いま、僕と彼女はともにある。ただ、それを確かめる術を僕は持たない。自分の顔を、自分の目で直接見るようなことは、不可能だから。けど、鏡を通せば、僕は自分の顔を見ることができるかもしれない。右と左の逆転した、この僕とは違う、その僕の形を。

 彼女を通せば、見れるのかもしれない。

 でも同時に、僕は、彼女の向こう側にそれ以上のものを、目を覆わなければ叫びだしてしまいそうなほどの、可能性を見てしまうかもしれない。それが、怖い。その時、僕は泣いてしまうと思う。だから、僕は彼女を見つめることができない。だって、鏡に映る姿を見ることなしに、鏡だけを見ることなんてできないでしょう。

 僕は、ただ静かに、僕としてあればよい。

 僕は、僕の形を知らないままに僕であるし、彼女を見ずとも、僕は彼女といることができる。それは身勝手なことだろう。でも、僕はまず、そうありたい。ただひたすらに、僕は彼女とともにあり、それ以外にはなにもない。

 彼女は「言わないでも、わかる」と言った。

 でも、言わないでも、わかる言葉なんてない。だから、彼女のその発言がなにを意味しているのか、僕は考えなければならない。大体が、人間ってそういうもの。意味を求め、価値を求め、砂時計の砂が、その時間が止まらないように、静かに上下を逆転させる。情報を蓄積し、推論しては壊して、可能性に遊び、そのひとつで踊る。その繰り返し。

 そうやって、楽しんでいるんだ。飽きないように。

 窓の外はこんなに美しいというのに、喋らずにはいられないんだ。黙り込んでいると寝ちゃうからさ。人は、自分が存在したいがために、周りのものを存在させたんじゃないか。じゃないと、ふるふるととけてしまうから、さらさらときえてしまうから。でも、どきどきと流れているんだ。

 この理不尽さ、不自然さに、なにか意味があるのだろうか。

 いや、たぶん、意味なんてない。だからこそ、それは神聖でからっぽ。あまりに無意味で、あまりに無条件で、近付きすぎると吸い込まれてしまう。だから、意味で無意味を追い詰めて、少しづつ、僕は歩んでいる。でも、独りになると、僕は言葉を失ってしまい、もう、なにも思い出すことができない。僕はここにいて、君はそこにいるよと、ただ、それだけのことすら言うことができない。

 事実を取りだすことすら、それは人間の仕事なのだ。

 僕は微笑む。それを見て、彼女が微笑む。そこにはなにも潜んでなどいない、僕と彼女があるだけだ。僕は僕であり、彼女は彼女であり、僕と彼女はともにある。基本的になにかが変化するわけではない。ただ、新たに蓄積されるものがあるだけだ。飽きずに生きれば、ときどきは笑うこともできるだろう。自分を拡大する必要などないのだ。

 僕は冷たい人間だ。思い出すには、覚えていすぎる。