「猫に小判」「豚に真珠」と同じ意味合いで、ケニアには「キリンにマフラー」という諺はないらしい。ないのである。じゃあ、ほかの意味合いでならあるのか。ないのである、そもそもないのである。僕は「やはりな」と思った。そりゃあ、ないだろう。聞いたこともない。僕は以前から、ケニアにそのようなキッチュな諺はないと思っていたのである。

だが、キリンの帝国にはあるかもしれない。僕はそう思う。ケニアのキリンはいまのところ、おおむねマフラーとは無縁の一生をサバンナで送っているようである。しかし、キリンの帝国のキリンたちはマフラーと特別な関係を保ちながら一生を送っているのではないか。実のところ、その可能性はわりかし高いだろうと僕は思っている。

キリンの帝国のキリンたちならマフラーを巻いたりすることもあるのではないか。すると、キリンの帝国には「キリンにマフラー」という言葉もあるのではないか。その意味するところは、はっきりとはしない。キリンにマフラーをどうするのか。そもそも、その「マフラー」というのは、僕らの知っているあのマフラーなのか。そのマフラーは赤いのか、ちゃんとひらひらしているか。謎は残る。

しかし、そのように思い巡らせるなら、キリンの帝国になら「キリンにマフラー」という言葉もあるかもしれないというよりは、むしろ、確実にあるとしか考えられない。というか、そもそもキリンの帝国を認めるのなら、もう、なにを認めようとおかしなところはひとつもない。その通りである。僕は「キリンの帝国」に関しても説明する必要があるだろう。しかし、それは別の機会に譲る。

たしかに、もしかするといま、僕は現実化の見込みのない可能性を弄び、間の抜けた言葉遊びをしているだけなのかもしれない。その可能性を否定はしない。しかし、だとすると、もはやキリンの帝国には確実に「キリンにマフラー」という言葉が存在する。キリンの帝国のキリンというのはわりとお洒落に気を使う連中で、冬になると首筋が冷えるからマフラーを巻いたりもするようである。