荒涼とした大地が見渡す限りに広がっていた。
 空があり、大地があり、私がいた。
 基本的にはそれしかなかった。

 世界があまりにも大きく、儚げに横たわっていた。

 天に青、地に黄色、その狭間にあるべき緑は小さく、その身を茶色に変化させていた。
 私はそれらの色を見て、はたして私の色は“なに”なのかと思考した。
 しかし、その時、私に色は必要なかった。

 何者もいなく何物もなく、私は私の意思のみによって空をも飛べるはずだったのだ。

 しかし、私は空を飛ぶことには魅力を覚えなかった。いや、空を飛んでしまっては、私は降りるべき場所を定められないのではないかと思ったのだ。つまり、正確には魅力がないわけではなかった、ただ、それ以上に不安があっただけである。

 だから、私は歩くことにしたのだ。

 そのことを決めたとき、私はとっくに自分が歩き出していることに気づいた。
 それははっとするほどに唐突でしかし、瞬間に身体に馴染みこむほどに当然だった。
 私はとっくに地の上を歩いていた。

 私は空をも歩けるはずだった。

 しかし、私は大地を歩んだ。
 地を踏みしめ、哀しくなるほどに広大な平面の上を、坦々と私は歩んだ。
 そこでは、私が進んでいるのか、大地が私を通り過ぎていくのか、わからなかった。

 とてもではないが、そんなことは私にわかりようもなかった。

 もしかすると、私はただ、ばたばたと同じ場所で足踏みをしているだけなのかもしれなかった。そして、突き抜けるほどに高い青空と、大地、私の立つ大地とだけが、飛ぶように過去へと過ぎ去っていく。ただ、それだけのことかもしれなかった。

 私は歩きたかった。

 私は歩きたかったのだ。
 空を飛ぶのでも地を駆け回るのでもない、ただ、自分の意思のままに歩きたかった。
 しかし私は、私の意志と希望を置き去りにしてとっくのとうに歩いていたのだった。

 私は歩いていた。

 いつから、私は歩いていたのだろう?
 何故、私は歩いているのだろう?
 私はいったい、どうして歩いているのだろうか?

 私は歩きたかった、けれど、歩いていたくなかった。

 私は立ち止まった。
 それ以上は決して、歩けなかった。
 私の意志は空高く舞い上がり、はるかに遠くから私を見下ろし、私をせせら笑った。

 私は、私の意志によって、歩かなければならなかった。

 私はもう、歩きたくなかった。
 私は歩きたいのに、私はとっくに歩いていたのだ。
 私は歩きたいのに……、歩きたい……歩きたいのに……。

 すでに、私は歩いていたのだ。

 なぜ、どうして、いつから、どのようにして、誰が……私を歩かせていたという?
 私は私の意志によってのみ、歩き、進み、歩み、空をも飛べるはずだったのに。
 どうして、私はもう、歩いている?

 私は私の意志によってのみ歩き、そして何ものも私を歩かせることなどできない。

 できないっ!
 私は、歩かない。
 私は歩けない……私は歩きたいのに……、私は、歩きたかったのだから。


 そこは不思議な世界になった。


 私の頬を生暖かい風がなめるように滑り、私の身体がじとっと湿った。
 いつの間にか太陽が、高い位置から無表情に私を照りつけている。
 私の周りには、たくさんの人がいて、たくさんの人が歩いていた。

 私は独り、立ち止まっていて、たくさんの人は、足早に私を過ぎ去っていく。

 私は発狂しそうな頭を抱え込み、ただ黙って、すべてが過ぎ去るのを待った。
 しだいにすべての音は薄まって、しだいに私も薄まって……。
 しだいに世界は不思議さを落ち着かせた。

 そして気がつくと、私はまた歩いていた。

 私は歩いている。
 私は最初から、ただ歩きたかっただけなのだ。
 そして、そう思ったときには、私は、不幸にも、歩いていた、ということなのだ。

 私は立ち止まった。

 いま、私は歩いていないのか?
 いま、本当に、私は立ち止まっているのか?
 それは、決して、どうやったところで、私にわかることではなかった。

 そこは、不思議な世界だった。

 私は右足を前に向かって踏み出した。
 すると、私は一歩、後へ進むのだった。
 私は混乱する頭をぶんぶんと左右に振りながら、右足を前へと踏み出した。

 私は一歩、後へと進んだ。

 私は前へ前へと進むたびに、一歩、また一歩と、後へと進んでいった。
 私は脇目もふらずにどんどん前へと足を出した。
 そして、どんどん後へと進んでいくのだった。

 ………………?

 私は左足を背後へ向かって踏み出した。
 すると、私は一歩、前へと進むのであった。
 私はぐるぐると錯綜する思考を上下に収納しながら、左足を後へと踏み出した。

 私は一歩、前へと進んだ。

 私は後へ後へと足を出し、一歩、また一歩と、前へと進んでいった。
 私は地平線だけを求めてどんどん後へ足を出した。
 そして、どんどん前へと進んでいくのだった。

 そこは、ただそれだけの世界だった。

 私が足を前へと踏み出すと、私は一歩、後へと進む。
 そして、私が足を後へと踏み出すと、私は一歩、前へと進むのだった。
 そう、ただ、ただただ、それだけの不可解さで、この世界は成立していた。

 じゃあ、私がここで跳ねたらどうなるのだろう?

 埋まるのか?
 ふふふ。
 私は、笑った。

 じゃあ、私がここで横に足を踏み出したらどうなるのだろう?

 どこに行く?
 右に出したら左、左に出したら右?
 ふふふ、右と左はどうやって決めようか?

 どちらも横だ。

 私は、笑った。
 私はもう、私が歩いているのか、歩いていないのか、わからなかった。
 私はとっくのとうに歩いていたし、とっくの昔に歩くことなどやめたのだから。

 私はもう、そんな些細なことに迷うことなどやめたのだ。

 私はこの不思議な世界の真ん中で考えた。
 右足を一歩前へと出し、私は一歩、後へと進んだ。
 左足を一歩後へと出し、私は一歩、前へと進んだ。

「まて、ということは……」

 左足を一歩後へと出し、前に一歩進んだのだとすれば、
 前進したときの一歩は、いったい右足と、左足の、どちらが歩んだものなのだろう?
 私の左足は後にあり、私の右足は前にあった。

 なんだ。

 結局は、同じこと。
 大事なのは、そんなところにはなかった。
 理屈などはわからなくとも、私は歩んでいくことができた。

 そして、いつも、そのようにして私は歩んでいて、そのようにして私は休んでいる。