皆様、結社の者で御座います。本日は還って来る犬に関して少し。

 世界中の「犬」と呼ばれる生物は二種類に分けられることを皆様は御存知でしょうか。すなわち「還って来る犬」と「還って来ない犬」であります。まあ、これは大雑把な括りなのですが大局的にはこれで十分かと存じます。これは実に奥深い話でして、大勢の犬やドッグが世界中にいるなかで、そのなかにときおり「還って来る犬」がおもむろに混じっていたりするわけで御座います。

 そのようなことになって参りますと、やはり「還って来ない犬」や「還って来る機会のない犬」など、まあとかくいろいろな分類がなされだすわけですが、古来、話題にされ、最近になってもその謎、その不思議、その魅力を減じることのないのはやはり、なんといっても「犬社会のプラチナダイアモンド」と呼ばれて久しい「還って来る犬」で御座います。

 しかし、私はいまここで「ゆりまろ」の物語から始めようとしているわけでは御座いません。私が思うに「ゆりまろ」は還って来る犬としても、あるいは単に犬としても特殊なカテゴリに属しているのではないだろうかと、そう思うのです。最終的には確かに我々は「ゆりまろ」を研究することになるでしょう。しかし、やはり、それなりの手順を追って話を展開しなければならないのではないか、そう思うのです。

 ではまず、「還って来る犬」とは、ということからお話致したいと思います。

 還って来る犬は、まず「還って来たこと」が大前提として御座います。還って来る犬は単純に「還って来る素質がある」というだけでは駄目なのです。「還って来るに違いない犬」などというのもやはり駄目です。ですから、「還って来る犬」とは同時に「還って来た犬」でもあるわけで御座います。しかし、それは、ただ単に「還って来た犬」に対して与えられる名誉の称号というわけでは御座いません。

 還って来た犬は「そもそも還って来る犬だったからこそ、還って来れた」のです。ですから、あえて当結社においては「還って来た犬」という分類は御座いません。驚嘆と畏敬、感動の涙を言葉に代えて「還って来る犬」と分類しているので御座います。まあ、事前に「この犬は還って来る犬であろうな」と感じ取ることができる場合もあることにはありますが、実際にはそのように期待されていた犬といえども還って来れない場合というのは当然、稀とは言わずに御座います。

 それでは、還って来る犬は「何故、還って来ることができた」のか。

 それはそうと、あ、閑話休題で御座いますけれども、最近「お前の話は長い」などと上司から小言を言われてしまいまして、私としてもそれは大変恐縮忍びないというわけでして、いやあ、寂しいものですね、私としてはもう、還って来る犬のことに関して、少しでも皆様にお伝えできれば幸せなものですから「手短に話せ」と言われれば、手短に還って来る犬に関してお話しようと懸命に努力をしたいと思うんです。

 昨日の夜も、どこの辺りを掻い摘んでお話申し上げれば皆様に喜んで頂けるかと必死で思案させて頂いたのですが、どうにもこうにも、全てが大事であるなような気がしてきてしまいまして、とてもでは御座いませんが中途半端にすることなどできず、どのようにしたら「還って来る犬」に関して皆様に御理解を示して頂けるか、本当に頭を悩ませました。

 それで息子に訊いてみたんですよ、「僕の話は長いかなあ」って、そしたら息子、なんて言ったと思いますか? 「お父さんの話は長いけど、とっても面白いから、僕、好きだよ」って、私もう、迂闊にも息子の前で涙を流してしまいました。昨日、食したカレーは本当、いつものカレーよりもそりゃあ、ずっとずっと辛かったですよ、そして、とても、美味しかった。うちの奥さんなんかもですね、「今日はあなたのために本場のカレーを用意してみたわ、明日は頑張ってね」って、本場のカレー、美味しゅう御座いました、そのようなわけで寝る間も惜しんで、必死で皆様のためにお話を用意させて頂いた所存で御座います。

 そうでした、もし、還って来る犬の嗅覚や還って来る犬のマーキング、還って来る犬は普段何を食しているのか、還って来る犬が還って来たときの第一声などに興味を持たれた方は遠慮せずに質問して頂ければ、当結社としては嬉しいばかりであります。私は本当に還って来る犬に関してお話しすることができれば、これ以上の幸せはないので御座います。

