「はい、コーヒー」
 先生がそう言うと、まるで、魔法のように僕と友人の前には珈琲がふたつ並んだ。
「頂きます」
 僕は言う。
「有難うございます」
 友人が言う。

 僕はその珈琲を一口啜ると、ジャケットの内ポケットから饅頭をみっつ取りだした。
「饅頭ですが、いかがです?」
 僕は先生と友人に饅頭をひとつずつ手渡した。

「これは、饅頭だね」
 先生は言った。
「はい、いかにも」
 僕は大仰に頷いた。
「饅頭は怖いですか?」
「怖かったとしても食べるよ、美味しいからね。これは、頂いても良いのかな?」
「ええ、そのつもりで渡しました」
 僕はまた頷いた。

 僕と先生のその会話を聞いて、すでに饅頭を食べきっていた友人は苦笑した。
 先生は「いやあ、饅頭か」と呟き、フィルムをはずして、一口食べた。
 僕も、それを横目に見ながら、一口で饅頭を食べた。

「うん、甘い」
 先生は言った。
「ええ、僕のも甘いです」
 もしゃもしゃと饅頭を咀嚼しながら、僕も言った。
「僕のも甘かったよ」
 友人は少し遅れて言った。

「だろうね」
 僕と先生は一緒に頷いた。
 ずずず……。
 三人がコーヒーを啜り終わると、勉強は始まった。

 幾つかの問題を解き、数十分後。

「あ、では、僕からも問題を出しても良いですか?」
 僕は手を挙げて言った。
「良いよ」
 先生は即座に、簡潔に許諾した。
「えっと、実はですね、実はですよ……」
 僕は二人をじらした。

「じらしてるんだね」
 友人は笑いながら事実を口にした。
「そのようだね」
 先生もそれに同意した。
「じらすことに、何か意味はあるのかな?」
「あるんですよ、あるんです」
 僕は、ふんふんと二人の無碍な言葉をはたきで叩いた。
「これが伏線になっているんですから……」
 僕はそう呟き、懐に手を入れた。

「あ」
 友人は「あ」と言った。僕はそれを驚きと解した。
 僕は懐からおもむろに饅頭を一個取りだすと、それを静かに机の上に置いた。
「饅頭だね」
 先生は言った。
「はい、いかにも」
 僕は頷いた。
「実はもう一個、饅頭を用意していたんです」

「なるほど……」
 先生は腕を組んで呟いた。

「どうするんだよ?」
 友人は言う。
「何を考えてるんだい、君は? そんな饅頭なんかないほうがましだよ、なに……一個だって? 三人いるのに? 信じられない、考えられないよ、悪魔かなにかかい、君は?」
「さあ、この饅頭、どうしましょうか?」
 僕は問題を口にした。
「どうする、と言うと?」
 先生は訊いた。

「ええっと、そうですね、じゃあ、ここに饅頭を置いてみましょうか」
 そう言って、僕は三人からちょうど等距離になる机上のポイントに饅頭を置いた。
 三人は数秒間、じっ、とその机上の饅頭を見つめた。

「困ったね……」
 先生は、本当に困ったといった表情で呟いた。
 友人はすでに困っていた。
「この饅頭を誰が食べるか、または、この困った状況を打破できる明瞭公正な回答を、僕はおふたりに求めます」

 僕はそう言って、珈琲を飲んだ。
「そうだな……」
 そう言って友人は数秒考えると、ぱちん、と指を鳴らした。
「こういうのはどうでしょう? じゃんけんで勝った人がこの饅頭を食べられるというのは」
「食べられる、というのは勝った人が食べる、という意味かい?」
 先生が訊いた。

「はい」
 友人は頷いた。
「二人が勝ち残ったらどうするの?」
 僕は友人に訊いた。
「そりゃあ、残った二人でまたじゃんけんするのさ」
 友人は当然といった具合にそう言った。
「どうですか?」

「僕はその意見には反対だな」
 僕は言う。
「私もだね」
 先生も僕に同意した。
「え? なんでですか?」
 友人が心底意外だといった具合に驚いた。

「困ったとき、なにでもじゃんけんに頼るというのは日本人の悪い癖だ。そもそも、じゃんけんで勝つことと、饅頭を食うこととはまるっきり別のことじゃないか。じゃんけんで勝ったって戦争は終わらないんだ」
 僕はインテリっぽい演技をしながら、ちっちっ、と人差し指を振った。

