結社の三月の恒例行事「疑い雛祭り」の冒頭において、「2008年の02月はなかった」という刺激的な仮説が発表され、大激論を巻き起こしたそうです。言われてみるとたしかに、どういうわけか、このサイトにも2008年02月のエントリはありません。にわかには信じがたいことですが、もしかすると2008年02月という月日はなかったのかもしれません。

これには結社の人々も驚いたそうですし、このことを発見したアンドリュー(戸籍名「安堂竜」)も自分の発表原稿を覗き込みながら、「私は見る、しかし、信じられない」とうそぶいたそうです。しかし、僕もいま、まさにその状態です。僕はゆらめき雑記のサイドバーを見る、たしかに、そこに「2008年02月」の表記はない、しかし、信じられない。どうして、どうしてないのだろう?

もしかして、2008年02月はなかったのか!?

この疑問に「そうだ」と言ったのが、これから紹介するアンドリューの「二月はなかった仮説」です。この仮説はすでに批判、再批判、再解釈と活発に議論され、それぞれの立場も安定したものになってきているようですが、まずは「疑い雛祭り」でアンドリューが仮説を発表したときの様子から紹介したいと思います。というのも、この出来事からは、結社も一枚岩ではないということが見受けられ、それ自体が非常に面白い素材だからです。

この説を提唱したアンドリューの見解を簡単に説明すると「2008年02月はなかった」というものです。アンドリューの見解は、のちに穏当な人々によって支持される「茄子的消滅説」や、アナーキストたちによって支持される「坊やの誘惑論」ないし「西暦の紙相撲主義」のどれにも属していないと言われている非常に難解なものですが、彼はそれを「疑い雛祭り」の冒頭に行われる「お内裏様の流し目」の最中に主張したそうです。この大胆な疑い方には今年の雛小僧もあっけにとられてしまい、うっかり、目を流しきれなかったとか。

雛小僧のうっかりを己の疑惑のシンボルに用いるという画期的な手法(この手法の名称を「お内裏様の逆監視」とするか「疑惑の雛小僧」とするかという案件も揉めているようです)と、その斬新な主張を、アンドリューは「人々がチョコレートに群がる頃」に思い付いたと言います。これは特筆に価する発言です。アンドリューの無二の親友と言われる根岸鴨は、その日の彼をこう述懐しています。

「彼はその日、広場のカフェに座って、夕方まで呆然としていたよ。どうしてかはわからない、ただ、その日の彼はとても暗かった。というか、黒かった。喪服を着てた。だから、僕は葬式だと思ったよ。お通夜かな? 告別式かな? それともそういうプレイかな? そう思った。そして、それはとても斬新だと思った」

僕らは通常、2008年の02月はあったと信じて疑いません。いや、むしろ、信じたり疑ったりする必要を感じないほどに、当然のこととして2008年02月を甘受したと思っています。だが、違った。アンドリューはそう喝破します。

「お集まりの皆様、驚かれる方もいらっしゃるでしょうが、2008年の02月は……なかった」

アンドリューは促されるままに恭しい態度で壇上に登ると、まるで見てきたかのように静かにそう言い放ち、諦めの表情とともに首を横に振ったそうです。しかし、この第一声に機敏に反応し激昂したのが、通称「二月の涙」と言われる人たちです。彼らはアンドリューの嘆きに対し、「現実を受け止めろ!」と叫びました。彼らの理解はこうです。

「アンドリューはバレンタイン・デイという二月の行事に絶望した。そして、その絶望を二月と一緒に……期待や希望といった人間らしい微かな幸福とともに消し去ろうとしている。最初からないのなら、失うものはなにもない。だが、わたしたちに言わせたら、それを企図することほど傲慢なことはない。わたしたちは年間を通して行われるあらゆる祭事を忌み嫌っている。それに伴うわたしたちの活動を、晴れない者たちの僻みの所産として、ひっそりとわたしたちのことを「二月の涙」と特徴付ける者がいることも承知している。しかし、わたしたちはそこから逃げようとはしない。わたしたちは受け止める。わたしたちの障害をわたしたちが破壊するとき、わたしたちはわたしたちの平野を創造するのであり、わたしたちの平野にわたしたちの安息は育まれるのである。もし、わたしたちの安息が朽ち果てた大地とともにあるとしても、わたしたちは単なる喪失を是とはしない。単なる喪失は、もしそれが喪失であったとするのなら、もはや喪失してしまっていなければならないからである」

