど常識を逸脱したものはない」
29日(日)「筋肉でもっとも疲労するのは表情筋である」
28日(土)「存して徳得れとは、人間社会にうってつけじゃないか」
27日(金)「損して得取れとは、人間関係にうってつけじゃないか」
26日(木)「疑うな、そのために疑わせるな」
25日(水)「ないことを認めよ、ないものを演じよ」
24日(火)「限界のなかで思考は研ぎ澄まされる」
23日(月)「あえて言わないこと、全部は相手にしないこと」
22日(日)「予定のある生活が送れるほど大人じゃない」
21日(土)「複雑な環境が成長を早めるのは、そこにしか成長がないからである」
20日(金)「個別事例を挙げることの難しさは、理解の共有が困難なことによる」
19日(木)「称賛は攻撃である、適度に褒められたい、素直に褒めたい」
18日(水)「表現される弱さの持つ力は馬鹿にできない」
17日(火)「閃きはポテンシャルな発想に左右されるから面白い」
16日(月)「その時涙を流すには、どれだけのことが必要か」
15日(日)「恥じてなお、それでも続けよう」
14日(土)「寂しさのために自由を犠牲にすることを否定はしない」
13日(金)「表現されなければ事実すら現れない」
12日(木)「結局は本当にそうなりたいかどうかである」
11日(水)「自分を確定できない組み合わせは避けなければならない」
10日(火)「わからないことの伝達は容易だが、わかることの伝達は不可能だ」
09日(月)「覚悟を決めろ」
08日(日)「人は感情を求め、感情を消費する」
07日(土)「楽しんでいる人間に立ち向かうには、楽しむしかない」
06日(金)「泣きたいという理由で映画を観るということが実際には起こる」
05日(木)「既に把握していることしか知ることはできない、あるのは自覚だけだ」
04日(水)「静座・迷走・故旧、非対象の全体、揺れる、頭が揺れる」
03日(火)「思考することを思考するには、まず、思考していなければならない」
02日(月)「正座・瞑想・呼吸、非対称の全体、揺れる、頭が揺れる」
01日(日)「生きること、それは思うこと、思うこと、それはたぶん夢を見ること」



31日(土)「人間はさながら逃げるように知ることを欲する」
30日(金)「人間の単位が人だというのは、実に聡明な常識である」
29日(木)「全体は、微細な個人を要点的に引っ張ることで、静かに動きだす」
28日(水)「なかなか壊れないことを知ると、勿体無かったと悟る」
27日(火)「個別に交わしても、大局的な問題解決にはならない」
26日(月)「楽になりたければ壊せばいい」
25日(日)「人が集まること、人が話すこと、人が笑うこと、その異常さ」
24日(土)「大事だから大事なのではない」
23日(金)「哲学は思考の方法と有益な視点の提供である」
22日(木)「発想は浸透し、そして忘れ去られる」
21日(水)「いま人間に必要なのは我慢と自覚である」
20日(火)「人生はどこにもない」
19日(月)「決める意志はいつだって覚悟している」
18日(日)「転ばぬ先の杖、有事の天秤、暗闇の海」
17日(土)「自由ではないかもしれないと思えるほどには、人間は自由だ」
16日(金)「人生こそ、隠されなければならないのではないか」
15日(木)「自身を無価値化することで他を貶めることは、人生の冒涜である」
14日(水)「誤解して困る、誤解されて困るということはない」
13日(火)「使われるということ、それがやはり大事なのである」
12日(月)「動きのなかに僕は溶け去る」
11日(日)「清算を求めるよりは展開を望め」
10日(土)「言語の本質が比喩にあるのなら、理解の本質は誤解にある」
09日(金)「実践に及んで失敗をするのは経験の不足が理由ではない」
08日(木)「身体で考え、意思で動きまわるのである」
07日(水)「価値に殺されるな」
06日(火)「個の極限は全体に逆流する」
05日(月)「選択するというその意思が特別なのである」
04日(日)「無意味・無価値というよりは、不用・不必要である」
03日(土)「違和感に適確な問題が立ち、新しさが生まれ、古さが生まれる」
02日(金)「無垢な信仰のきれいさにはほとほと愕然とする」
01日(木)「結局、どれだけ遠いところに行けるかということだ」



