半月ほど前、鮭が僕の家を飛びだしていきました。彼は非常に夢見がちな鮭で「いつか俺は鯨になるんだ」と口癖のように言っていました。僕はそんな彼を煩いと思いながらもどこか憎めず「立派な鯨になれ」と励ましながら共に生活していたのです。 そんななか、あの事件は起きました。ある日、包丁を持った鮭職人の若造が腕試しに僕の部屋にやってきてこう言ったのです。「ここに、鮭がいるな……」と。さすが鮭職人だと僕は思いました。これでここにいる鮭もお仕舞いかもしれないと。実のところ、当の鮭はすでに僕の背後で覚悟を決めだしていたのです。 「俺は、どうなっちまうんかなあ」 鮭が呟きました。 「相手は鮭職人だぞ、想像を絶するよ」 僕は鮭に言いました。 鮭職人の手にかかった鮭がどうなってしまうのかということは一般には公表されていません。食用にという話も聞いたことがありますが、軍事に利用されているという話も聞きます。僕の推測ではそのどちらもというのが妥当なところではないでしょうか。鮭の用途はきわめて多岐に渡ると聞きます。しかしどうして鮭職人の活動は公表されないのでしょうか。実のところ、それは彼らの活動が公然の地下活動であることによります。 ほんの数年前、とあるテレビ番組に出演した若い鮭職人がいたずら半分に幻の黒い鮭を右手に持つと顔の右側面に当て「電話」と言ったのが始まりでした。それは彼一流のギャグでした。そして、そのギャグはお茶の間に爆笑の渦を巻き起こしたのです。その渦は三日三晩渦を巻き、約10000世帯の米と海苔を消費して約30000本の美味しそうな海苔巻きを作りました。しかもその海苔巻きには具が入っていなかったのです。美味しそうなのにもかかわらず。これが世にいう「黒鮭の怒り症候群」事件です。 その後、具のない海苔巻きを作らされて怒り狂った民衆は鮭職人組合にその海苔巻きに合う美味しい鮭のおつまみを要求し、それを抗しきれなかった組合は多くの鮭を民衆に無償で提供したのです。それは想像をはるかに上回る甚大な被害を組合に与えたと聞いています。 あの事件以後、鮭職人組合は地下に潜りました。誰もが活動をしていることを知っているのに、表面上活動を停止したのです。そして、鮭職人たちの並々ならぬ技術がなにに応用されているかは隠されてしまいました。そして、それと同時に鮭も世間から身を消したのです。いわゆる「鮭狩り」と呼ばれる現象が起こるのはそれから二年後のことです。僕はその内実を詳しくは知りませんが、いずれにせよ、鮭たちにとって、もはや鮭職人は敵でしかないということを僕は知っています。 「俺は、こういう話を聞いたことがあるぜ」 ある日、ぼそっと鮭が言いました。 「聞かせろよ」 僕は鮭に言い返しました。こういう言い方をしないと鮭は喋りません。 「鮭職人に捕まったある鮭はな、トマト・サラダと混ぜられたらしいぜ」 「トマト・サラダ?」 僕は思わず呟きました。トマト……トマト・サラダだって? 「残酷なことしやがるだろう、あいつら……」 「それで、召し上がられてしまったのかい?」 「ああ、それを食した子どもたちは言ったらしいよ、美味しい!美味しい!ってな」 「許せない!」 僕はそのとき思いました。この鮭を、いや、この鮭だけは鮭職人の手に渡すわけにはいかないと。トマト・サラダと混ぜる。信じられる所業ではない。鮭をトマト・サラダに混ぜるだって? 鮭とトマトで鮭トマトかよ、笑えねえぞこれは。僕はいま、ここにいる鮭を絶対に鮭職人には渡さない、そう、渡すわけにはいかないのだ! 「ここに鮭はいない」 僕は言いました。 「いや、いる」 若造の鮭職人が断定します。 「いないよ、いないといったらいないんだ、これは仕方のないことさ」 いささか分は悪いけれど、僕はいないで押し通すことにしました。 「いや、いる」 若造は僕を見詰めました。 鮭が僕の背後にいるということまでわかっているかのようでした。 「これでもね、俺はチーム紋別なんだよ、その程度のことはわかるんだ」 「チーム紋別」 助かった。僕はそう思いました。 「熊五郎さんは元気かい?」 「な!?」 「熊五郎さんは元気かいと訊いたんだよ、若造」 「その名前を口にするな……」 若造から覇気が失せました。 「素晴らしい技術だったよ、熊五郎さんは」 「お前、何者だ?」 鮭職人が僕に訊いてきました。当然の質問でしょう。 「鮭マニアさ」 僕はにやっと笑って言ってやりました。 「熊五郎か……天才という人間がいるなら、まさにあの人のことさ」 「いや、違うよ」 僕は言いました。 「熊五郎さんはね、鮭の気持ちを理解していた」 「…………」 「技術だけじゃないよ、あの人のこころはね、鮭と通っていたんだ」 僕は若い鮭職人の目を見て、そう言ったのです。 「同じことさ、それは技術のうちなんだよ」 強がるように事実を言うように、若造は僕に言いました。 「今日のところは帰る、しかし、明日はどうなるかわからないぞ」 「ありがとう」 「いや、別に……」 妙にどもるようにそう言って、若い鮭職人は帰っていったのでした。 しかし、次の日になっても、その次の日になっても、もう、その鮭職人が僕の部屋を訪れることはありませんでした。むしろ、それからちょうど30日の間、これまでに経験したことのないような平穏な日々が僕と鮭に訪れたのです。そして、31日目の朝、僕が目を覚ますと鮭はもう僕の部屋にはいませんでした。後にはなにも残っておらず、どこに行ったのか、鮭がなにを考えていたのか、なにもわかりません。 でもまあ、いずれ戻って来るでしょう、鮭だし。 |