 友人は苦笑しながら「先生は?」と珈琲を飲む先生に尋ねた。
「私はじゃんけんが嫌いなんだ」
「はぁ……」
 友人の苦笑は失笑に変わった。
「しかし、この場で公平を規すならばじゃんけんをして決める、というのが無難なんじゃないでしょうか?」
 友人は問題提起をすると満足そうに珈琲を啜った。

「いや、それは違う」
 僕は言った。
「じゃんけんが公平なのはその勝敗の決定手続きであって、いや、僕はそれすら公平ではないと思うけれど、結局のところ、饅頭は勝者の一人しか食べられないじゃないか。それは全然、全体的な公平とはいえないよ」
 友人はまた苦笑し、先生は顎に手を当てて「ふぅむ」と唸った。

「じゃあ、この饅頭を三等分するかい?」
 友人は饅頭を手にとって、それを三等分する真似をした。
「公平にできればね」
 僕は目を細めて、友人を見つめた。
「できるさ」
 友人はそう言って、先生の方を向いた。同意を求めたようだった。

 そこで、友人にとって意外なことが起きた。
「いや、それは無理だね」
 先生が首を振った。
「そう、無理なんだよ」
 僕は後を続けた。
「そんな、馬鹿な」
 友人が嘆息する。
「まさか、哲学的な考察ですか? そんなのはいりませんよ、おふたりとも」

「いやいや、哲学的でもなんでもないよ」
 僕は首を振った。
「じゃあ、何さ?」
 友人は意地悪そうに笑った。
「ただねぇ……この部屋にはナイフが無いんだ」
「え?」

 先生も頷いた。
「なるほどね……」
 友人は即座に解したようだった。
「ナイフがない、たしかにそりゃあ、無理だ……」
「ナイフなしで、公平に饅頭を三等分する方法を考えようか?」
 先生は問題提起する。
「うーん、僕には、とてもそんなことができるとは思えないですけれど」
 僕は先生に言った。

「じゃあ、やめよう」
 先生は即座にその問題を荼毘に付した。
「じゃあ、こんなのは、どうだろう?」
 友人はそう言うと、ちょっと考えこみ、また僕らに話しだす。

「饅頭の量的な公平を考えだすと、これはもう、実に難しい問題になるということが、いま、わかりました。ですから、ここはひとつ、質的な公平を求めてみてはいかがでしょうか?」
「そんなことができるの?」
 先生が面白そうに目を光らせた。
「えっと、つまりですよ、公平は平等とは異なるわけですから、それぞれが満足する形で、この一個の饅頭が分配されれば問題はないわけです」

「なるほどね……」
 先生は小声でそう呟き、僕は黙って友人の意見を聴いた。
「ですから、まず饅頭を価値が理解できないような、パーツにわけます」
「へえ……」
 僕は小声でそう呟き、先生は黙って友人の意見を聞いた。

「饅頭を一口食べる人、残った皮を食べる人、残った餡子を食べる人の三人にわけるんですよ」
 友人が最高の笑顔でそう言った。
 僕はその友人をそろそろ無視して、先生の方へ向き直った。
「ところで先生の意見を聴きたいんですけれど、妙案はありますか?」

「その前に、」
 先生はふぅむと唸ると、僕に訊いた。
「この問題に解答はあるのかな?」
 友人は無視されたことに「はは……」と苦笑していたが、その先生の質問に「その通りだよ、うむ、君は理解でけんよ、やれやれだよ」と僕に毒づいた。
 僕は「ええ、もちろん、用意してますよ」と微笑み、とんとんと机を指で叩いた。

「先生、なにか妙案はありますか? 哲学的にこう、ずばっ、といかないんですか? この饅頭は?」
 友人は先生に詰め寄り、こぶしを作って唸っていた。
「そうだねぇ……」
 先生は数十秒間考え込むと「そうだねぇ」ともう一度呟いた。

「私はね、やっぱり、君の優しさに答えがあるんだと思うな」
 先生は顔をあげると僕をみて、不敵な笑みを作って、そう言った。
「はい?」
 友人は疑問の表情を浮かべた。
「優しさ、ですか」
 僕はちょっと引き攣って笑った。

「じゃなかったら、君、性格悪いよ」
 先生はそう言って、「じゃあ、珈琲、もう一杯づつ入れるからね」と薬缶を取りに立ち上がった。
「さすがですね、先生、正解です」
 僕はぽりぽりと頭を掻いて、友人のほうを向いた。