30日(水)「最初の一歩と最後の一歩を意識せよ」
29日(火)「自分を投げだすよりは、周りを取りこめ」
28日(月)「まとめることはもっとも無駄で疲れるが、もっとも力がある」
27日(日)「見ることは知ること、知ることは生きることの側面でしかない」
26日(土)「思考を形にする理由はまず経済的な事情によって興る」
25日(金)「なるからするのではない、するからなるのである」
24日(木)「不思議さが霧散しても不思議ではあるし、それで十分である」
23日(水)「望まないことを望ませるのも、やはり不条理である」
22日(火)「価値を捨てさせるために財を捨てさせるのは不条理である」
21日(月)「知らないことを忘れることはできない」
20日(日)「教えずに、ただ願い、気付かれず、結果に悲しむのは愚かだ」
19日(土)「なにごとも、忘れられなければならない」
18日(金)「ひとりひとりに多様性を持たせようとは、酷な試みだ」
17日(木)「まず見よ、立場を知り、捨てよ、そして動け」
16日(水)「文字に力はない」
15日(火)「常識を蔑まず、ただ誠実に拡張せよ」
14日(月)「変えるように変わるのではなしに、変わるように変えよ」
13日(日)「自然は自然を必要としない」
12日(土)「特別なものを大事にすることはたやすい」
11日(金)「自然は分散して維持される」
10日(木)「どうでも良いことを持つことは高尚である」
09日(水)「不自然でなければ社会は維持できない」
08日(火)「ありがたいものは、やはり、あり難い」
07日(月)「苛立つ人は幸いである、その人は知っているのだろう」
06日(日)「人間として振る舞うことを忘れて、どうして人間でいられるものか」
05日(土)「なにごとも教えられない、学ぶのだ」
04日(金)「冷めた愛は、捨てられるから、失われる」
03日(木)「頭のなかで何人の思考が生きているか、考えてもみなさい」
02日(水)「時間が問題を解消しても、失われたものが回復するわけではない」
01日(火)「否定の意思は、否定することすら否定する」



31日(月)「強いのはだめだ、弱いのはもっとだめだ」
30日(日)「偶然を必然に、必然を偶然に転換するのが「運命」である」
29日(土)「間違いたいなら、とことん間違わないようにせよ」
28日(金)「還元するのがだるいのは危険な兆候である」
27日(木)「目的語を消してしまえ」
26日(水)「気付かれたら、おしまいだ」
25日(火)「悩むことと考えることは違う」
24日(月)「嬉しさはおまけである」
23日(日)「わからないなら、わからないふりをしろ」
22日(土)「知らないことで困ることはない」
21日(金)「ようは本当にわかりたいのかどうかである」
20日(木)「答えのない問いには、それを問うことに答えが求められる」
19日(水)「なんのために知るのかを知っている人は幸せだ」
18日(火)「組み込まれると、取り込まれたことを意識しない」
17日(月)「許されたいなら教会に行けば良い」
16日(日)「僕はどこにいるか、ここにしかいない」
15日(土)「意図的に境界を設定することが必要である」
14日(金)「端的な間違いを提出し続けることは有益である」
13日(木)「地を歩むことを忘れずに、視点を解き放て」
12日(水)「神になら、なってみたい、と思う」
11日(火)「不器用だと損をするが、器用だと疲れる」
10日(月)「必要とはいえ、なぜ、摩擦が求められるのか」
09日(日)「自分が愚かなばっかりに、これほどまでに時間がない」
08日(土)「閉じる側面を描いたとき、それには外側がある」
07日(金)「生きてるだけで、結構、満足しちゃってる」
06日(木)「いかなる仕事も、ある側面でしかない」
05日(水)「訳すということよりも、読むということのほうが重要なのだ」
04日(火)「どこまでも諦めないのが学問の精神である」
03日(月)「言語に対して、いかに対象を抜き取るかが重要である」
02日(日)「人はどう考えれば良いのかわからないときに悩む」
01日(土)「もっと遊ばないと」



