朝。雲なし。
 まだ、眩しさを感ずることはないが、じきに感ずることだろう。

 小生が生きているということ、小生が死んでいるということ、これらは究極的に異なり、そのような二種類の言明を安易に対立することが憚られるほどに絶対的な断絶がある。

 それなのに、これらの言明をある事柄の表裏であるかのように語ろうとする者がいる。彼らは表裏のいずれかの文脈に依存しているにもかかわらず、それら言明自体の主張が強いがために誤解しているようである。われわれに必要とされるのはただ決意のみであり、選択ではないのだ。

 さながら人生というものは「トリップル」であり、その決定は自らで厳密に下しており、また、そのようにしか下し得ないのだが、その選択の可能性は厳然と環境に限定され、また、その進路は狡猾なる他の対戦相手によって定められているのである。生と死という事柄はわれわれの扱い得る事柄ではないのだ。

 戦いは始まりと同時に決している。

 始まりは終わりを組み立てる遊戯に過ぎない。
 向かう方向は矢印で示されている。
 我々はただ、進めば良い。

 そして、進ませねばならない。
 すると進んでいるのである。