飯町兄弟は時計のことを茄子と言う。兄は消極的に、弟は積極的に時計のことを茄子と言う。茄子と言うだけならまだ可愛いものかもしれないが、彼らの周りの時計の位置には基本的に茄子が設置されている。ときおり赤いトマトがあったりもするが、基本的には茄子だ。

僕は彼らと新世紀エヴァンゲリオンを観たことがあるけれど、彼らは初号機のことを茄子と呼んでいた。当然、弐号機はトマトである。では、零号機はというとジャガイモであるらしい。推して知るべしとはこのことかと僕は感心したものだ。

つまり、彼らは俗にいう茄子中心主義なのである。僕は彼らがどのようにしてその道に足を踏み入れたのか厳密には知らない。ただ、飯町心療科クリニックでは、彼らの父が薬と称して茄子を処方すると聞いたことがあるから、おそらく家系なのだろう。

彼らの態度の違いは兄が茄子構成主義なのに対し、弟は茄子原理主義であるということに帰される。茄子構成主義は「茄子の現れは茄子的な配慮によって変化しうる」という立場である。観測者の茄子力に左右されると言っても良いだろう。茄子原理主義は「茄子はどうしたって茄子だから、我々はその茄子をあるがままに受容すれば良い」とする立場だ。

そのような事情もあり、兄は比較的社会に順応し、いまは煙草屋を経営している。他方、弟は中学二年生の頃に精神を病み、そのまま部屋で茄子状態なのだとか。どうも茄子熱らしい。僕ももう四年も会っていない。しかし、心配かと問われると実はそうでもない。ただ、心配ではないかと問われると回答に窮するところはある。人との繋がりとはそういうものだと僕は思っている。

懐かしい話がある。ある七月の夕暮れ、三人でダイアモンドゲームをしていたときだった。僕はそろそろ帰ろうかと思い、時間を確かめるために「時計どこ?」と飯町兄に尋ねた。すると、彼はおもむろに「もしかして茄子のこと?」と言ったのである。

なるほどと思い、僕は手持ちの茄子を飯町兄に渡して、「茄子は茄子でも、動いているほうの茄子だよ」と言うと、彼は僕の目を見て、「なるほどそっちか」と言うと、時計を指差した。それを見ていた飯町弟は、辟易したという風にため息を吐いて、「茄子は、茄子だ、それがわからないうちは茄子を知ったって無駄だよ」と言って、僕たちを叱った。

そのとき、僕は笑って、お茶を濁した。でも、実のところ僕は、自分よりずっと年下の彼に叱られるという体験に不思議と感動していたし、同時に、知らず知らずのうちに茄子という語を誠実に使っていなかったことを恥じてもいた。

僕は彼らと接する上で、どこかでなにかを間違ったと感じたことはない。ただ、それでも、そのときの感動と後ろめたさは、彼の真摯な眼差しとともに、白い壁に穿たれた黒い楔のように、いまも僕の胸のうちにある。