30日(金)「表現できない発想は空虚である」
29日(木)「あらゆるものに意思を見よ」
28日(水)「せいいっぱい生きる、それが幸せに生きたということだ」
27日(火)「問題と対峙しないことは、問題を持つことである」
26日(月)「願う時間は無駄であり、祈る時間は贅沢である」
25日(日)「どうして人はなにかを信じたがるのか」
24日(土)「形は示され、色は語られる」
23日(金)「人生は命がけだ」
22日(木)「拡げられたことを知っていれば、隠されたことも理解できる」
21日(水)「なにかを手に入れるには、そこまで足を出す必要がある」
20日(火)「良いものを増やすより、悪いものを減らすことだ」
19日(月)「伝統的な哲学的問題は静かに忘れさられる」
18日(日)「価値があるということに、それほど固執することはない」
17日(土)「主張できない人間は意見しないほうが良い」
16日(金)「正しさは正しさを求める」
15日(木)「詩はむしろ、わかろうとしない、ということで感じられる」
14日(水)「ビル・エヴァンスの音楽は詩である」
13日(火)「ルネ・マグリットの絵画は詩である」
12日(月)「繕う、ということは、ひとつだ、と思わせることだ」
11日(日)「答えがない、ということはない」
10日(土)「他人が間違うことを、僕が嫌がる理由はない」
09日(金)「なにを得る、より、どれを得ない、ということが大事だ」
08日(木)「人間は新たに作り出された自然に還る」
07日(水)「機械について考えずに、どうして人間を考えられるか」
06日(火)「生きることが嫌になれば、死のうとすることすら嫌になる」
05日(月)「後ろ向きに歩かなければならないのが教育者の苦労である」
04日(日)「現在の倫理は人間の生死に拘束されるところに限界がある」
03日(土)「事実そうであるということを、いかに認識するか」
02日(金)「思考は退化しない、ただ、煩雑になる」
01日(木)「嘘と矛盾と人間の関係は微妙だ」



31日(水)「思い出とは忘れることにあり」
30日(火)「自由、に、束縛されるな」
29日(月)「拡張されて始めて、自分が、自分のひとりだったことを知る」
28日(日)「人間が、生きていたい、と思うことからして虚構だ」
27日(土)「なににも期待していないから、なにもかもから遠い」
26日(金)「聞けることより、聞き流せられることのほうが重要だ」
25日(木)「知識は信頼によって成り立つ」
24日(水)「人間が記憶を制限する仕組みは不思議だ」
23日(火)「僕の言語は、まだ、もっと、自由になる」
22日(月)「情報は、どこにあるか、ということさえわかっていれば良い」
21日(日)「存在する、ということを、輪郭で判断しすぎではないか」
20日(土)「構造に着目するのは当然だが、眼目はそこにはない」
19日(金)「学校で教わるあらゆる概念は、もう、圧倒的に古すぎる」
18日(木)「適度な束縛は効率的な処理に影響する」
17日(水)「変わらないでと願うことの基礎にはなにがあるか」
16日(火)「愛は偶然的で無駄であるほど透明だ」
15日(月)「教えるということは主張するということである」
14日(日)「時間を捧げあう関係は微笑ましいが、たんなる浪費だ」
13日(土)「人間ばかりが同じ場所にとどまっている理由はない」
12日(金)「自分のことだけを考えるとは、結局、なにを考えることか」
11日(木)「僕の思考が紙の上にしかない、ということは驚きに値する」
10日(水)「信じるものに関しては半端に抽象してはならない」
09日(火)「ある事実から、どのような事態を得るかが重要である」
08日(月)「洗練に依らない便利さは人を堕落させる」
07日(日)「人間は自由であるがゆえに害を為す」
06日(土)「僕は平気だ、君だって平気なはずだ」
05日(金)「生き易きに生きよ」
04日(木)「安易に問題を持たないことは良いことである」
03日(水)「時の流れは、なにも変わっていないことを忘れさせる」
02日(火)「過去を物語として捉えれば、同様にして未来の予定も可能である」
01日(月)「多いところはますます増え、少ないところはますます減る」