彼らはこう宣言したのち、アンドリューに仏門に入ることを勧めました。この威勢の良い宣言に対し、「頭部に納められている重要な諸器官と脊髄が直結している方々の主張内容には同調しかねるが、目的は軌を一にする」と言って「二月の涙」に加勢したのが、鳩連の幹部たちによって組織されている「竹之塚派」の人々です。彼らはアンドリューのいる壇上に近い上座に席を構えており、すっかり場の雰囲気に落胆していたアンドリューに怪しい微笑を送りました。

「アンドリュー君と言ったね? 君の主張は面白い。しかし、二月の鳩は……猛々しいぞ」

この脅迫とも取れる発言に場は一瞬、静まり返りました。竹之塚派は鳩連の保守本流であり、結社全体の影響力を鑑みても最大勢力ということができます。結社にはお気楽な人間が多いのも事実ですが、反面、このような発言によって狡猾に権勢を増そうとする者がいるのも事実なのです。そして、運の悪いことに、今年の「疑い雛祭り」は彼らの暴走を抑止できるほどの発言力を持っている竹之塚宗家の方は誰もいなかったのです。

そして、このときに生じた不気味な沈黙を境に、大会は一気に政治的な思惑を乗せた場に変容しました。というのも、鳩連の若手によって組織されている「八町田組」の人々が「二月の涙」と「竹之塚派」の見解を真っ向から批判したからです。八町田組は下座の左翼の一角を陣取るかのように座っていました。そして、彼らとは少し離れた位置、警備と雑用を兼ねた場内整理班の人員に紛れるようにして壁に寄りかかっていた人物が、八町田組の人々を代表して、皆を宥めるように、説き伏せるようにこう言ったのです。

「もしかすると、2008年の02月というそれ、それは、鳩隠れしたのかもしれないですね」

この発言を受けて、場内の一同は戦慄しました。そして、その発言をした人物を確認して、場内は色めき立ったのでした。というのも、そこにいたのは五年前に結社を離脱した鳩連の元幹部「有楽町の黒鳩」こと「斉藤剣」その人だったからです。彼は当時、「渡り鳩」と名称される結社内組織を率い、鳩の実践的運用及び鳩の潜在能力の研究「鳩卍」に従事していたといわれています。儀礼的な側面でいうと、彼は「狂い鳩」を司る黒鳩を継承しており、したがって、必然的に「竹之塚派」「八町田組」とは鳩連内部で鼎立を成していました。

しかし、2002年の02月、後に「鳩暦闘争」と言われる鳩連内部の権力争いに破れ、斉藤剣はそのまま姿を消したと、少なくとも表向きは、そう言われています。鳩連の歴史を鑑みても、鳩鼎の一人の追放という事態は珍奇なことであったため、鳩連外部の結社の人々は非常に困惑したそうです。そして、これ以後、細かい解釈は別にしても鳩暦の認識に関しては見解を共にしている竹之塚派と八町田組によって鳩連は取り仕切られることとなり、二分統治体制になったのです。

一説によると、斉藤剣は鳩連の暗部を任されていたとも言われており、なにかしらの思惑から鳩連幹部たちに抹殺、あるいは思想上の対立から粛清されたのではないかとすら疑われていました。そして、実際、斉藤剣はこの五年間、消息を絶っていたのです。まあ、斉藤剣の失踪の内実にどれほど関わっているのかは別としても、「鳩暦」に関する思想上の違いによって鳩鼎の安定性が損なわれていたという事実はたしかにあります。このことは1999年07月に一大論争を引き起こし、あわや鳩連分断の原因となったのが「鳩暦の採用」及び「鳩隠れを認めるかどうか」であったことからみても明らかです。思い返せば、このときから鳩連内部の確執は明確なものになっていったと言うことができるでしょう。

