皆様、始めまして、結社の者で御座います。
 本日は「鳩おじさん」に関して少し、お話申し上げます。

 皆様もすでに御存知の通り、この世界にはたしかに「鳩おじさん」と呼ばれる方々に存在致します。そして、私たちはその情報の少なさにもかかわらず、その言葉を耳にするとき、あるいは口にするとき、なにかしらの敬意をもって「鳩おじさん」を想起せざるを得ないでしょう。なぜなら、鳩おじさんほど、古今東西の鳩たちを巧妙に扱うことのできる人物は、この世界には存在しないことは明白だからで御座います。

 鳩おじさんは、凄い。

 そう、たしかに鳩おじさんは凄いです。私もそれには賛同致しますし、私の知り合いの鳩も「鳩おじさんには一目置いている」というようなことを言っておりました。ですが、そういったことから、なんでもかんでも鳩おじさんであれば凄いといったように「鳩おじさん」を把捉してしまうのは望ましいものではありません。

私は鳩おじさんに直接的に接触できるような鳩脈はないのですが、間接的な鳩脈から耳にするところによると、最近、鳩おじさんの偉大さが必要以上に浸透している代わりに、鳩おじさんに真摯な興味を示すような人も減少しているそうです。そして、必然的に、鳩おじさんの実態というものも曖昧な誤解とともに広まってしまっているようです。

しかも、哀しいことに、ここのところ、偽者の鳩おじさんが続出しているというではありませんか。これは、重大なひとつの文化の危機として把握されなければなりません。このままでは、本物の鳩おじさんが失われてしまう。ですから、今回は簡略に鳩おじさんに関する説明をすることで、そして、本物の鳩おじさんと偽者の鳩おじさんを区別する方法を皆様にお伝えすることで、不躾ながら注意を促させていただきたいと思います。

まず、本物の鳩おじさんは神出鬼没で御座います。

 そして、大体、普通の鳩おじさんという人たちは自転車でやって参ります。ただ、時折、スクータでやって来る豪快な鳩おじさんもおります。そうした鳩おじさんの場合、鳩おじさん御用達の「見舞坂の鳩豆」の代わりに、トウモロコシを撒いていることも御座います。これを年季のいった鳩おじさんは「トオキビ」と呼びます。その景気のいい鳩扱いは見ていて気持ちの良いものですから、街でお見かけになられた際は注目してみると良いでしょう。

 豪快にせよそうではないにせよ、年季のいった鳩おじさんは、大体、10年ほどの鳩修行を積み、いわゆる「鳩祭り」を終えております。つまり、「鳩追い」の権利(それは同時に義務でもあるのですが)を持つ鳩おじさんで御座います。これは文句なしに凄い鳩おじさんですから、出会った際には握手をしてもらうと良いかもしれません。鳩おじさんとの出会いは一期一会ですので、次の機会にしようなどということは考えないほうが良いでしょう。

 また、この「鳩祭り」を終えた後の「鳩おじさん」のことを、通称「夢鳩」と呼びます。有名なところでは、札幌大通公園において「幻の夢鳩」と呼ばれた「八丁田」さんがおります。この方は、まさに神出鬼没を旨とした方でした。大通公園では人知れず鳩が集まったかと思うと地面に落ちた餌を食う。しかし、どういうわけか、その周りには人影はない。そんな不思議なことが毎週土曜日の午後三時に五年間も続いたと言われています。

 人々はその光景を見て「鳩が狂ったのではないか」と鳩の心配までする始末だったとか。これは鳩おじさんの存在が軽んじられてきている証拠ですね。これは「白影の夢鳩」こと「八丁田」さんの仕業であったと、現在では公表されております。現代における、鳩おじさんの見事な鳩表現でした。これは生きた伝説として、いつの間にか「八丁田イルウジオン」と名付けられ、大勢の不安と悩みを抱える鳩おじさんに夢と希望を与えました。

 しかし、このように社会的に認知された存在であるにもかかわらず、八丁田さんその人に会ったことのある人は、ほとんど、おりません。なぜなら、鳩おじさんという存在、ひいては八町田さんが、そもそも神出鬼没だからで御座います。こういう話があります。ある日、私の友人が大通公園を歩いていたところ、ふと、鳩の大群が空から舞い降り、噴水の周りに集まったそうです。その次の瞬間、噴水の中央に八丁田さんが現れ、「鳩に語りかけた」のだそうです。そして、それに対して、鳩も語り返したのだそうです。鳩との内的結合の後、そう、五分ほど後に、鳩がわっと飛び立つとともに八丁田さんは姿を消したのだとか。まさに神出鬼没。

 このような事情ですから、私も残念なことに当人と会ったことはないのですが、幾つかのお写真で、幻の鳩おじさん「八丁田友野」氏を拝見したことは御座います。それはもう精悍なお顔で、周りをびっしりと鳩が取り囲んでおりました。あれはたぶん、「鳩尽し」を迎えたときのお写真だと思います。やはり、それは見事なものでした。写真を見ただけでその恐ろしいまでの鳩からの信頼、鳩望が感じられました。私はその様子を凝視したまま、身体の震えをなかなか治めることができなかったのです。