29日(日)「豊富な物語はときに混乱を引き起こす」
28日(土)「君と共にあるとき、はたして、僕は僕としてありうるのか」
27日(金)「ただ単に他者の人生哲学に興味を持っても仕方がない」
26日(木)「生きようと考えることは、本来、ナンセンスである」
25日(水)「僕にとって孫子を超える名著は、なぜか、いまだない」
24日(火)「あらゆる人生が緩慢なる自殺ではない保証がどこにあるだろう」
23日(月)「フレーゲはただ示し、ウィトゲンシュタインは示したことを語った」
22日(日)「自律の中に否定や禁止を持ち込んではならない」
21日(土)「整合的に網羅しうるならば、あとは分けかたの問題である」
20日(金)「伝えようとしているうちは理解していない」
19日(木)「臨む態度に比較すれば、扱う手法など軽微な問題だ」
18日(水)「塗り絵の枠組みは閉じていなければならない」
17日(火)「この生とこの死、そこまでの距離感があらゆる態度を決定する」
16日(月)「普遍的必然性というものをとることはできない」
15日(日)「生命と人生が、思考に優先する」
14日(土)「十分に耐え、考え、努力しているのなら、もう臆することを止めよ」
13日(金)「天才ではない早熟に人生は笑いかけない」
12日(木)「そこになにかを読もうとする限り、無駄な物語などない」
11日(水)「誰に向かって喋っているか、それが決定的に重要である」
10日(火)「生きている人間は生きなければならない」
09日(月)「知を信じよ、ただ、妄信するな」
08日(日)「もっと透明に、もっともっと透明に」
07日(土)「僕にとって宗教は、それが「宗教」であるがゆえに否定される」
06日(金)「哀しみとは死である」
05日(木)「対立するものは矛盾していない」
04日(水)「人生に意味はない、人生が意味である」
03日(火)「信じないことがらについては、なにごとも言ってはならない」
02日(月)「生きかたで示せ」
01日(日)「不安を増すだけの幸福なら、いらないのだろう」



31日(土)「全称命題は、個人的で謙虚であれば、有害ではない」
30日(金)「性格というのは個人の内部にあるわけではない」
29日(木)「真の平和は理解の先にある無視によってなされる」
28日(水)「もっと静かに、もっともっと静かに」
27日(火)「美しいから、美しいのである」
26日(月)「誤解を恐れては個性は生じない」
25日(日)「人間は死以上に苦を恐れる」
24日(土)「考えるとは言葉を整理するということである」
23日(金)「哲学できるのであれば、本来、哲学を学ぶ必要はない」
22日(木)「現代の人間は、人生以上に知識に溺れる」
21日(水)「語る内容以上に、語る相手を吟味しなければならない」
20日(火)「尊敬に値するのは真摯な人間のみである」
19日(月)「語りえないものについてこそ、沈黙してはならない」
18日(日)「幸福は注意によって育まれる」
17日(土)「才能以上に努力が報われることはない」
16日(金)「いちいち考えるのが面倒だから、考えるのだ」
15日(木)「やりたいことをやらねばならないようにならねばならない」
14日(水)「能力を活かすための能力が意外と大事だ」
13日(火)「人は美しいものを信じる」
12日(月)「自己は名前の性質である」
11日(日)「人間は自己を持つことで幸福と孤独を得た」
10日(土)「机上の空論の問題点は、それが机上にあることだ」
09日(金)「人間というのも、その気になればなかなか面白いさ」
08日(木)「周りの全てが変わるのだから、あなたが焦ることはない」
07日(水)「いつ自らの存在を恥じるか、そこが大人と小人の中点である」
06日(火)「人間は白紙というよりも乾いたスポンジとして生まれる」
05日(月)「思考はさながら水に色を付けるように浸透する」
04日(日)「僕の前に道はない、僕の後ろにも道はない」
03日(土)「憶測でものを語るには信頼が要る」
02日(金)「優しさは感じられる」
01日(木)「明けるでしょう、おめでとう」



31日(水)「足るを知ったか」
30日(火)「ついでに頑張っちゃおう」
29日(月)「まあ、焦ることはないだろうさ」
28日(日)「いつの間にか牛の背中に乗っている」
27日(土)「才能を努力に転換した方が有意義な人もいる」
26日(金)「いつの時代の言葉も生活とともにある限り完全だった」
25日(木)「視線を閉じて、まぶたを閉じて、目を閉じて」
24日(水)「抱いているものの違いは絶望的である」
23日(火)「わかる人にしかわからない」
22日(月)「理解はいつも、ネガティブである」
21日(日)「今日しなければ明日できないことをやれ」
20日(土)「より残酷なのは傷つけようともしないことである」
19日(金)「僕が、君のためにできることは、ただのひとつもない」
18日(木)「多様性の空を剣呑な渡り鳥がどこかに向かって飛んでいる」
17日(水)「理解していること以外は、理解できないだろう」
16日(火)「皿がなければ、料理はだせない」
15日(月)「豊かさとは多様性である」
14日(日)「つまり、あなた自身だ」
13日(土)「複雑系とはあまり関係がない」
12日(金)「喋ることができるとき、分裂が始まる」
11日(木)「人は服を着て街を歩き、眼鏡を通して本を読む」
10日(水)「たとえば「虚構」と「物語」が人になにを与えているか」
09日(火)「不幸に依存して生きようとしている人間は醜い」
08日(月)「正直、もっと老人の気高さに期待していた」
07日(日)「身体に悪い食物など果たしてあるか」
06日(土)「疑問なのは、なぜ正しいのか、ということである」
05日(金)「人はいったい、なにに向かって話をしているのだろうか」
04日(木)「問題なのは、なぜ間違うのか、ということである」
03日(水)「わかるのは、いつも終わってからなのだ」
02日(火)「きになる、みがなる」
01日(月)「単に君と違うというだけで別に喚きちらすことはない」