鳩暦論争は結社の定例九月大会が八月に前倒しにされて行われるほどの混乱をもたらしました。このときに、斉藤剣は「鳩暦の採用に実質的な効用は認められず、鳩隠れなるものは一切認められない」と主張し、「むしろ、研究予算の分配に重大な影響を与える政治的な問題になりうる」と、議論の解釈に白熱する人々に冷や水を浴びせかけたことが知られています。そして、この発言の直後、八月十日の鳩時雨の儀を最後に斉藤剣は姿を消しました。彼が鳩時雨において残した言葉、それがあの有名な「三千世界の鳩を集めて、鳩道中をしてみたい」という都都逸です。

その斉藤剣が八町田組とともに疑い雛祭りに姿を現し、あろうことか、「鳩隠れ」の可能性に言及したのです。これはまさに衝撃的な出来事でした。このとき、壇上のアンドリューはさきほどまでの落胆に困惑を滲ませ、「実際に生じた出来事は、そこにいたるまでの可能性の墓場と見なすことができる、しかし、歴史とはその墓場から生まれ、育まれるものなのだ……父さん、妖気です」とわけのわからないことを呟いたそうです。会場にいた人々と同様に、アンドリューもまた、自分の「二月不在仮説」がよもや「鳩暦闘争」及び「鳩連の政争」に結び付けられることになるとは思っていなかったのでしょう。

「2008年の02月がなかった……非常にけっこうなことではないですか」

斉藤剣はそう続け、理論の骨子を次のように簡略に説明しました。アンドリューの発見は鳩隠れを示唆しており、こうした「年月の鳩隠れ」という現象が定期的に起きうるということは、歳月ないし暦というものの茄子的感応可能性を示唆している。この茄子的感応可能性が人の思考力によって把握されたということは大いなる一歩となるだろう。なぜなら、人間にとって鳩知化された存在領域にあるため、恣意的な手法以外の仕方では干渉できないと考えられていた鳩暦とも、人間存在の潜在的茄子力の拡張によって特定の関係を結ぶことができるという可能性を示しているからである。

「この見解には、あの胸倉めがねも賛同するでしょう。そして、この結論は<二月の鳩の猛々しさ>とはまるっきり無縁です、わかりますか?」

この問いかけは、明らかに「竹之塚派」の人々に向けられたものでした。これに対し、誇り高き竹之塚派の若頭、青魚そりは激昂しました。異様に張り詰めた場内にザザッと衣擦れする音がしたかと思うと、彼は座った体勢のまま両手にHT-47を構えていました。この瞬間、会場の人々はみな<最悪の事態>すなわち<黙示鳩>に巻き込まれることを覚悟したそうです。しかし、青魚そりの決死の覚悟は、竹之塚派の代表として参上していた静島ねみみに制されました。そして、静島ねみみは、結社の全成員の面前で竹之塚の体面に泥を塗られたことを意にも介さぬ様子のまま、いきり立った竹之塚派を収め、彼らを引き連れて会場を去りました。

これには斉藤剣も苦笑したと言いますが、それ以上にこの展開に困惑したのは八町田組の面々のようです。彼らの思惑の詳細は隠されていますが、この日、斉藤剣を擁立して望んだ定例三月大会において、彼らの描いていたシナリオはもっと華々しい、そして、より荒々しいものになるはずだったのでしょう。いや、はっきりと言うなら、鳩連の勢力関係を根底から揺るがすような事態に繋がる騒動を引き起こすつもりだったのでしょう。それを勘案すると、竹之塚宗家のいないこの大会は、そうした騒乱を起こすにはうってつけだったのだと考えられます。しかし、その思惑は静島ねみみに簡単にいなされてしまった。そう憶測するなら、八町田組にしてみるとこれは大きな誤算だったと言うことができます。さらに誤算だったと考えられるのは、この静島みねねの判断を受けて、斉藤剣が予定を繰り上げたことです。