 ああ、すみません、長いですね、私の話は長いですね、すみません。

 真に勝手な流れで御座いますがお話を戻しまして、還って来る犬は「何故、還って来ることが出来たのか」という事で御座いますが、それにつきましては様々な憶測が飛び交っているというのが客観的な判断であろうかと思います。還って来る犬が「何故、還って来れたのか」という問題は古来、一種の神秘的な出来事として連綿と語り継がれており、また、いろいろな検証もなされてきております。

 それは「渡り鳥のマイグレーション」と同じような神秘性と申しましても、差し障りはないものと思われます。つまり、渡り鳥はどのようにしてその目的地を誤らずに渡っていけるのかという問題に似ているということで御座います。そして、渡り鳥の「渡り」の場合は磁場の関係だ、海流の影響だ、風に乗った臭いでわかるのではないか、などの推測がなされておりますが、どれもそれらしい話ではありますし、実際にその線で探求を進めていけば、そのうち「渡り」の正確さの原因を突き止めることが出来るのではないかと思われます。

 ところがここで、だがしかし、還って来る犬もまた同じように磁場や海流や風や臭いによって還って来ることが可能であるのか。そのような疑問が生じます。結論から言うとこれは非常に怪しいもので御座います。「渡り」のように地球規模の広域な現象であれば地磁気を利用した分析というのも可能であるように思いますが、生憎、還って来る犬の「還り」はそれよりずっと局所的な現象で御座います。札幌市北区に置き去りにされた「還って来る犬」が札幌市南区の自宅に帰還するといったような、そのようなこじんまりとした、それでいて重大な問題なので御座います。

 しかし、そのような側面から、すなわち、自然現象を本能により活用することによって「還って来る犬は還って来れたのだ」と主張し、アプローチしている団体もあるにはあります。海流の影響は論外と致しましても、風やそれに類する臭いから、それを辿ることで「還って来る犬は還って来れたのだ」と主張する団体も御座います。しかし、そのような理論には幾つかの反証もまた行われておりまして、自宅から自動車で遠方まで移動し、その間の道路などには臭いなど残りようもない状況なのにもかかわらず「還って来る犬が還って来れた」という場合が存在致します。つまり、このことから臭いを辿って還って来たのだという可能性は否定の要素を多分に持つことになりました。

 その他にも「太陽昇降位置記憶理論」と呼ばれるものや「特種犬脳内マッピングシステム理論」と呼ばれるような大胆な仮説も存在致しますが、やはり、決定力不足で御座いました。というのも「証拠」または「裏づけ」というべきものがそれらの理論では致命的に不十分であったのです。つまり、そのような理論によって還って来れないことはないが、だからといってその理論によって還って来れたのだという積極的な証拠にはならないような仮説であったのです。

 まあ、このような還って来る犬に関する仮説の歴史というのもそれはそれで興味深いかとも思いますが、やはり、そればかりでは皆様も退屈を弄ばれるかと思います。ですから、当結社において、その問題をどのようにして受け止め、考えているのかということを端的に申し上げて、今回の「還って来る犬に関するお話」を終了させて頂きたいと思います。

 この考え方は、きわめて根本的でありますが、あまりにも荒唐無稽であるという断定的な意見のもと、常識という不完全なものに押し切られる形を持ちまして、長い間、日の目を見ることはありませんでした。ですが、いまや「伝説の還って来る犬」とすら言われることのある「ゆりまろ」の登場と共に、私どもの業界でも頭の柔らかいコーディネータが増えまして、いまでは表社会での浸透性というものはまだまだ低いものの裏では半ば確信を持って語られるに至っている理論が御座います。

 それこそが、当結社の提起した画期的な理論なので御座います。この理論は証拠がどうのこうのという以前に圧倒的な説得力を持っております。むしろ、もう、この可能性以外は残り得なかったのです。つまり、人々の盛んな想像力と厳密で精密にして広範な諸仕事を通して産出された最終的帰結だったのです。それは20世紀初頭にアインシュタインが相対性理論を発表したように歴史的必然にして画期的な仕事でした。

 では、どのような理論をもってしても「還って来る犬が、何故、還って来られるのか」判明できないという、いわゆる「犬帰還性理論、堕胎の暗黒時代」と呼ばれた30年間に終止符を打つことになった、当結社の創始であります先々代とその盟友「香美峰・J・都茂」の両名によって提唱された理論を簡単にご説明させて頂きたいと思います。すなわち、