30日(日)「雪の存在に雨は降っている」
29日(土)「雨よさりよりも雪よかし、寒さすぎると冷たさを忘れる」
28日(金)「諦めることを諦めることを諦めたから、諦める」
27日(木)「人生はなににたいして長いのか、あるいは短いのか」
26日(水)「どうせ胃で混ざる」
25日(火)「問題を持たない人間に解答は無意味だ」
24日(月)「変わろうとするな、変えようとせよ」
23日(日)「モラルとは内的強制力(他人の視線)である」
22日(土)「本当にどうしようもないのなら気楽でいいじゃないか」
21日(金)「たぶん、辻仁成はギャグだ」
20日(木)「君に良い日、僕に嫌な日」
19日(水)「もし暇なのなら、煙草とはなにか、と考えてみるといい」
18日(火)「考えようとしたときにすでに考えていることが重要だ」
17日(月)「祝福は祈りである」
16日(日)「動こうとすることで止まろうとせよ」
15日(土)「どうやって歩けば良いか、それは歩かなければわからない」
14日(金)「できることの価値は、できたことの価値に劣る」
13日(木)「気の抜けたぬるいビールは甘い、ゆえに味がある」
12日(水)「寝て炬燵にいる冬の猫、すっと手が伸び、冬みかん」
11日(火)「考えると悩む、だから動こう。すると少しだけ考えられる」
10日(月)「たとえ知りえないとしても、知ろうとしなければならない」
09日(日)「死なないでほしい、ただ、それだけなのです」
08日(土)「さては覚えているということの方が不思議ではないのか」
07日(金)「人間は大体が窒素ばかり吸って生きている」
06日(木)「幸福はそこにあり、不幸はどこにでもある」
05日(水)「人の死とはまず断絶、ついで忘却である」
04日(火)「疑う努力もせずに信じる人間は愚かだ」
03日(月)「どう考えたいかという思考の要請がそれ自らを支配している」
02日(日)「必然性のない事柄を維持し続けることは罪である」
01日(土)「なにか変だということがわかることが、すでに変だ」



31日(金)「神秘は論理にかなう」
30日(木)「祈りは言葉にできない」
29日(水)「信仰の本質は祈りである」
28日(火)「雲を見上げれば空があり、星を見上げれば月がある」
27日(月)「あらゆる自分の行為は自分のためにある」
26日(日)「報われないことをする人間はいない」
25日(土)「特別なことをする必要はない、それが特別なことになる」
24日(金)「回らない独楽は倒れている」
23日(木)「ジェンダについて語ることも、ジェンダに触れている」
22日(水)「努力とは行動の客観的な評価であり、信念ではない」
21日(火)「自制心というのは自制するものを間違えると意味がない」
20日(月)「幸福な人間は幸福であることを誇りとしなければならない」
19日(日)「解答を得るため問題を与え、問題は解答を目指して与えられる」
18日(土)「観察と理解の狭間にあるものこそ詩である」
17日(金)「お茶はごきゅごきゅと飲めるが、珈琲は飲めない」
16日(木)「迷って迷って間違える。迷うと間違える」
15日(水)「上をみる必要はない、ただ、下をみなければいい」
14日(火)「後悔は真理値変換の不可能性を表現している」
13日(月)「旅とは、少しのあいだ、背景を入れ替える行為だ」
12日(日)「理解できないというよりは、むしろ、聞こえない」
11日(土)「鼻息の荒い人間はなかなか信用しがたい」
10日(金)「普遍の常識などないという普遍の常識があるようだ」
09日(木)「なにを避けるか、ということを選ぶのだ」
08日(水)「決断は時間とともに成長する」
07日(火)「偉さとは責任の大きさを示す尺度である」
06日(月)「文字を追うだけでは文章は読めない」
05日(日)「虚構を作ることは同時に現実を創ることでもある」
04日(土)「後悔が先に立っても、人はやはり失敗する」
03日(金)「言葉は人を選ぶ」
02日(木)「若者よ、理想に忠実であれ、しかし、決して死ぬな」
01日(水)「幾つかの体系は頭の中で多層的に共存させられうる」



