22時、珍しい人と酒を飲む。

「シメイの赤、それと……あと、バッファロー・チキン・ウィング」
「ギネスとフィッシュ・アンド・チップス」

ソファに座るなり話しかけてきた人物に、僕らはこっそり告げる。それと同時に、僕たちは長方形の肖像画と円形の合金をその人物に差し出す。この規定のアイテムをその人物に渡すと、彼ら(たいていは組織的なチームを成している)はこっそりと僕らに当該の品物を提供するのである。この暗黙的に通用しているシステムを知らないと、この土地で生活するのは難しい。

「最近さ、野口英世の肖像画が流通しているらしいよね」
 僕は辟易した調子を演出する。
「ああ……そうね」と彼女はソファに座り直しながら言う。
「よりにもよって野口英世だよ?」
 灰皿を取る。
「じゃあ、君なら誰を採用してたの?」
「僕だったら、千円札に有島武郎、五千円札に芥川龍之介、一万円札に太宰治、これで決まり」
 そう言うと、僕は煙草に火を付ける。
 彼女は「Suicide money?」と言って笑った。いちおう、彼女にも微笑機能は付いている。
「ポケットの中の文人ね」
「いいなあそれ。財布を覗いて僕は言うわけ。嘘だと言ってよ、太宰」
 僕は灰皿の端を利用して煙草の灰を落とすと火種を整形する。
「まあ、そういう思い入れもあって、僕は野口英世を使うことには抵抗があるね」
「ふぅん、そう……まあ、たしかにわたしも夏目漱石を愛用してるんだけどさ」

彼女はさらっとそう言うと夏目漱石の肖像画を懐から取り出した。僕は思わず、「え?」と言ってしまった。完全に虚を衝かれた。いや、たしかに入手可能ではあるし、利用可能でもあるけれど、ただ、それはもう、それなりにレアものだし……というか、普通、持ってる?

「もしかして、君、持ってないの? 夏目漱石を好きなのに?」
 彼女は夏目漱石の肖像画をひらひらと揺らしながら、僕の顔を不思議そうに見る。
「…………」

僕はグゥの音もでなかった。僕も以前は夏目漱石の肖像画を持っていた。いまは持っていない。どうしてか。夏目漱石の肖像画は、もはや製造を中止されてしまっているからである。これは21世紀になってもっともがっかりしたことのひとつだった。そして、このことに、僕はがっかりしただけだった。がっかりすることを了承していた。確保もしなかった。みすみす手放した。認めよう。

「もしかして、紫式部のも持ってたりするの?」
 僕は話を逸らした。
「わたし、そこまでミーハーじゃないから」
 そう言って、彼女は(にっ)と笑った。憎たらしい猫みたいだ。
「そうだよね」
「まあ、伊藤博文と聖徳太子のなら、何枚かはあるけど」

僕は愕然とした。「なぜ?」と質問しようと思った。しかし、どうしてだろう。彼女はどうして、そんなものを持っているのだろう。話のネタになるから、とか、そういう俗人的な理由じゃないことだけはたしかだ。そういう人格じゃない。そもそも、この女は人と話をすることにあまり価値を見出していない。仕事に使う? いや、違う。ひょっとして、趣味か? まさか、違う、そういう理由じゃない。

「偽造でもするつもり?」
 僕は訊いた。
「どうしてそうなるかな」
 彼女は苦笑する。
 珍しい人のその珍しい困惑の仕方から、僕は気付いた。
「あ、形見?」
「正解。母方の祖父の形見」

 なるほど。

「いやあ、危なかった」
「なに?」
「伊藤博文とか聖徳太子みたいな Type が、君の好みなんだと結論するところだった」

 彼女は鼻で笑う。

「そうだとすると、ちょっと、あまり深いことは訊けないかなと思案していたところ」
「別に、わたしはそのことを否定したつもりはないけど?」
「は?」
「いや、だから、お髭のおじさまって、格好良いと思うわ」

 え? ああ、ああ……そうね、わかるわかる、わかるよ。