竹之塚派の退場後、斉藤剣は壇上に招かれました。しかし、彼はそれを丁重に断り、悠然と雛伽藍の前を渡ると「奇妙な兎歩」を行い、そのまま退場したそうです。その場にいた或る人は、その体験を次のように語っています。

「誰もが息を呑むほど新鮮な彼の振る舞いは、疑い雛祭りの根底にある思想を踏み固めました。不可解なのは、そうして踏み固められたものは、もはやまるっきり異なるものになっていたということです。わたしはそのとき、疑うことができなかったというよりは、すでに疑うことを忘れていました」

このとき斉藤剣が行った「奇妙な兎歩」は、いわゆる「鳩歩き」とは異なるものであったようです。この日、雛伽藍の末席に招待されていた八町田友葉は彼の反閇を「<着爽地歩>に似ているがややアレンジが加えられており、優雅さよりも威厳さを重視したものになっている。しかし、そうでありながらにして足取りは軽やかでもあり、見る者に不思議な葛藤を惹き起こす」と評したそうです。

この友葉氏の寸評に呼応するように、この日、大会の司会進行を勤めていた疋梅むうみんは、この瞬間の会場の様子を次のように語っています。

「もしそれが、輝かしさを放たない存在に巻き込まれるような体験だったのだとしたら、もっとわたしの気持ちは穏やかだったに違いないと、わたしは思います。だから、そう、ブラックホールのように、われわれの気持ちを引き寄せて逃さない、それがためにその存在が観察される、もし、彼がそのような人物であったなら、もっとわたしの気持ちも単純なものだったでしょう。しかし、斉藤剣はそういう人物ではなかった。彼は、そう、黒いホワイトホールとでも言いましょうか、われわれの気持ちを撥ね付けて寄せ付けない、しかし、それなのに、わたしたちはそこを見ようとする気持ちからは逃れられない。そこにあるのに、そこに彼はいるのに、そこには誰もいないと思わないわけにはいかない。わたしはあのとき、そういう複雑な気持ちに陥りました」

そうして、この斉藤剣の退場によって、会場は日常的な雰囲気を取り戻したようです。司会進行の疋梅むうみんは台風の目となったアンドリューに締めの言葉を促し、三月の恒例行事「疑い雛祭り」の主役となったアンドリューは最後に一言、素直な感想を残して雛壇を降りました。

「ショック! 完全に喰われた」

こうして、様々な人々の思惑の軌跡を示しながら、疑い雛祭りは盛況を呈して幕を閉じました。アンドリューの「二月不在仮説」が現在のように活発に論議されているのは、こうした鳩連の保守本流と改革派の確執、及び、政治的対立、そして、斉藤剣の発言に起因しているのではないかと思われます。大会当日における「2008年の02月はなかった」という主張に対する構図は「二月の涙」「竹之塚派」 vs. 「アンドリュー」+「八町田組」「斉藤剣」というものでしたが、現在では、非常に複雑な構図となっており、このように単純に示すことはできません。特に「二月の涙」には有楽町の黒鳩の信奉者も多かったため、組織内部で混乱を示しており、結社全体の成員もこの大会以降、数十人単位で減じているといわれています。しかし、結社を抜けた人たちがどこにいったのかは明らかにされていません。そしてまた、斉藤剣の行方も明らかにされていないのです。

このようなわけですから、わたしたちはこれからも、理論的な関心とともに政治的な関心も考慮に入れ、アンドリューの「二月不在仮説」を検討していかなければならないわけです。今回は政治的な側面をやや重視して報告しましたが、続報が入り次第、さらなる展開を紹介していきたいと思っています。それでは。