30日(火)「思想は行動か文字か、どちらかでしかありえない」
29日(月)「問題を共有できない人間関係は長続きしない」
28日(日)「腐ってるんじゃないんです、熟成してるんです」
27日(土)「ひとつ完全な神話があれば、もうなにもいらないだろう」
26日(金)「なにが終わったのか、なにか終わったのか」
25日(木)「人間のあらゆる行為は演技である」
24日(水)「楽しいときに身体が震えるのは、怖いからだ」
23日(火)「道徳とは水面であり、地表の30%は陸地である」
22日(月)「朱に交わるから、血は赤い」
21日(日)「尊敬するという言葉は優位に立てる人間にしか持てない」
20日(土)「社会の全体は教育に対して責任を持たねばならない」
19日(金)「見慣れたものに安心するのは幸せなことだろう」
18日(木)「表現できなければ、感情も理念も無意味だ」
17日(水)「優しさも温もりも、価値は宗教である」
16日(火)「間違いを砕き、幸福を奪うことを正しいといえるか」
14日(日)「この現実感のなさが、実に現実的だ」
13日(土)「最近、快楽というものを外側に感じないし、求めない」
12日(金)「標準的に声の大きい人間を信頼することはできない」
11日(木)「人に興味がないと誤解されることも多い」
10日(水)「才能ある者は有限で粗雑な入力を華麗に出力する」
09日(火)「インタレストでなければジョイできないとはファニィだ」
08日(月)「「自分」という語が意味するものは不定である」
06日(土)「そうあるしかないという仕方でしか物事はない」
05日(金)「自分は自分に厳しいが、それを「厳しい」と思ったことはない」
04日(木)「社会の真理と世界の真理はどうして違うのか」
03日(水)「実際、決定論的な考え方を消去することは無理だ」
02日(火)「大丈夫です、慣れてますから」
01日(月)「安易な笑顔は幸せに最も遠い」



31日(日)「最も不幸なのは誰も望まないことをやらされることだ」
30日(土)「時間の価値は歳を重ねるのに従って上昇する」
29日(金)「「他の先生」という放送が「ルパン三世」に聞こえる」
27日(水)「規則正しい生活は身体に悪いことが判明」
26日(火)「だるい」
25日(月)「問題は考えるためにある」
24日(日)「また、善は閑居に為されるというのも確かだ」
23日(土)「閑居不善を為すという格言は実に人間心理を突いている」
22日(金)「始まらないと落ち着けないし、落ち着いても始まらない」
21日(木)「社会の正しさは、世界の正しさでは決してない」
20日(水)「多様性の片隅で孤立することは正しい」
19日(火)「しばしば僕の言葉より、僕の文字を信用される」
18日(月)「子供と老人だけは甘やかしてはいけない」
17日(日)「厳密な語にこだわると、なにも喋ることができない」
16日(土)「詩人を好きなるのは、まず、怠惰な人間である」
15日(金)「常に何かをしていれば、後悔だけはしないだろう」
14日(木)「努力できる、できているということは幸運なことである」
13日(水)「自分ではないとは思わないがゆえに、自分は自分である」
12日(火)「僕の生命は遠い。僕の精神は脆い。僕の肉体は儚い」
11日(月)「飛ぶことのできない鳥にも、翼は絶対に必要である」
10日(日)「当たり前のことを表現することが大事である」
09日(土)「学者の理想と只者の妄想の狭間に現実問題がある」
08日(金)「悪いものがなければ、良いものもない」
07日(木)「人間関係を表現するとき、重要なのは距離感のみである」
06日(水)「明確にすることで意味の消滅するものがある」
05日(火)「感情とは表現であり、それは常に過去形で表される」
04日(月)「時間とは表現であり、表現でしかない」
03日(日)「はたして雲を指差して、雲を理解させることが可能だろうか」
02日(土)「意味と解釈を混同するのは避けなければならない」
01日(金)「なにを選ぶか、選んだか、それが常に、最も重要だ」



