「愛ってなに?」

 丸い夕陽に世界が滲む、不安定な夕刻、赤音は私に訊いた。

「そういうのは、私の専門じゃないよ」
「知ってる」
「じゃあ、どうして私なの? 求めているのは専門的な回答ではない?」
「…………」

 赤音は私から目を逸らして、黙った。それはとても珍しいことだった。
 なんとなしに、赤音がなぜ私にそれを尋ねるのかわかった気がした。

「彼には訊けないと思ったの、嫌かなって」
「優しいね」

 私がそう言うと、赤音はじっと私の顔を見た。
 人形みたいに奇麗な顔、素敵な無表情、まるで生きていないみたい。
 私が少しだけ首を傾げて微笑むと、赤音はなにかを了解したかのように頷いた。

「干渉しないことは、優しさ?」
「そういう場合が多いね」
「彼にたいして?」
「そうそう」

 私たちはお互いに沈む夕陽を見ながら、言葉を発していた。

「望まないことを、してあげないことが、優しい?」
「望むことを、してあげることよりは、よっぽど優しいと思うよ」
「どうして?」
「なぜ、私がそう思うか、ということの理由を訊いているのね?」

 赤音は黙って頷いた。

「彼がそれを望んでいるからだよ」

 私は笑った。可笑しい。少し、胸がどきどきする。

「それは愛?」
「どれ?」

 私は赤音を見る。
 きょとんとしてはいるけれど、困惑している様子はない。
 なんだか、ちょっと残念だけど、それ以上に、頼もしいな、と思う。

「まあ、そうだね、これは愛だよ」
「わからないや」
「そういうものさ」
「境界にあるのね」
「そう、その発想はすごいね」
「死にたいする距離は影響する?」
「本質的には変わらないけど、実質的には」
「人間には可能性が残されていすぎだと思う」

 そうかもね、と言って私は笑った。

「無闇に自由だよね」
「自由じゃないと思えるほどに」
「なににだってなれる」
「まるで水みたい」
「詩的だね」

 赤音は肩を竦めて、夕陽を眺めた。

「どうして、人は干渉して欲しいと思うんだと思う?」
「寂しいから、愛されたいから」
「本当にそう思う?」

 赤音は首を振った。

「必要とされたいから、そうしなきゃ、自分に価値を見出せないから」

 私は驚いて、少し、黙ってしまった。

「あなたがそう思っているの?」
「一般論」
「誰に似たのか、赤音は生きるのにむいてないな」
「もしかすると、まだ、生まれていないのかも」

 私は夕陽を眺めた。水面に映っているみたいに、ゆらゆらと揺れている。

「生きているために希望が必要で、だから価値が、そのために存在が必要?」
「死なないためにだと思う」
「ポジティブな発想だね」
「その発想のほうが、ポジティブだよ」

 赤音が笑わずに言う。しょうがないから、代わりに私が笑った。

「人間って、価値を吐きださなきゃ、生きられないんだと思う」
「不思議な欲求だよね」
「本当に不思議だよ、人間はなにを待っているんだろう?」
「変化だね」

 会話に一瞬、空白ができた。
 私の言葉を受け流して、赤音は続ける。

「それと、意味かな」
「なかなか、トリッキィだな」
「だから、関係が必要で、存在が必要」
「周囲を存在させて、自分を確定している?」
「そうだと思う」
「自分の存在が、自分の意味?」
「もっとも根源的には。ただ、自分を把握することは不可能だと思う」
「ひとりという単位に大した意味はない?」
「それは単に名前では?」
「なるほど」
「むしろ、ひとつじゃないかな。そういう意味では、とても重要だと思うんだ」

 私は溜め息をついた。それだけの価値はあった。

「愛に必要なものはなに?」

 唐突に、赤音が私に尋ねる。

「どういうこと?」
「関係に愛を見るには、なにが必要かということ」
「うん、それは、信頼と配慮だね」
「なぜ?」
「信頼は関係の基礎になるし、配慮は関係を育むわ」
「たとえば?」
「うーん、そうだな、私の差し出すものを無条件で受け容れるとか?」
「それは脅しているのでは?」

 私は夕陽に向かって、頬を膨らませた。

「違います。それは信頼の証です」
「他には?」
「私のために見返りを省みずに行為するとか」
「具体的には?」
「そうだな……秋、昼の陽は短い、あたりは暗闇に覆われ、」
「ねえ、その話、長そう?」
「ちょっとね」
「手短に」
「雪が舞い落ちる夜、自分の寒さを省みずに外套を私の肩にかけるわけ」
「それが配慮?」
「ええ、配慮の証です」
「さもしい恰好に同情されたのでは?」

 なんだか、自信が失われてきた。

「あんまり酷いこと言うと、スリッパ投げつけるよ」
「なぜ?」
「愛ゆえの怒りを表現するために」
「スリッパを?」
「うん」
「投げるの?」
「うん」
「愛ゆえに?」
「うん」
「素敵だね」
「可愛いでしょ」
「したことあるの?」
「ない」
「可哀相に」
「む」

 私は有無を言わせず、赤音を後ろから抱きしめた。

「抱きついちゃうんだからな」
「不思議な台詞」
「可愛いだろ」
「羨ましいな」
「やってみたら馬鹿馬鹿しさがわかるよ」
「でも、楽しそう」
「それなりにね」

 私は赤音を抱きしめ、身体を寄り添わす。

「拒んでも良いんだよ」
「拒んだほうが良かった?」
「そうされたら悲しかった」
「信じてるから」
「光栄だな」
「殺されてもいいと思った」
「ありがとう」
「どきどきする」
「怖い?」
「ちょっと」
「大丈夫だよ」
「どうすればいいのかわからない」

 私は赤音の鼓動を聞いた。

「人との関係のなかにしかないものって、あるんだよ」
「たとえば?」
「言葉にはできないな」
「それであると言えるの?」
「あるんだな」
「教えて」
「無理だよ」
「伝えて」
「感じて」
「知りたいの」
「いずれ知るし、知らないでもいいことばっかりだよ」
「じゃあ、なんでそんなこと言うの?」
「怒った?」
「怒ってる」
「ごめんね、たぶん、恋しいんだ」
「愛が?」
「そう」
「暇なのね」
「その通り」
「迷惑にならない?」
「なってるよ」
「でも、摩擦が必要?」
「必要だね」
「認めあっているのね」
「生きているから」
「面白い」
「好き?」
「嫌いじゃないよ」
「私は大嫌い」
「でも、恋しい」
「たまに」
「わがままね」

 赤音は私に身を任せて、小さな声で「愛してるよ」と言った。
 私は赤音の頭をこつんと叩いた。

「ごめんなさい」
「わかってるなら、しない」
「言ってみたかったの」
「そういうことを言うならね、赤音、覚えておきなさい」
「はい」
「私のほうがもっと、絶対、愛してるんだから」

 私は赤音を抱きしめる。

「ほら、あなたに私を抱きしめることができる?」
「それは、ずるいと思うな」
「愛っていうのは、ずるいのよ」

 赤音はどきどきと流れる。