 【犬コミュニケーション】

 この衝撃的な理論の発表によって、当時、巷をにわかに賑わせていた「ダンパー・F・ジャネット」氏の「犬帰還不可能性理論」が覆されるに至りました。これは真に画期的な出来事でした。私はこの理論が発表された当時、駆け出しの新卒でして、この業界にも片足を突っ込んだ程度のひよっ子でしたが、この「犬コミュニケーション仮説」が発表されたときには全てを理解できなかったにも関わらず、思わず、涙がこぼれ落ちました。

 その後に、私はこの「犬コミュニケーション理論第一次草稿」をより完全なものにしたいという思いから当結社の門を叩き、何度も何度もリポートを提出しているうちにその熱意をかられて、このように皆様方にお話申し上げられるようになっているという次第で御座います。少しばかり自慢話のようになってしいますが、「犬コミュニケーション理論第四章第六節、最後のワン」の不足について指摘し、加筆したのは他ならぬ私です。それだけが私の唯一誇れる仕事と言っても過言ではありません。

 そこで「犬コミュニケーション理論」について、もう少しお話申し上げたい所存で御座いますが、まず、先にお断りしなければならないことがあります。この、犬コミュニケーション理論のアウトラインがすなわち可変的であるという事実です。つまり、一定の形を保たないということが「犬コミュニケーション理論第六章第七節、最後にニャーの可能性」で触れられているのです。また、この終章の言葉からこの理論の壮大さ、無限の可能性というものを感じ取っていただけるかとも思います。

 ですから、私がこれからお話しする内容も、いつかまた私がお話申し上げるときには若干の修正、変更が加えられているかもしれないことを最初に申し上げます。では、端的に申しまして「犬コミュニケーション理論」とは「任意の犬が他の犬と積極的にコミュニケーションをとることである種の意思疎通、情報の交換が可能であり、それによって様々なネットワークを形成している」という内容で御座います。詩的な言い方を使わせていただきますと「井の中の蛙、井の中において大海を知る」ことが可能であるような理論で御座います。

 この理論によって、見知らぬ任意の地点から、還って来る犬がもともとの生息地に到着するまでの過程を、そのミッシングプロセスを読解することが可能となります。つまり、「還って来る犬」は見知らぬ土地の犬に道を訊きながら、少しずつ、自分の普段の生活圏内への帰還を果たすのです。この考え方によって「還って来る犬」が還って来たことに対する全ての謎が解けます。しかし、そのように簡単にコミュニケーションが取れるのなら「もっと迅速に還って来たって良さそうなものではないか」と疑う人もいるかと存じます。

 しかし、それは「早計」というもので御座います。

 これは、犬であれば、どんな犬でも、どんな犬ともコミュニケーションが取れて、そして還って来れるというような安易な事態ではないのです。人間と犬のコミュニケーションには圧倒的な自由度の差があります。まず第一に犬には意図的な身振り手振りというジェスチャは不可能であるという実験データが得られております。このことから、基本的に「還って来る犬」はその意思や意図を対外的に半ば無意識的に表出することで、他の犬とコミュニケーションを取っていたと推測されます。

 また、人間社会の「言語」と同様に、犬コミュニケーションにおいても最重要であるその「鳴き」についてですが、犬にも各国の犬がおり、日本人と米国人が同一の言語を使用しないのと同様に犬社会でも多種多様な「鳴き」が報告されています。これによって、人間と同じように、いや、もちろんそれ以上に、犬のコミュニケーションは困難で難解なものとなっているのです。しかもそれは、多国籍化が著しい犬社会において、爆発的な変遷を遂げていっております。したがって、あらゆる犬があらゆる犬と意思疎通、それも道順を尋ねるといったような高度なコミュニケーションを図れるわけではないのです

 この点に関しまして、しかし、それをそのまま放置しておいているのでは犬社会の秩序は保たれません。そもそも犬というのは群を形成して生活をする哺乳類で御座います。とりわけ、その秩序というものにはうるさい生物と言われております。そんなことから「町内会レヴェル」から「地方自治体レヴェル」まで、そのピラミッド状の上下関係というものが構築されていると考えられています。