31日(木)「紙の上のあらゆる問題は表現の問題である」
30日(水)「死ぬほど頑張るという生きる決意は熱い」
29日(火)「機能としての「感情」と感情はすっかり別のものだ」
27日(日)「人が光を綺麗に想うのは、それがものを輝かせるからだ」
26日(土)「少しずつ、確かに、緩やかに、遠ざかっている」
25日(金)「意味ある文字は表現を装飾に導き、世界を洗練する」
24日(木)「意思は解消されてはいけない、解決されるべきだ」
23日(水)「実は岡江久美子と麻木久仁子の区別ができない」
22日(火)「火のないところにも煙は立つ」
21日(月)「いい仕事は、いいタイミングにされている」
20日(日)「いいタイミングに、いい仕事はできない」
19日(土)「哲学とは溶けているチョコレートを冷やそうとする働きである」
18日(金)「実は井川遥と乙葉の区別ができない」
17日(木)「わからないことがわからないことがわからないことはない」
16日(水)「いつまでも、というわけにはいかないし、いけない」
15日(火)「もっとも根源的なことが、木の枝の先にある不思議」
14日(月)「独創的に言おうとしても、独創的な人間にはかなわない」
12日(土)「大きい嬉しさや楽しさは、小さいそれ以外に負ける」
11日(金)「その教師が無能か、その人間が無能か、どちらがより悲惨か」
10日(木)「結局のところ、優秀さというのは人間関係にすりかわる」
09日(水)「いつでも底辺にいるのが最も楽だ。上だけ見ていればいい」
08日(火)「惨めな人間とは、まずもって底が浅い」
07日(月)「自然な排除は必ず、安定に結びついている」
06日(日)「無数の愚者が幸福に生きる。それが世界の理想形だ」
05日(土)「変わっても愛のほうが、変わらぬ愛より貴いと思う」
04日(金)「最終的にはどんなものも減衰する。じゃなけりゃ、壊れる」
03日(木)「自信なんかいらない、だから、不安なんていらない」
02日(水)「役に立つか否かは、役に立てられるか否かによる」
01日(火)「善意ある人間が邪魔なときほど厄介なことはない」



30日(月)「貴重な時間という表現は、時間が貴重なかぎり不誠実だ」
29日(日)「なにもしなかった時間を、忘れないようにしてほしい」
28日(土)「明日は明日の不幸せ。今日の幸せは忘れよう」
27日(金)「今日の風に哀しみを乗せ、明日にそれを手にしよう」
26日(木)「謙虚に過ぎれば、我がままになる」
25日(水)「根拠なき正解の集大成、信念の飽和こそ、宗教だ」
22日(日)「強さとは風が吹いたときに揺れないということではない」
21日(土)「大事だからこそ手離す、ということもありうる」
20日(金)「誤解を絶つには、相手か、自分の考え方を変えればよい」
19日(木)「いまや、僕の生命は僕の外側にある」
18日(水)「認められること、小さい、弱い、確かな幸福」
17日(火)「人がいないほうが世界は美しいが、少しだけ寂しい」
16日(月)「勝ちたいと思っているうちは勝てないし、勝っていない」
15日(日)「期待は常に裏切られるためにある」
14日(土)「綺麗に誉めることは、美しい批判と同様に難しい」
13日(金)「「降るはず」なのに降ってこないという雨に共感した」
12日(木)「寂しいわけないなどと思った時点ですでに負けている」
11日(水)「思い感じることは容易いが、それを表現することは難しい」
10日(火)「何事もないことがもっとも良い」
09日(月)「奇跡的ではない出来事など考えることができない」
06日(金)「許せないのは、許せないような環境を訪れる自分だ」
05日(木)「冷静になり、決して気を抜かず、余裕を持って、微笑め」
04日(水)「知識を得ようというとき、本代をケチってはいけない」
03日(火)「大事だからこそ壊したいという衝動は理解できないことはない」
02日(月)「いや、いま必要なのは僕の納得ではない、君の説明だ」
01日(日)「作ることと壊すことが楽しいのは全般的に容易だからだ」



31日(土)「ある時切れてしまう終わりは、いつでも緩やかに訪れている」
30日(金)「追いつこうとしているだけじゃ、追い抜けない」
29日(木)「失われて初めて、それが失われても良かったことだとわかる」
26日(月)「なにも望まないことを望んでいる」
23日(金)「やらなければならないことがない時ほど、やりたいことが少ない」
22日(木)「マトリックスにまたウッチャンが出演していて驚いた」
18日(日)「考えたぶんだけ、時間は進んでいる」
16日(金)「記号は指し示してはいるが、なにも語らない」
15日(木)「いま、自分は幸せなのではないかと疑ってみることは有益だ」
14日(水)「身体的な活力は思考に直接影響する」
13日(火)「最も有効な表現手段は相手を想定しないことで確立される」
11日(日)「過去をのぞき、過去を笑うことは、未来にしかできない」
10日(土)「違いというものは、似たものが集まったときに際立つ」
08日(木)「生は持続、死は断絶である」
06日(火)「知ることは容易いが、新たに見つけることは困難である」
03日(土)「知っている、ということは自己満足でしかない」
02日(金)「渡航中よりも、渡航後の方が船が疲弊しているのは当然だ」
01日(木)「人の空虚な充実感は、傍から見ていると苛立たしい」