「僕は、わかんないんだけどねぇ、教えてもらえるのかなぁ、どうなんだろうね?」
 友人は机の上に身体を伸ばして、目の前にある饅頭に話しかけていた。
「饅頭って喋ったっけ?」
 先生は笑った。
「寡黙なだけで、本当は喋るんですよ」
 友人は目だけで先生を見て、そう言った。

 僕は笑いながら、二杯目の珈琲が出来上がるのを待った。
 そうして、また、魔法のようにして僕と友人の前には珈琲がふたつ並んだ。
「頂きます」
 僕はそう言って珈琲を一口飲み、友人は珈琲を睨んで沈黙していた。

「んー、わからんな」
 友人は両手を開いて、ハングアップした。お手上げらしかった。
「近かったんだよ、とても惜しいんだ」
 先生が椅子に座りながら、そう言った。
「三等分できない、というところがポイントなんだよ。つまり、三等分ができればこの問題は解決するんだ。それで良いんだね?」
 先生は僕を見た。
 僕は頷いた。

「あー、悔しいなあ……わからん、わからんよ……」
 友人は背筋を伸ばして、完璧に思考を止めたらしかった。
「ラストチャンスだ、友人」
 僕は友人に言った。
「これはメタな問題なんだ」

「わからんよぉ、そんなこと言ってもねぇ。この饅頭を公平に三人で分ける方法なんて思い浮かばん」
「いや、そんなことは言ってないよ」
 先生は友人に言った。
「『この饅頭を誰が食べるか、または、この困った状況を打破できる明瞭公正な回答を二人に求めます』と彼は言ったんだ、この饅頭を三人で公平に分けるとは一言も言っていない」

「同じことじゃないですか、そのふたつはぁ……わかりませんよ……」
 友人はまるっきり自堕落なほど、問題を放棄していた。
「わかったよ、じゃあ、この饅頭は君にあげるから、それでも食べて機嫌を直したら?」
 僕は友人のほうに饅頭を寄せて、そう言った。

「はい? それじゃあ、全然、公平にならないじゃないか?」
 友人は首を傾げて、眉を寄せていた。わかりやすい疑問の表情だった。
「いや、実はね」
 僕は微笑んで、ジャケットの内ポケットに手を入れた。
「実は、もうふたつ饅頭があるんだよね」
 そう言って、僕は饅頭をふたつ、懐から取りだした。

「あ!」
 友人は、その瞬間にすべてを理解したようだった。
「いやぁ、実は、今日は最初から六個の饅頭を買ってきてたのさ」
 僕はそう言いながら、先生に饅頭を一個手渡した。

「これは頂いても良いのかな」
 先生は言った。
「はい、そのつもりで渡しました」
 先生と僕は饅頭のフィルムをはずし、饅頭を一口食べた。

「甘いね」
 先生は言った。
「そうですね」
 僕は頷いた。
 友人も苦笑しながら饅頭を一口食べて、「確かに甘いわ……」と呟いた。

「ですけどねぇ、先生」
 友人はもしゃもしゃと饅頭を食いながら、言った。
「結局のところ、先生も完解はできなかったっていうことなんですよ」
「あれ、そう? どうして?」
 先生は疑問を口にする。
「彼は、全然、優しいんじゃないんですよ」
 友人は僕をちらりと横目で見た。
「性格が悪いだけです」

「ああ、なるほど」
 先生は曖昧な返事を残した。
 僕は「いやぁ、それほどでも」と言って、珈琲を飲んだ。

「それにしても、饅頭、というのはなかなか良かったね」
 先生はうんうんと頷いた。
「ええ、そうだと思います」
 僕も頷いた。そう、その通りなのだ。
「あれ、どうしてです?」
 友人はしかし解さなかったようだった。どのような物語に踏み込んでも、このような役回りを与えられた登場人物は悲劇だということができるかもしれない。

「だってね、団子じゃこの問題はできないだろう?」
 そう言って、僕は珈琲を飲んだ。
「なるほどね……」
 友人はそれ以上何も言わずに、同じように珈琲を啜った。

「饅頭は甘いけれど、珈琲は苦い、そして人生は辛い」
 先生がそう口にした。
「なににせよ美味しいですね」
 僕は先生に訊いた。
「その通りだ」
 先生は僕に言った。

 友人は呟いた。

「やれやれ、複雑だよね、君らの会話って……」