 ここで、少しばかり、理解の助けとなる寄り道をしたいと思います。

 世界三大美女と呼ばれて久しいクレオパトラは絶世の美女を謳われて名高いですが、その実は「それほどの面相の持ち主ではなかった」と評されることも、まま、あります。では、何故、クレオパトラはそれほどまでに美女の名を有して離さなかったのか? それは、ひとえにクレオパトラが数ヶ国語を話す、並々ならぬ知性美の持ち主であったからだと言われています。中世ヨーロッパといえば、フランス、ドイツ、イタリアというように地続きでありながら、幾多の国がせめぎあう抜き差しならない地帯で御座いました。

 当然、用いる言葉も違いますから、どのような言語を喋るかということによって帰属意識・仲間意識というものが発生していたようです。つまり、幾つもの言語を喋ることができるということはそれだけで大きな力となり、人々のコミュニケーションを円滑にするのに非常に好意的に把捉されていたということです。

 このことが、そのまま「犬コミュニケーション理論」に対して応用できます。

 犬というものは単に強ければ一群のリーダになれると一時期は考えられてきました。確かにそういう部分は御座います。犬演劇「路地裏の悲劇」で有名な「五月雨タケル」など、そのようなリーダの際たるものかと存じます。しかし、単に強いだけでリーダになれるというほど犬社会というものも気楽な世界では御座いません。そこには陰謀があり、策略があり、多種多様な犬の駆け引きというものが御座います。そのような中でやはり、圧倒的な犬脈と犬望を誇るのは幾多の「鳴き」を理解し、発することの出来る犬で御座います。

 そのようなことから、必然的に群のリーダを務めるのは「多種鳴き」の犬であるというのが、最近の込み入った犬社会の事情を反映して一般的になってきているように思われます。この辺りの変遷に関しましては現時点では確定的な説明は困難で御座います。というのも、その「鳴き」の実態については当結社でも把握しかねているというような現状で御座います故、申し訳御座いません。しかし目下、調査中で御座います、近々、新しい報告ができるのではないかと思います。

 それはともあれ、このように「多種鳴き」の犬のなかでも「五種鳴き」以上を駆使できる犬を当結社では「マルチ犬」と読んでおります。マルチ犬は現在三匹しか確認されておりませんが、その一匹が「ゆりまろ」であることは言うまでも御座いません。その他、「二種鳴き」は「リトマス犬」、「四種鳴き」は「ジョハリ犬」、そのなかでさらに分類されると言った具合に細分化はきりがないので御座いますが、このように「還って来る犬」という特殊な事例を作り出すような犬というのは数種類の「鳴き」を理解することができたと推測されています。すなわち、逆を返すと、最低でも数種類の「鳴き」を聞き分けられるような犬でなければ還って来ることはできないだろうということで御座います。

 ちなみに「三種鳴き」が可能である犬というのはいまだ確認されて御座いません。このような犬というのは「トリニティ犬」と呼ばれておりまして、その「二種鳴き」から「四種鳴き」に移行する際の謎というものが、現在当業界では最大の関心事となっております。これらのことは「犬コミュニケーション理論第三章、クゥンクゥンで東の兆し」で触れられております。興味のある方は御一読をお薦め致します。

 以上のことから、ひと通りのことをまとめて申し上げますと、「還って来る犬が、何故、還って来ることが出来るのか」という質問には、当結社においては「還って来る犬は、様々な犬と積極的かつ意図的なコミュニケーションを取ることでその生息域への帰還を果たす(なお、その犬は数種類の「鳴き」が理解できなければならない)」とするのが正当な解答かと存じます。

 ああ、これ以上、お話を致しますとまた上司の方から怒られてしまいますので、今回はここまでということにさせて頂きたいと思います。まだまだ不十分なところは多々あるかと存じますが、不明瞭な部分につきましてはおひとりおひとりの質問に解答するということで、その解決と致したいと思います。

 それでは、長々と私の話にお付き合い頂いて、真に有難う御座いました。息子にも、今晩は良い話をしてあげることが出来そうです。それもこれも、皆様方のお陰かと存じます。なにとぞ、今後も「還って来る犬」への理解と関心を欲していただければ、私としても喜ばしい限りで御座います。それではまたお話申し上げる機会があることを心待ちにして、今回の「還って来る犬に関する話」を終了とさせて頂きます。

 本日は真に有難う御座いました。