 この方の有名な言葉として「鳩に尋ねるな、鳩と通じ合え」というものが御座います。この言葉を晩年、八丁田さんは恥じていたそうですが、私は、八丁田さんの若かりし頃の荒削りな感性が現れている名言であると思います。現在は、跡取りのお孫さんでしょうか、その方が来年「鳩語り」を迎えようとしているということで、今後は「二代目八丁田」が大通公園に現れ、皆さんをあっと言わせることがあるかもしれません。

 しかし、鳩おじさんとの接触においては、注意があります。夢鳩のように鳩域の高い水準に達しておられる鳩おじさんには、安易に近付いてはなりません。というのも、鳩が怒る、からで御座います。ですから、夢鳩以上の鳩おじさんを見付けた場合は(いろいろ方法はあるのですが)、鳩おじさん自身がこちらに気付いて近寄ってきて、いわゆる「鳩歩み」の状態になるまで待つのが懸命です。しかし、鳩おじさんは神出鬼没を旨とする方が大勢いらっしゃいますので、そうですね、やはり鳩おじさんと出会うというのは運に左右されていると思います。

 神出鬼没性というものを考えたときに、もっとも意表をついた現れ方をしたのは「伝説の鳩おじさん」と呼ばれる故「竹之塚美倶羅」氏です。この方は、一説によると、『陽空翔白伝・鳩』 に現れる一子相伝の「鬼鳩」の称号を受け継いでいたと言われております。この方は明治五年、まだ開発の手が進んでいない東北の或る町に「空から鳩と共に現れた」という記録が残っております。この後、この町は開発が進み、現在の仙台の基盤になったと言われております。

 さて、以上のことから、鳩おじさんという存在も幾分明確になってきたかと思います。しかし、このような高水準に達しておられる鳩おじさんしか本物ではないというわけでは御座いません。そうですね、比較的簡単に本物と偽者の鳩おじさんを見分けるポイントとしては、その「供」のやり方に注意するということがあるかと思います。供とは、すなわち、「餌」のことです。本物の鳩おじさん、特に、そうですね、大体、「鳩寄り」以上の方は、三回に分けて、その供を打ちます。右、左、右の、右二回、左一回です。

これは、先ほども登場した「竹之塚美倶羅」氏の考案した「供」の手順で、比較的キャリアのない方でも安心して鳩が寄ってきやすい「撒」の方法であると言われております。扇を開いて舞うように、水平に、一定の距離を保って「打つ」のが大事だと言われております。この「水巻」と呼ばれる方法は「供」の熟達具合をみるのに格好であるとも言われており、大体、この水巻をみることで、その鳩おじさんが本物か偽者か見分けることができるかと思います。

というのも、簡単に申しますと、これは誤解が多い部分なのですが、基本的な「供」というのはおおむね「撒」のときに、手のひらが下を向いているものなのです。この「水巻」というのもたぶんに漏れずそうでして、素人や初心者は誤って手のひらにのせた「餌」を上向きにして鳩にたいして放りますが、本物の鳩おじさんは下向きに放ります。そして均一に「打つ」のです。そうすることで統制のとれた鳩との一体化が可能であると言われております。

 この他にも「一本背負い」や「簾打ち」、「八丁田の恵み」等、「供」にも様々な方法がありますが、およそ一般の方や偽者の鳩おじさんには不可能な「撒」ですので、このような「供」を偽者の鳩おじさんがやっている場合は即座に分かると思います。というのも、このような場合は鳩が怒って「餌」を食さないからです。この状態を「鳩の舌打ち」と申します。

 また、本物の鳩おじさんには鳩しか寄って参りません。

 たまに、カラスなどに追いかけられる鳩おじさんなども見受けますが、よほどのことがない限り、最近ではそれらの方々は偽者の鳩おじさんと思わざるを得ないでしょう。なお、本物の鳩おじさんであった場合、仮にカラスに追われるようなことがあったとしても、鳩が大挙して助けに現れます。このことで有名なのは「五稜郭八月鳩会議」でしょうか。そして、あの歴史的な事件「函館の逆襲」が起きるので御座います。

 一昔前には、鳩おじさん独特のユーモアから、鳩以外の鳥類にも「供」をやる「洒落巻き」と呼ばれる遊びがあり、「洒落撒きの六」と呼ばれるような一大奇人も登場しましたが、以前では遊びだと分かったこれらのことも、いまでは「隻手鳩の失敗」ととられることが多く、本物の方々はほとんどやられません。

 さて、大体、鳩おじさんの見分け方というのはこういったところでしょうか。

 以上の判断基準に照らし合わせ、それを大幅に逸脱している鳩おじさんは偽者で御座います。私の思うところでは、「鳩断ちの儀」を前に「鳩おじさん」の道を捨てた方たちが、偽者の鳩おじさんを名乗って皆さんを惑わしているように思います。私の推測するところでは、「鳩断ちの儀」で年に数百人ほど、さらに「鳩立ちの集い」で数百人ほどの脱落者が出ているのではないかと思います。そうすると、確かに「反・鳩おじさん」という勢力もなかなか馬鹿にできないものがあるかもしれません。

 しかし、本物の「鳩おじさん」の歴史と伝統を尊重するならば、偽者の鳩おじさんは活動を自粛し、また、一般の皆様は、真に洗練された鳩おじさんという存在を見極める必要があるのではないかと思います。詳しいことにつきましては、おひとりおひとりの質問に解答するということで、その解決とさせて頂きたいと思います。遠慮なさらずに当結社に連絡していただきたいと思います。

 本日は真に有難う御座いました。