30日(水)「なににも期待しない人間は、常になにかを待っている」
29日(火)「偶然、欲しい本を発見した時のその金額は欲しさに正比例する」
28日(月)「まず背表紙を見て、次にその腹の内を読んでから、本を買う」
27日(日)「自由なことのできる国は、自由の国ではないようだ」
26日(土)「ホッケの開きなおり」
25日(金)「藤本美貴の動作がぎこちないことは大人なら黙っていよう」
24日(木)「感情が消え去っても、器は残っている」
22日(火)「近頃、思考の切替が困難だ。頭の中が非常に騒がしい」
20日(日)「やらなければならないことがある時ほど、やりたいことが多い」
19日(土)「大事なもの、それは大事だったもの」
17日(木)「泣きたいほど嬉しいということは、同時に哀しい」
15日(火)「人の発する言葉は、そのすべてが詩になりうる」
14日(月)「優良な書を読み、その理解ができないということはない」
13日(日)「未来にむかって、おめでとう。そして、だらしのない僕に乾杯」
12日(土)「なにかを吸収していて、変化が訪れないということはない」
11日(金)「ステラプレイス・イーストのエレベータはやたら空いている」
10日(木)「「正午」という単語を日常で使ってみたいが、その機会がない」
09日(水)「継続は力と思い続けるのは執念だ。執念は物事を継続させる」
08日(火)「「メモし忘れるべからず」とメモしても、どうやら無駄らしい」
07日(月)「鼻の穴はなぜふたつあるのか」
06日(日)「哲学的なことを避けようとする働きが哲学である」
05日(土)「暇だからという理由の死人が少ないことは奇跡的に思える」
03日(木)「怪人二十面相を二十面だと見破った人を尊敬したい」
02日(水)「良いテンポで勉強しているときほど、なにも考えていない」
01日(火)「エイプリル・フールなんで今日の端書では嘘をつきます」



31日(月)「開拓する勇気より、追及する根気のほうが得難い」
30日(日)「詩で描かれない言葉こそ、より明確に世界を記述する」
26日(水)「圧倒的に年寄りのほうが無礼であるという驚異」
25日(火)「詩は詩的ではない。私的な詩が多過ぎる。そんな詩的指摘」
24日(月)「思考は硬化すると石になる、巨石になるほど邪魔になる」
23日(日)「結局のところ、「心を許せる場所」など、どこにもないのだ」
22日(土)「Histories are never a part of Akashic Record」
21日(金)「犬も歩けば棒にあたる。いわんや、フセインをや」
20日(木)「ブッシュ大統領はハーレイ・ジョエル・オスメント君に似ている」
19日(水)「睡眠時間を調節できないのなら覚醒時間を調節すれば良い」
13日(木)「サムタイム・時々ではなく、サムタイムズ・時々だろう」
12日(水)「虚空に哀しみ見し中に憂く子」
08日(土)「思考の飛躍とは推論過程を飛ばすということだ」
04日(火)「ワコールのモデルの潔さが好きだ」
01日(土)「卒業式、これでまたひとつ、なにかが終わったなと思う」



28日(金)「カレー以外にガラムマサラはいれるな」
27日(木)「なに、じゃあ、君はキリストがザオリク使えたって言うわけ?」
26日(水)「星型多面体を折り紙で折ってみたい」
24日(月)「あるいは次女が旅先で惚れる男が犯人だ」
23日(日)「サスペンス・ミステリの犯人は愛人だ」
22日(土)「変わらないまずさはそれはそれで偉いと思う」
21日(金)「そもそも美味しい店の変わらない味だから許せる」
20日(木)「ポルノグラフィティのヴォーカルはプーチン大統領に似ている」
18日(火)「遠い親戚というよりも親戚はみな遠い」
10日(月)「みのもんたが司会のTV番組は啓蒙というより扇動だ」
09日(日)「ジャンバラヤにはいい思い出がない」