「洒落た喫茶店ですよね」

 例によって僕はそんなことを思案し、思わず口にした。

「こういうのは、オープン・カフェって言うんだよ」
「じゃあ、他のはクローズド・カフェってことですか?」
「うん、まあ、そういうことになるよね」
「開いてますよ」
「え?」

 先輩が本当に意外な顔をした。たぶん、思考は別のところにあるのだ。
 大して、愉快でもない洒落だった。僕は引き下がることにした。

「いえ、なんでもないです」
「ん、そう……」

 先輩は身体はでかいが、気は小さい。態度も小さいが、動作はでかい。
 幸・不幸は僕にはわからないが、奇麗にできてるなと思う。
 今日、そんな先輩に、僕は呼び出されたのだった。

「それで、今日は何の用でしょう?」
「もしかして、機嫌悪い?」
「いえ、どうかしました?」
「いや、急に呼び出したしさ」
「いえ、全然大丈夫ですよ。先輩にも会いたかったし」
「そう……」
「ええ、問題ありません。まあ、暇ではないんですけれどね」
「すまん」
「いえ、そういう意味じゃありません」
「どういう意味?」
「先輩に会うという予定がありますから」
「え?」
「つまり、先輩に会うために暇ではないんです」
「ああ」
「僕に暇な時間はありません。それは言葉の上の問題です」
「そういう奇妙な思考回路は僕にはないな」
「だと、思います」
「不健全だ」
「かもしれません」
「しかし、別に悪いことではないと思う」
「当然です」
「うん」
「先輩、切れますよね」
「褒めてるの?」
「ええ、そのつもりですけど」
「下手だね、止めた方が良いよ」
「あー、やっぱり。練習中なんです」
「暇なんだね」
「そうなんです」

 僕は吸っていた煙草を灰皿に押し付けた。

「身体に悪いね」
「煙草ですか?」
「うん。煙草の煙かな? ニコチン? タール? その他?」
「灰ではないでしょうね」
「そうなの?」
「僕にとっては。ちなみに煙草の灰って肥料になるんですよ」
「まあ、いいさ。健康が絶対善だとも思わないし」
「ええ、ええ」
「吸って、吐かない煙草があれば完璧だと思うよ」
「そうですね。吸うことよりも、吐きだすことが問題ですよね」
「そうだね」
「あと、副流煙」
「ああ……もっと、高温で燃焼するシステムにできないのかな?」
「難しいと思います」
「だよね」
「噛み煙草とかあるんですけどね」
「ふーん」
「嗅ぎ煙草とか」
「粉みたいなやつだよね、あれいいじゃん」
「そうですね。直接、口内とか鼻の粘膜から摂取するからなかなかいいんですよ」
「なるほどね、みんな、それにすればいいのに」
「しかしね、手に煙草を持つ手間が消滅してしまうんです」
「手間?」
「ええ、手持ち無沙汰の解消なんですよ、結局、煙草ってやつは」
「なんだいそりゃ?」
「喫煙者の質が低いわけです」
「ふーん、量の増加は質の低下につながる」
「そうですね。全体量の低下から、質の向上は望めませんかね?」
「無理だろうね」
「そうですかね?」
「そもそも、全体量が低下しないと思う」
「ごもっともです」
「それに、それって、そもそも質の向上とは無関係じゃない?」
「そうですね。詭弁ってやつですか」
「そうだね。意識の問題だよね、やっぱり」
「自分のコンプレックスは、他人にも適用して認知する」
「それ、心理学だっけ?」
「ええ、確か。太っていることを気にしている人は、他人が太っているか気になる」
「髪の少ない人は、他人の髪の量が気になる」
「あー、それわかりやすいですね」
「わかりやすいものは誤解も多い」
「わかりやすさと、誤解の少なさ、先輩ならどっちを選択しますか?」
「時と場合による」
「なるほど」
「君の場合は、誤解の少なさだよね」
「ええ」
「怖いなー」
「なんでです?」
「君ってさ、向いていないのにそういう方向に向かって行ってるんだよね」
「先輩、抽象的過ぎ」
「具体的に言えないもの」
「もうちょっと、なんとかなりません?」
「ならないなあ、面倒臭いしさ」

 殴ってやろうかと思った。ただ、先輩との会話は楽しい。

「だけど、吸いすぎじゃない?」
「え、そうですか?」
「もう、山になってるけど……」
「あー、そうですね、気がつけば、箱が空だな」
「どうしたの?」
「いえ、なんでもないです。問題ありません」
「もしかして、場所悪かったかな? ずいぶん、賑やかだし」
「いえ」
「女の子が多いしね、この店」
「いえ、大丈夫です。それで、なんですか、今日は?」
「ホントに大丈夫?」
「どうしてです?」
「いや……大丈夫だって言うんなら、良いんだけど……」
「ええ」

  沈黙。

「やっぱ、止めよう。今日は」
「どうしたんですか?」
「悪いね。こっちから、呼び出しといて、ごめん」
「いえ」
「代金とかはさ、もちろん、僕が持つから」
「…………」

 そう言って、先輩は立ち上がった。

「もうちょっと、自分で考えてみるよ。やっぱり」
「はあ」
「なんか、会えてよかったな。うん」
「僕のほうこそ」
「近いうちに、また、会いたいんだけど、良いかな?」
「問題ありません」
「じゃあ、連絡するから」

 そう言って、先輩はしばし、悩むように直立した。

「どうしました?」
「いや、その……」
「なんですか、先輩。なんでも、どーんとオッケイですよ」
「ああ、じゃあさ、その、君、女性と、交際したこととか、あるよね?」

 交際って、先輩……素敵だなぁ。

「ありますよ」
「ああ、うん……どんな感じかな?」
「先輩、抽象的過ぎ。なにがですか?」
「うーん、それは、言えないな」
「言って」
「う」
「う、じゃない」
「あー、もう、ちょっと、考えることにするよ」
「ええ、たぶん、それが良いと思います」
「だよね」
「けど、先輩はなにも考えないほうが成功するタイプかも」
「え、どういう意味?」
「それを考えないって意味です」
「はあ、なんか、自分で自分が情けないよ」
「素敵ですよ」
「惚れそう?」
「惚れましたよ」

 笑った。

「じゃあ、また、次の機会に」
「はい、頑張って下さいね」
「え、なにを?」

 僕は苦笑して、無言で両手を上に向けた。
 先輩は笑って、去っていった。
 一人になる。
 笑い声。
 喧騒。

 ざわざわ、ざわざわ。

 自分の笑顔が、消える。

 空のグラスと誰もいない正面の席。
 いつか見た光景。
 またかよ。

 僕は煙草の空箱を開けて、中を覗いた。
 白い箱の底に、小さい煙草の葉がわずかに落ちている。
 なんの役にも立たない、英雄たちからこぼれ落ちた、見向きもされないゴミ。

 灰にも、煙にも、何にもなれなかった、煙草の残り葉。

「これが、僕だな」

 僕は笑った。